15
夾月が向かったのは、大宮殿の近くにある「天華殿」だった。将来政務を行う世継ぎが住むため、大宮殿に近い場所に建てられている。天華殿に入った夾月は、使用人の淹れたお茶を勧めてきた。
「どうぞ」
「待て、俺が冷ましてやろう」
銀鈴に出されたお茶を、喜栄がふうふうと冷ましている。夾月は、物珍しそうな目で喜栄を眺めた。
「君は銀鈴とどれくらいの付き合いなの?」
「聞いて驚くがいい、五年だ!」
喜栄が自慢げに片手を突き出した。夾月がへえ、と相槌を打つ。
「そんなに長くないね」
「なにをっ。桃栗三年柿八年と言うだろう! 少なくとも桃は実っている!」
「栗は実ってないし。五年も付き合いがあって進展なしって、見込みないよね」
「うぐううう、そんなことないぞ!」
夾月は笑顔で、半泣きの喜栄をいなしている。銀鈴は、桃李にぼそっとつぶやく。
「すごいですね、喜栄さま。一国の王子にタメ口とは」
「喜栄さまは、自分こそが世界の中心だと思ってらっしゃるからな」
「……どんな暴君ですか」
ある意味、羨ましいほど自分本位なのだろう。喜栄という男は。
「ところで、例のものは持ってきてくれたかな」
喜栄をからかうのに飽きたのか、夾月が問うた。
「はい」
桃李は、はらりとふろしきをほどいた。中には両手で覆えるくらいの木箱が入っている。銀鈴は現れた品物を見て、目を輝かせた。
「わあ……」
「これは『曜変天目』と呼ばれる焼き物だ。虹色の階層と、渦を描いたような模様が特徴になっている。百年前に一華国の名工、祭敬が編み出したものだ」
深い青が、釉薬の影響なのかところどころ銀色に輝いて見える。それがまるで、星空のようだった。さらに、ずっと見ていると、吸い込まれそうになるほど美しい焼き物だった。銀鈴は、ほうっとため息を漏らす。
「綺麗ですね。瑠璃に銀の砂を巻いたみたい」
「製法は不明だ。口伝のみで伝えられるため、どんな技法でつくられているかは不明らしい」
桃李がそう付け加えた。
「へえ」
銀鈴は焼き物をしげしげと見た。この青はどうやって出すのだろう。
(こんな色の絹糸があればなあ……)
茶碗は、見る角度によって輝きを変えた。だから見飽きないのだ、と銀鈴は思う。
「これっていくらするんですか?」
銀鈴の問いに、桃李は片手を広げて見せた。五万令だろうか。銀鈴には大金だが、もっとするものだと思っていた。
「最低五億令」
「ごおく!?」
五億令といったら、陽家一家が一生遊んで暮らしてもまだ余るほどの値だ。
「安い方だ。一華国では、曜変天目は不吉の印とされ、祭敬の死後ほとんど壊された。ただ他国では権威の象徴となっていて、これを手に入れるべく、戦争が起こったこともあるらしい」
「……」
銀鈴はそろそろと曜変天目から離れた。
「所持した人間には、必ず災いが降りかかる──それがこの器だ」
「な、なんでそんな不吉なものを」
「不吉だからだよ」
夾月が口を開いた。
「不吉なものが好きなんだ。色々集めてるんだよ。見て」
彼は小さな壺を取り出した。うっとりした顔でそれを見つめる。
「これ、国を滅ぼした妖狐の歯が入ってるんだ。素敵でしょう?」
「素敵……?」
顔を引きつらせる銀鈴。と、喜栄が割り込んできた。
「そんなものよりすごい品物がうちにはたくさんあるぞ!」
勢いあまったせいで、卓に身体がぶつかる。ぐらついた陽変天目が、卓の縁へと転がっていく。ああっ、五億がっ!
