17
わあわあとはしゃぐ声が聞こえてきて、金華はうっすら瞳を開いた。
「……」
ずいぶんと昔の夢を見た。久しぶりに、母の顔を見たせいだろうか。
金華はむくりと起き上がり、あくびをした。部屋の中は冷えていて、布団から出ると、冷気が全身を包む。
「さむ……」
金華は身震いをし、再び布団にくるまろうとした。
からりと障子を開けると、一面の銀世界が広がっている。一晩でこんなに積もったのか。金華は特に感動なくそう思った。雪の中に、明度の低い白が見えた。
いや、白ではない。あれは銀だ……。こちらに駆けてきた少女は、白い息を吐く。
「おはようございます。金華さま」
透き通るように白い頬が、寒さで真っ赤になっていた。
「何してるんだ」
「雪合戦です!」
銀鈴は笑顔で雪玉を差し出した。
「金華さまもやりますか?」
「俺はいい」
「そんなこと言わずに!」
彼女はぐいぐい金華の腕を引く。庭には、英俊と子供たちが降りていた。英俊が笑顔を見せる。
「金華さまがそちらなら、この二人は私の組ですね」
「というかおまえも普通に参加してるのか、英俊」
金華が言うことではないが、ちゃんと仕事をしているのだろうか。
「三対二はずるくないですか? 金華さま鈍そうだし……」
「おい。誰が鈍いだって?」
「おにーちゃんの組がいい人ー!」
「「ふあーい!」」
口をもごもごさせながら、悠鈴と夾月が答えた。
「あっ、飴あげてる! ずるい!」
指摘した銀鈴に、英俊がにやりと笑う。
「私はやるからには全力ですよ」
「やっぱり大人げないっ!」
「楽しそうだな、おまえら」
金華は呆れ気味に言った。と、いきなり腕を引っ張られる。
「金華さま! 身を低くしないとあたりますよ!」
びゅんっ、と音がして、雪玉がものすごい速さで飛んでいった。木の枝に当たると、弾けとんだ。心臓が久しぶりにどくどく鳴っている。
「なんだあの球……あんなの当たったら死ぬだろ」
「雪合戦をなめちゃだめです! 婆様が言ってました。古くは兵士の訓練に使われたのが始まりだって」
「うそだろ」
それはもはや遊びではないだろう。銀鈴は雪球をせっせと作りながら、
「私、こう見えても小さなころ、『銀雪の魔術師』を自称してたんです」
「自称か」
「近所の子供が誰も遊んでくれなかったので、こういう木を相手に見立てて想像で雪合戦してました。百発百中で」
動かないから、命中するのは当たり前だろう。小さな銀鈴が一人で雪玉を投げる様を想像すると、なかなかぐっとくるものがある。
「悲しいな、銀雪の魔術師」
「弟たちが生まれるまでの話ですよ。金華さまだって、やったことないんでしょう」
「まあな」
一緒に遊ぶ相手がいなかった。弟は随分変わったようだし。赤ん坊の頃、金華の指を握りしめたことも覚えていないだろう。銀鈴は、せっせと雪玉をつくりながら言った。
「私たち、なんとなく似てますね」
「……そうか?」
「ええ。はみ出しものだし」
銀鈴はそう言って笑った。金華は目を細めて、その細い肩を抱く。
「じゃあ……はみ出しもの同士仲良くするか?」
顔を覗き込んだら、銀鈴が渋い顔をした。
「すぐそうやってふざけるんだから」
「ふざけてない。男はみんな、可愛い女と仲良くしたいものだ」
「はいはい」
彼女は、金華の手を掴んでどかした。すっかり金華のあしらいに慣れている。
「おまえは全然その気にならないからつまらない」
「残念でしたね。からかうのも飽きたでしょ、そろそろ」
「飽きないな、不思議と」
人形のように美しいのに、ころころ表情が変わるし、遠慮なく男の布団を剥ぎ取るし。
「一生飽きないかもしれない」
「またまた」
「本気だぞ」
「金華さまの本気は当てになりませんよ」
そっけなく答える銀鈴を見て、金華はふ、と笑った。
「本当につられないな」
「遊び人におちょくられるのは、喜栄さまでこりごりですから」
喜栄。名前を聞いてむっとする。
「最近は遊んでない」
「確かに……最近女の人を見かけませんね。心境の変化でも?」
新緑のような瞳が、不思議そうにこちらを見ている。雪に反射された銀髪が、光で輝いていた。金華は口を開く。
「俺は──」
ぺしゃっ。何か冷たいものが、ほおにぶつかった。いつのまにか目の前にいた英俊が、にこりと笑う。
「はい、金華さま残念」
「は?」
「負けた人は罰印ー!」
悠鈴と晶馬が、英俊の後ろからひょこりと出てきた。彼らはこちらに駆け寄ってきて、金華のほおに筆でバッテンを書いた。
「ははは、素敵ですよ、金華さま」
英俊が涙を浮かべて笑う。
「……楽しそうだな、おまえ」
「次はおねーちゃんだー!」
「えっ、二対一は卑怯だってー!」
悠鈴と夾月に追いかけられて、銀鈴は走り出す。
英俊はくすくす笑いながら、金華の隣に腰を下ろした。金華はほおを手巾でぬぐい、
「戦わなくていいのか?」
「そうですねえ。年齢的にちょっと疲れましたねー」
「そんな歳だったか?」
「ええ」
初めて会った時は、英俊も十代だったはずだ。金華は、子供たちの嬌声を聴きながらつぶやいた。
「歳をとったんだな、お互いに」
「ええ。初めて会った時は、金華さまはとても可愛らしかった。利発そうで、でも暗い目をしてらした」
英俊はこちらをじっと見つめる。
「いつの間にやら、そのようになられて……」
「そのようにってなんだ」
「銀鈴さんが来てから、金華さまは少し変わられた」
見透かされているような言い方が癇に障り、金華はそれを否定する。
「俺は何も変わっちゃいない」
「雪合戦を提案したのは銀鈴さまなんですよ。金華さまをはげまそうって」
「……」
金華は白い息を吐いた。
「俺は別に気にしてない。ただ、わざわざ偽の手紙を送った目的は気になる」
英俊は、ふっと表情を変えた。子供たちに見せる「いいお兄さん」の顔は、彼の一部でしかない。この男は冷静で、時に冷酷なのだ。現に金華が初めて会ったとき、調査官の柳英俊はこういう顔をしていた。
「──朝貢に添えられていた手紙、誰の手によるものかわかりました」
「だれだ?」
告げられた言葉に、金華は目を伏せた。
「なるほど……」
「どうされますか」
「俺が話す」
「私もご同行を」
「必要ない」
英俊が瞳を揺らした。
「しかし、今日は満月です」
「だから、だよ」
金華はゆっくり立ち上がった。視線の先には、銀鈴たちが楽しそうに遊んでいる。彼女と自分が似ているはずがない、と金華は思う。陽銀鈴にはその名の通り、日の当たる場所が似合う。