14
「来ないなあ、二人とも……」
銀鈴は月籠庵の前に立ち、金華と英俊の帰りを待っていた。会議が長引いているのだろうか? それとも何かあったとか……。ふと、背後で戸の開く音がした。杖をついて、祖母がこちらへやってくる。
「さっきから何をうろうろしてるんだい、銀鈴」
「あ、婆様。金華さまたちが謁見しに行ったきり帰ってこなくて」
「ふん。打ち首にでもなったのかね」
「そんなこと言わないでよ、縁起でもない」
──そうだ、もうすぐ見頃も終わってしまうことだし、梅を調達しよう。こないだ飾った椿の花は、枯れかけているし。
「ちょっと梅林に行ってくるね」
銀鈴は祖母と別れ、竹林を歩いて行った。竹林を抜けて、荘園の方へ歩いて行く。そうして、荘園内にある梅林へと足を踏み入れた。紅白の梅が咲き、甘い匂いが漂っている。
銀鈴が下に落ちている枝を拾おうとしたら、ぱきり、と音がした。一瞬、金華かと思う。
「やあ、また会ったね」
振り向くと、梅の枝を片手にした少年が立っていた。夾竹桃の東屋にいた少年だ。
「こんにちは」
彼は銀鈴に枝を差し出し、
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます……でも、折らずともよかったのに」
「どうして?」
「梅がかわいそうです」
彼は目を瞬き、くすりと笑った。
「面白いことを言うね。植物に感情があるみたいな言い方だ」
「感情があるかはわかりませんが、痛みはあると思います」
「そうなんだ。知らなかった。ごめんね」
彼は梅を見上げ、謝っている。不思議な少年だ。それに、やっぱり誰かに似ているような気がした。梅を見る横顔が特に。脳裏に、くあ、とあくびする猫が浮かぶ。そうか、金華だ。銀鈴は合点した。美しい横顔が、ふっ、とこちらを向く。
「おいで」
「え? わ」
少年は、銀鈴の手を引いて歩き出した。少年と銀鈴が共にいるのを見て、すれ違った人々がギョッとする。もしかして、どこかの豪族の息子とか?
「あの、どこに行くんですか?」
「僕の隠れ家」
少年が向かったのは、夾竹桃の東屋だった。彼は東屋に銀鈴を座らせ、
「六月になるとね、夾竹桃が花を咲かせるんだ」
「さぞ綺麗でしょうね」
「僕はね、六月に咲く花が好き。紫陽花、夾竹桃。どちらも冷たくて美しい感じがするでしょう?」
「冷たい……ですか?」
そう思うのは、雨の季節だからなのだろうか。
「誰かをここに連れてきたのは君が初めて。どうしてかな」
彼はじいっ、とこちらを見た。銀鈴の髪に手を伸ばす。
「髪も目も、珍しい色だね。名前も変わってるのかな」
「私は……」
「ああ、待って。名前、当ててみようか」
「え?」
銀鈴は目を瞬いた。少年が言う。
「三回で当てられたら、僕のお嫁さんになるっていうのはどうかな」
愛人の次はお嫁さんときたか。銀鈴はから笑いをする。夾月は、さらりと銀髪を梳いた。
「綺麗な髪だね。こんな色の髪があるんだ」
「銀明、とか?」
「惜しいです」
「そう? あと二回だね」
銀鈴が手にした梅に、彼は目をやる。
「花が似合うから、銀花」
「違います」
「ありゃ。意外と当たらないね」
彼は銀鈴を上から下まで見た。
「君の名前は──」
「銀鈴!」
その声に、銀鈴はハッとした。こちらにだれかが駆けてくるのが見える。ん? あのアホそうな人影は、もしや……。
「げっ、喜栄!」
思わず敬称を忘れる銀鈴であった。
「銀鈴〜! 会いたかったぞ」
銀鈴は反射的に喜栄を避けた。喜栄は東屋の縁を乗り越え、夾竹桃に突っ込む。喜栄ぎゃー! と叫んだ。
少年が軽く声をかけた。
「夾竹桃は毒があるから、早く出たほうがいいよ」
またぎゃー、と悲鳴が上がる。うるさいなあ、と少年が言う。銀鈴は心の中で同意した。のろのろと身を起こした喜栄が、こちらにやってくる。
「うう……銀鈴、死ぬ前に接吻してくれ」
うー、と唇を尖らせ、顔を寄せてきた喜栄を、銀鈴は思い切り押しのけた。
「大丈夫ですよ、刺さってないから!」
ふと、こちらに歩いてくる人物に気づいて、銀鈴は目を瞬いた。真っ黒な服をまとった、長身の男。
「あ、桃李さん……」
彼は銀鈴をジロジロ見て、眉を寄せた。
「何をしてるんだ……あなたは。不法侵入か?」
「違います。あなたたちこそ何してるんですか」
「もちろんだ」
桃李は風呂敷に包まれたものを差し出した。何が入っているのだろう。形状からして壺だろうか。
「君たちが『明月亭』か。遅かったね」
少年の言葉に、桃李が頭を下げた。
「お初にお目にかかります、夾月さま」
夾月というのか、この少年は。そう思った銀鈴は、次の言葉に驚かされた。
「お世継ぎになることが決まったそうで。おめでとうございます」
つまり彼は──金華の弟? どうりで似ているわけだ。納得している銀鈴に、夾月が微笑んだ。その笑みに、色ボケ猫を思い出す。
「じゃあ、私はこれで失礼します」
銀鈴が立ち上がりかけると、夾月がさりげなくその手をとった。
「待って。君も一緒にお茶でも飲もうよ」
「いえ、私は金華さまのところに」
「お世話係だから? 忌み子って大変だね。しなくていい努力ばかりして」
──そういえば、金華は忌み子、という呼び方をまったくしなかったな。
「いいえ、大変じゃないです。金華さまは、悪い人じゃないですから」
その言葉を聞いて、夾月が目を細めた。
「少しくらい離れていても大丈夫だろう? 子供じゃないんだから」
反対側の手を喜栄が掴む。
「銀鈴の手を握っていいのはこの俺、班喜栄だけだ!」
「あなたは既婚者でしょうがっ!」
思わず突っ込む銀鈴。というか、世継ぎである夾月にタメ口とは、恐れ知らずのあんぽんたんである。
「へえ、恋人がいるんだ。じゃあ片手ずつ繋ごう」
「いえ、恋人じゃないし愛人でもありません」
「らしいけど?」
「愛人(予定)だ!」
銀鈴は、喜栄と夾月に手を掴まれたまま歩き出した。なんなんだ、この状況は。桃李はひとり素知らぬ顔で荷物を抱えている。
(私があの荷物を持つ係になりたい……)
銀鈴は羨望の眼差しで桃李を見た。