「ギャー!」
銀鈴は慌てて手を伸ばし、茶碗を受けとめた。喜栄に向かって叫ぶ。
「何してるんですかこのバカ息子!」
「息子じゃない! 俺はすでに当主なんだからな!」
「じゃあ馬鹿当主! ああもうっ……」
茶碗を木箱に戻そうとしたら、かすかに底が光った気がした。濃い瑠璃色の底に、まるで満月のような円が浮かび上がる。
(え……)
銀鈴は茶碗を傾け、もう一度眺める。しかし、先ほどのような円はもう見えなかった。
「あれ?」
「どうかしたか銀鈴」
「なにかいま、見えたような」
「茶碗なんか見ても変わらないぞ。それより、俺を見ろ! 見れば見るほどいい男だろ!」
銀鈴は喜栄の言葉を無視し、丁寧に茶碗を包みなおした。
「喜栄さまのいるところで開けるのは危ないです」
「みたいだね」
肩をすくめた喜栄は、茶碗を棚にしまう。にっこり笑い、
「いい品をありがとう、明月亭さん」
懐から袋を取り出した。
「これ、とりあえず手附金。残りは下の者が渡しに行くと思うよ」
「ありがとうございます」
桃李は懐に金を入れて、銀鈴へと目をやった。
「ところで、彼女は夾月さまの下にいるのですか?」
「いいや? 化け猫のお世話をしてるんだ。ねえ、銀鈴」
「ええ、まあ」
「化け猫?」
夾月は指を二本出し、
「僕は、王妃の二番目の子供なんだよね。なのになぜ王位継承者なのかっていうと、兄に『金華猫』って化け猫がついてるから」
「金華猫……?」
その言葉を聞いて、みんなに無視されていた喜栄が食いついた。
「知っているぞ! 月夜に巨大化して暴れる猫だろう! これまた巨大化した異星人が、でっかい針を用いて調伏するんだ。ただその異星人は、いっときしか巨大化できず」
「なんか色々と混じってますよ!」
「なるほど。面白いね、それ。戯作本を作ったら売れそう」
夾月はあはは、と笑っている。桃李が思案するように、唇に手を当てた。
「つまり……夾月さまの兄上は、妖憑きゆえに王位を継げないと?」
「そう。かわいそうだよね、金華兄上も」
銀鈴は、金華がどうしているか気になってきた。
「私、そろそろ失礼します」
「あっ、銀鈴」
喜栄が呼び止めようと声をかけてくるが、構わずに外に出た。足音がついてきたので、喜栄かと思って振り向くと、桃李が立っていた。こないだのことを思うと、面と向かって話すのは気まずい。
「なんですか?」
「例の巾着。まだ頂いていないのだが」
銀鈴はむっとした。なんなのだ、今更。
「忌み子が作ったものは売れないんでしょう」
つい嫌みな言い方をしてしまう。彼はじっとこちらを見つめた。
「なぜ王宮に?」
「お針子になるためです。金華──夾月さまの兄上は、縫糸部を管理されてるんです」
「冷遇されている王子に付いてどうなる?」
「冷遇されてるから、彼は私を理解してくれるんです」
「……たとえなれても、風向きは厳しいだろう。あなたの腕は確かだ。どうしてもお針子になりたいのなら、この国を出るのが一番ではないか」
「そんなこと、とうに考えました。でもどうやって? 家族もいるのに、みだりに渡航はできません」
「私は仕事の都合上、買い付けでよく外国へ行く。四人くらいなら、貿易船に乗せられる」
銀鈴は、拳をぎゅっと握りしめた。
「忌み子は出て行けってことですか?」
「そうは言っていない。王宮はあなたのようなじゃじゃ馬が気楽に過ごせる場所では……」
「じゃじゃ馬って言うなっ!」
銀鈴が叫ぶと、桃李が口をつぐんだ。彼は珍しく、言葉を探しているようだった。
「私は、あなたの腕が無駄になることを案じて言っているんだ」
「案じていただかなくて結構よ。明月亭にとって、私の品物はもう商品価値がないんでしょう」
桃李は眉をぎゅっとしかめた。
「話の通じない娘だ、あなたは」
「ええ。通じ合えないし、会話しても無駄ですね!」
桃李の表情を見ずに、銀鈴はずかずか歩き出した。やっぱりあの人、他人の気持ちなんてまったく考えていないのだ。
しばらく歩いていくと、荘園の池にかけられた橋のうえ、金華がたたずんでいた。鯉が跳ねて、水面に波紋ができた。と同時に、憂いを帯びた横顔がこちらへ動く。金華の頭に包帯が巻かれているのを見て、銀鈴はギョッとした。
