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 夾月が向かったのは、大宮殿の近くにある「(てん)()殿(でん)」だった。将来政務を行う世継ぎが住むため、大宮殿に近い場所に建てられている。天華殿に入った夾月は、使用人の淹れたお茶を勧めてきた。


「どうぞ」

「待て、俺が冷ましてやろう」


 銀鈴に出されたお茶を、喜栄がふうふうと冷ましている。夾月は、物珍しそうな目で喜栄を眺めた。


「君は銀鈴とどれくらいの付き合いなの?」

「聞いて驚くがいい、五年だ!」


 喜栄が自慢げに片手を突き出した。夾月がへえ、と相槌を打つ。


「そんなに長くないね」

「なにをっ。桃栗三年柿八年と言うだろう! 少なくとも桃は実っている!」

「栗は実ってないし。五年も付き合いがあって進展なしって、見込みないよね」

「うぐううう、そんなことないぞ!」


 夾月は笑顔で、半泣きの喜栄をいなしている。銀鈴は、桃李にぼそっとつぶやく。


「すごいですね、喜栄さま。一国の王子にタメ口とは」

「喜栄さまは、自分こそが世界の中心だと思ってらっしゃるからな」

「……どんな暴君ですか」


 ある意味、羨ましいほど自分本位なのだろう。喜栄という男は。


「ところで、例のものは持ってきてくれたかな」


 喜栄をからかうのに飽きたのか、夾月が問うた。


「はい」


 桃李は、はらりとふろしきをほどいた。中には両手で覆えるくらいの木箱が入っている。銀鈴は現れた品物を見て、目を輝かせた。


「わあ……」

「これは『(よう)(へん)天目(てんもく)』と呼ばれる焼き物だ。虹色の階層と、渦を描いたような模様が特徴になっている。百年前に一華国の名工、(さい)(けい)が編み出したものだ」


 深い青が、釉薬の影響なのかところどころ銀色に輝いて見える。それがまるで、星空のようだった。さらに、ずっと見ていると、吸い込まれそうになるほど美しい焼き物だった。銀鈴は、ほうっとため息を漏らす。


「綺麗ですね。瑠璃に銀の砂を巻いたみたい」

「製法は不明だ。口伝のみで伝えられるため、どんな技法でつくられているかは不明らしい」


 桃李がそう付け加えた。


「へえ」


 銀鈴は焼き物をしげしげと見た。この青はどうやって出すのだろう。


(こんな色の絹糸があればなあ……)


 茶碗は、見る角度によって輝きを変えた。だから見飽きないのだ、と銀鈴は思う。


「これっていくらするんですか?」


 銀鈴の問いに、桃李は片手を広げて見せた。五万令(りょう)だろうか。銀鈴には大金だが、もっとするものだと思っていた。


「最低五億令」

「ごおく!?」


 五億令といったら、陽家一家が一生遊んで暮らしてもまだ余るほどの値だ。


「安い方だ。一華国では、曜変天目は不吉の印とされ、祭敬の死後ほとんど壊された。ただ他国では権威の象徴となっていて、これを手に入れるべく、戦争が起こったこともあるらしい」

「……」


 銀鈴はそろそろと曜変天目から離れた。


「所持した人間には、必ず災いが降りかかる──それがこの器だ」

「な、なんでそんな不吉なものを」

「不吉だからだよ」


 夾月が口を開いた。


「不吉なものが好きなんだ。色々集めてるんだよ。見て」


 彼は小さな壺を取り出した。うっとりした顔でそれを見つめる。


「これ、国を滅ぼした妖狐の歯が入ってるんだ。素敵でしょう?」

「素敵……?」


 顔を引きつらせる銀鈴。と、喜栄が割り込んできた。


「そんなものよりすごい品物がうちにはたくさんあるぞ!」


 勢いあまったせいで、卓に身体がぶつかる。ぐらついた陽変天目が、卓の縁へと転がっていく。ああっ、五億がっ!