「金華さまっ!」
「うおっ」
駆け寄って腕を掴むと、金華が目を見張る。
「なんだ、どうした」
「金華さまこそその頭っ」
「ああ……ぼうっとしてたら軒下にぶつけた」
彼は目をそらしながら言った。絶対に嘘だ。
「それくらいで怪我しませんよ!」
「疑い深いやつだな」
金華は銀鈴のほおに触れ、ぐい、と引っ張る。
「なにふるんへふは」
「こないだの仕返しだ」
「やめへふははひ」
彼はぐいぐいと銀鈴のほおを引っ張る。
「やめてってば!」
手を押しのけたら、金華が笑った。ぱしゃん、と鯉が跳ねる音がする。
「……話してくれないんですか」
銀鈴が唇を噛んだら、金華の指が頬に触れた。
「なにかあったのか?」
「……お針子になりたいなら、国を出ろって言われました」
銀鈴はぎゅっとこぶしを握り締め、悔しいです、と言った。自分の居場所すら、他人に指図されるなんて。
「でも、あの人の言うことは正しいのかもしれない」
「おまえはどうしたいんだ?」
「私は、この国でお針子になりたいです。だって、ここが故郷だから」
「なら、ここにいろ」
銀鈴は顔をあげた。金華がこちらを見つめて、ふ、と笑う。
「おまえがいなくなったら、つまらない」
不覚にも、その言葉が嬉しかった。銀鈴は胸を張って言う。
「もちろん、私はずっと陽華国にいるつもりです」
「なら梅干しみたいな顔をするなよ」
「してません。なんなんですか、みんなしてじゃじゃ馬だの梅干しだの」
銀鈴はむくれる。じゃじゃ馬なんて言ってないがな。金華はそうつぶやき、
「というか、おまえでも悩むんだな」
「当たり前でしょう。人をなんだと思ってるんですか」
「暑苦しいお針子娘」
むっとして睨むと、彼がまた笑った。その笑いが、だんだん消えていく。
「金華さま……?」
「父上と話をした」
父上──この国の国王だ。金華は足元の石を拾い上げ、池に投げ込む。餌だと勘違いしたのか、鯉が波紋に群れた。
「手紙はおまえが書いたのか、と尋ねられたから、違うと答えた。なら誰が書いたというんだ、と父上はまた尋ねた」
「そ、れで?」
「俺はこう言った。『知らない。王になりたいと思ったこともない』って」
「そ、そんなこと言って大丈夫だったんですか」
「さあな──官吏たちはざわついてた。俺はさらに生意気を言って国王を怒らせて、こうなったわけだ」
彼は自身の頭部を指さす。
「いったい何を言ったんです?」
「まあ、王たる者とはなにか、みたいなことだ」
金華は曖昧な言い方をした。
「それで、しばらく蟄居しろ、だと」
「……でも、誰がそんなことをしたんでしょう」
銀鈴は眉をしかめる。うその手紙で金華を陥れるだなんて。
「さあな。よっぽど暇なやつだろ」
そう言って、金華は銀鈴の持つ梅を見た。
「それは? 散歩の戦利品か?」
「あ、はい、夾月さまにいただきました」
「……夾月?」
「はい。びっくりしました。あの方が金華さまの弟君だとは」
金華は何かを考えている。
「金華さま?」
「兄弟は好みが似るのか……」
「はい?」
キョトンとしていたら、また頰を引っ張られた。
引っ張っていた頰を、金華がそっと撫でる。切れ長の瞳が、こちらを見つめた。
「どこにも、行くなよ」
「金華、さま……?」
金華は、頰からするりと手を引いた。さっさと歩き出す金華に、銀鈴は足早についていく。
「ちょ、なんなんですか、金華さま!」
金華がいきなり立ち止まったせいで、思い切り背中にぶつかってしまう。
「ぶっ」
顔をさすりながら、銀鈴は呻いた。
「……」
銀鈴は、金華の肩越しに彼の目線を追った。女官を引き連れた女性が、こちらにやってくる。豊かな黒い髪に、真っ白な肌。赤の着物に白い上衣をまとった彼女は、まるで天女のようだ。
(きれいな方……)
ぼうっと見とれていたら、金華が銀鈴の腕を引いた。その手が震えていたので、銀鈴は彼を見上げる。
(金華さま……?)
すれ違いざま、女性が囁いた。
「まだ生きていたのね」
かすかに、金華が身じろぎした。女性は、女官を引き連れ、音もなく橋を渡りきった。
「金華さま、あの方は」
「紅紀妃。母親だ、俺の」
金華はそう言い、銀鈴の手を引いた。振り向くと、すでに女性の姿はなかった。