「ギャー!」


 銀鈴は慌てて手を伸ばし、茶碗を受けとめた。喜栄に向かって叫ぶ。


「何してるんですかこのバカ息子!」

「息子じゃない! 俺はすでに当主なんだからな!」

「じゃあ馬鹿当主! ああもうっ……」


 茶碗を木箱に戻そうとしたら、かすかに底が光った気がした。濃い瑠璃色の底に、まるで満月のような円が浮かび上がる。


(え……)


 銀鈴は茶碗を傾け、もう一度眺める。しかし、先ほどのような円はもう見えなかった。


「あれ?」

「どうかしたか銀鈴」

「なにかいま、見えたような」

「茶碗なんか見ても変わらないぞ。それより、俺を見ろ! 見れば見るほどいい男だろ!」


 銀鈴は喜栄の言葉を無視し、丁寧に茶碗を包みなおした。


「喜栄さまのいるところで開けるのは危ないです」

「みたいだね」


 肩をすくめた喜栄は、茶碗を棚にしまう。にっこり笑い、


「いい品をありがとう、明月亭さん」


 懐から袋を取り出した。


「これ、とりあえず手附金。残りは下の者が渡しに行くと思うよ」

「ありがとうございます」


 桃李は懐に金を入れて、銀鈴へと目をやった。


「ところで、彼女は夾月さまの下にいるのですか?」

「いいや? 化け猫のお世話をしてるんだ。ねえ、銀鈴」

「ええ、まあ」

「化け猫?」


 夾月は指を二本出し、


「僕は、王妃の二番目の子供なんだよね。なのになぜ王位継承者なのかっていうと、兄に『金華猫』って化け猫がついてるから」

「金華猫……?」


 その言葉を聞いて、みんなに無視されていた喜栄が食いついた。


「知っているぞ! 月夜に巨大化して暴れる猫だろう! これまた巨大化した異星人が、でっかい針を用いて調伏するんだ。ただその異星人は、いっときしか巨大化できず」

「なんか色々と混じってますよ!」

「なるほど。面白いね、それ。戯作本(げさくほん)を作ったら売れそう」


 夾月はあはは、と笑っている。桃李が思案するように、唇に手を当てた。


「つまり……夾月さまの兄上は、妖憑きゆえに王位を継げないと?」

「そう。かわいそうだよね、金華兄上も」


 銀鈴は、金華がどうしているか気になってきた。


「私、そろそろ失礼します」

「あっ、銀鈴」


 喜栄が呼び止めようと声をかけてくるが、構わずに外に出た。足音がついてきたので、喜栄かと思って振り向くと、桃李が立っていた。こないだのことを思うと、面と向かって話すのは気まずい。


「なんですか?」

「例の巾着。まだ頂いていないのだが」


 銀鈴はむっとした。なんなのだ、今更。


「忌み子が作ったものは売れないんでしょう」


 つい嫌みな言い方をしてしまう。彼はじっとこちらを見つめた。


「なぜ王宮に?」

「お針子になるためです。金華──夾月さまの兄上は、縫糸部を管理されてるんです」

「冷遇されている王子に付いてどうなる?」

「冷遇されてるから、彼は私を理解してくれるんです」

「……たとえなれても、風向きは厳しいだろう。あなたの腕は確かだ。どうしてもお針子になりたいのなら、この国を出るのが一番ではないか」

「そんなこと、とうに考えました。でもどうやって? 家族もいるのに、みだりに渡航はできません」

「私は仕事の都合上、買い付けでよく外国へ行く。四人くらいなら、貿易船に乗せられる」


 銀鈴は、拳をぎゅっと握りしめた。


「忌み子は出て行けってことですか?」

「そうは言っていない。王宮はあなたのようなじゃじゃ馬が気楽に過ごせる場所では……」

「じゃじゃ馬って言うなっ!」


 銀鈴が叫ぶと、桃李が口をつぐんだ。彼は珍しく、言葉を探しているようだった。


「私は、あなたの腕が無駄になることを案じて言っているんだ」

「案じていただかなくて結構よ。明月亭にとって、私の品物はもう商品価値がないんでしょう」


 桃李は眉をぎゅっとしかめた。


「話の通じない娘だ、あなたは」

「ええ。通じ合えないし、会話しても無駄ですね!」


 桃李の表情を見ずに、銀鈴はずかずか歩き出した。やっぱりあの人、他人の気持ちなんてまったく考えていないのだ。


 しばらく歩いていくと、荘園の池にかけられた橋のうえ、金華がたたずんでいた。鯉が跳ねて、水面に波紋ができた。と同時に、憂いを帯びた横顔がこちらへ動く。金華の頭に包帯が巻かれているのを見て、銀鈴はギョッとした。


「金華さまっ!」

「うおっ」


 駆け寄って腕を掴むと、金華が目を見張る。


「なんだ、どうした」

「金華さまこそその頭っ」

「ああ……ぼうっとしてたら軒下にぶつけた」


 彼は目をそらしながら言った。絶対に嘘だ。


「それくらいで怪我しませんよ!」

「疑い深いやつだな」


 金華は銀鈴のほおに触れ、ぐい、と引っ張る。


「なにふるんへふは」

「こないだの仕返しだ」

「やめへふははひ」


 彼はぐいぐいと銀鈴のほおを引っ張る。


「やめてってば!」


 手を押しのけたら、金華が笑った。ぱしゃん、と鯉が跳ねる音がする。


「……話してくれないんですか」


 銀鈴が唇を噛んだら、金華の指が頬に触れた。


「なにかあったのか?」

「……お針子になりたいなら、国を出ろって言われました」


 銀鈴はぎゅっとこぶしを握り締め、悔しいです、と言った。自分の居場所すら、他人に指図されるなんて。


「でも、あの人の言うことは正しいのかもしれない」

「おまえはどうしたいんだ?」

「私は、この国でお針子になりたいです。だって、ここが故郷だから」

「なら、ここにいろ」


 銀鈴は顔をあげた。金華がこちらを見つめて、ふ、と笑う。


「おまえがいなくなったら、つまらない」


 不覚にも、その言葉が嬉しかった。銀鈴は胸を張って言う。


「もちろん、私はずっと陽華国にいるつもりです」

「なら梅干しみたいな顔をするなよ」

「してません。なんなんですか、みんなしてじゃじゃ馬だの梅干しだの」


 銀鈴はむくれる。じゃじゃ馬なんて言ってないがな。金華はそうつぶやき、


「というか、おまえでも悩むんだな」

「当たり前でしょう。人をなんだと思ってるんですか」

「暑苦しいお針子娘」


 むっとして睨むと、彼がまた笑った。その笑いが、だんだん消えていく。


「金華さま……?」

「父上と話をした」


 父上──この国の国王だ。金華は足元の石を拾い上げ、池に投げ込む。餌だと勘違いしたのか、鯉が波紋に群れた。


「手紙はおまえが書いたのか、と尋ねられたから、違うと答えた。なら誰が書いたというんだ、と父上はまた尋ねた」

「そ、れで?」

「俺はこう言った。『知らない。王になりたいと思ったこともない』って」

「そ、そんなこと言って大丈夫だったんですか」

「さあな──官吏たちはざわついてた。俺はさらに生意気を言って国王を怒らせて、こうなったわけだ」


 彼は自身の頭部を指さす。


「いったい何を言ったんです?」

「まあ、王たる者とはなにか、みたいなことだ」


 金華は曖昧な言い方をした。


「それで、しばらく蟄居しろ、だと」

「……でも、誰がそんなことをしたんでしょう」


 銀鈴は眉をしかめる。うその手紙で金華を陥れるだなんて。


「さあな。よっぽど暇なやつだろ」


 そう言って、金華は銀鈴の持つ梅を見た。


「それは? 散歩の戦利品か?」

「あ、はい、夾月さまにいただきました」

「……夾月?」

「はい。びっくりしました。あの方が金華さまの弟君だとは」


 金華は何かを考えている。


「金華さま?」

「兄弟は好みが似るのか……」

「はい?」


 キョトンとしていたら、また頰を引っ張られた。

 引っ張っていた頰を、金華がそっと撫でる。切れ長の瞳が、こちらを見つめた。


「どこにも、行くなよ」

「金華、さま……?」


 金華は、頰からするりと手を引いた。さっさと歩き出す金華に、銀鈴は足早についていく。


「ちょ、なんなんですか、金華さま!」


 金華がいきなり立ち止まったせいで、思い切り背中にぶつかってしまう。


「ぶっ」


 顔をさすりながら、銀鈴は呻いた。


「……」


 銀鈴は、金華の肩越しに彼の目線を追った。女官を引き連れた女性が、こちらにやってくる。豊かな黒い髪に、真っ白な肌。赤の着物に白い上衣をまとった彼女は、まるで天女のようだ。


(きれいな方……)


 ぼうっと見とれていたら、金華が銀鈴の腕を引いた。その手が震えていたので、銀鈴は彼を見上げる。


(金華さま……?)


 すれ違いざま、女性が囁いた。


「まだ生きていたのね」


 かすかに、金華が身じろぎした。女性は、女官を引き連れ、音もなく橋を渡りきった。


「金華さま、あの方は」

(こう)()()。母親だ、俺の」


 金華はそう言い、銀鈴の手を引いた。振り向くと、すでに女性の姿はなかった。

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