13
皇金華は、大宮殿の前に立っていた。傍らには英俊がいる。彼は金華を伺うようにして尋ねてきた。
「大丈夫ですか? 金華さま……」
「正直今すぐ月籠庵に帰りたいが、大丈夫だ」
長い間引きこもり生活をしていた自分に、この状況は応える。傍らの英俊が、こんなに頼もしく思えるとは。
「無実なんですから、堂々としていれば大丈夫ですよ」
「ああ」
金華は英俊と共に大宮殿へ入った。階段を登り、入り口を抜けて大きな広間へと入っていく。朱塗りの柱に支えられた広間には、官吏たちが集まっている。
天井に描かれているのは大きな牡丹の花だ。金華がその花を見上げていたら、男たちがこちらへ近づいてきた。
「金華さま! 世継ぎに関して奏上したというのは本当なのですか」
そう言ったのは眼鏡の琢磨。
「ゲホゲホ、琢磨殿のいう通りです。我々は聞いておりませんぞ……ゴホ」
次に口を開いたのは、顔色の悪い迫眞だ。
「それに〜陽銀鈴を宮廷に入れたのも問題だと思いま〜す」
最後にそう言ったのはタレ目の呂宋だ。
金華は胡乱な目で三人を見た。
「縫糸部三人衆……」
三人の顔に書いてあることは同じだった。「私たちに飛び火したらどうしてくれるのだ!」という言葉である。金華は冷めた声で、
「心配するな。おまえたちには関わりない」
「そうですかねえ」
英俊がおっとりと口を開いた。
「縫糸殿で扱われるすべての品はお三方の管理下で扱われますから、手紙に気づかなかった時点で責められるのは必定では?」
三人が絶句した。英俊はにこりと笑った。
「ですから、金華さまが困ったら補助をお願いしますね」
「ほ……補助?」
「はい」
三人衆は補助、補助、とつぶやきながら、顔を見合わせている。まったく頼りにならなさそうだ、と金華は思った。
「王様の、おなーりー」
入り口から掛け声がして、官吏たちが一斉に頭を下げた。
「ほらほら、位置に戻って」
英俊に言われ、三人が慌てて列にもどる。金華は頭を下げたまま、英俊に小声で問いかけた。
「なあ、あんな脅しをする必要があったのか?」
英俊も抵頭したまま答える。
「味方は多い方がいいでしょう?」
たしかに。この状況は圧倒的に金華が不利だ。国王が玉座へと歩いていく。席に着き、口を開いた。
「──おもてをあげよ」
その場にいた人々が、一斉に顔を上げた。金華は、十二年ぶりに父の姿を目の当たりにする。この男が父親だ、と言われても、あまり実感がない。血の繋がりもあまり感じない。陽華国の国王は、金華を見下ろし、
「息災のようだな、金華」
それは、石ころを見るような目だった。まだ生きていたのかと、内心思っているのだろう。
「はい、陛下のご厚意ゆえです」
「本日は、朝貢品に添えられていた手紙について、おまえに問いただしたい」
臣下がやってきて、国王に低頭した。彼は懐から書状を取り出して、開いた。高らかに読み上げる。
「陛下、私の話をどうかお聞き届けください。私は嫡男にもかかわらず、暗い竹やぶの中に押し込められています。私には国を継ぐ第一の権限があります。どうか私の王位継承権をお認めいただきたく存じます──皇金華」
国王は、臣下に顎をしゃくった。臣下は、こちらに手紙を持ってきた。金華は手紙を手にして読んだ。自分の字によく似ている。花押も確かに金華が使っているものだ。
金華は手紙から目を離し、父親に目をやった。
「これを書いたのは私ではありません」
場がざわついた。国王は鼻を鳴らす。
「それをどうやって証明するのだ」
証明などしようもない。ただ、確かなことが一つあった。
「私には王位継承権など必要ないからです」
金華の発言に、周りがさらにざわついた。
「誰もが国王になりたいわけではないのです。私には一国の主など向いていない。今の立場に不満もありません」
国王が苛立ちをあらわにした。
「賢しらな……では、誰がこれを書いたというのだ」
「わかりません」
「わからないとはどういうことだ」
「そのままの意味です」
その時、列からゴホゴホ、と咳き込む声が聞こえた。国王はそちらを睨みつけ、
「……なんだ、何か申したいことでもあるのか」
視線を受けた迫眞は、びくりと身体を震わせた。ほか二人に突かれて、震えながら発言する。
「はいっ、あ、ええ……金華さまのことはそれなりに存じておりますが、政務にはかなり消極的なお方でして」
「猫を被ってるのかもしれないよ」
その声に、金華はハッとした。振り向くと、一人の少年が立っている。
「夾月……」
彼はゆるく笑った。
「お久しぶり、兄さん」
「夾月、来るのが遅いぞ。重要な会議を放って何をしていた」
「申し訳ありません、父上」
夾月は優雅な足取りで歩いてきて、最前列に並んだ。
「猫を被っているとは、どういう意味なのでしょう、夾月さま」
英俊がにこやかに尋ねる。夾月は顎に指をあてた。
「んー、できないふりで油断させて、実は裏があるってひと結構いるじゃない?」
「ふり、ですか。少なくとも、金華さまは最近まで本当にやる気がありませんでしたが」
「最近?」
夾月は首を傾げ、ああ、と声を漏らした。
「そういえば、兄上には新しいお世話係ができたんだったね。なんだっけ、名前は……」
「銀鈴は関係ない」
「そうそう、そんな名前。綺麗な子だよね。変わった目と髪の色だけど」
「変わった目?」
国王の問いに、夾月がにこりと笑った。
「忌み子なんだよ、彼女」
またざわつきが大きくなる。
「なんだと……それは誠か、英俊」
「はい、王様。彼女はとてもよく働いてくれます」
今まで口を出さなかった臣下たちが、一斉に声を上げ始めた。
「信じられぬ。それこそ反逆行為ではないですか!」
「そうです、先だって忌み子を規制する法律が決まったばかりだというのに!」
臣下たちの声を遮り、金華は口を開いた。
「銀鈴は」
周囲から視線がそそぐ。
「彼女は……お針子になりたいのです。ただそれだけです」
「忌み子がお針子などと、例がない」
「例はなくとも、彼女にはその力があります。だから王宮に入れた」
「おまえになんの得がある。その娘を引き入れたのは、私に歯向かうためではないのか」
国王の言葉に、私が彼女を落としたのです、と金華は答えた。
「忌み子がどうなろうと、自分には関係ないと思っていた。だが、人と違うことで差別されているのは私も同じだ」
自分は仕方がない。金華はそう思っていた。化け物を宿し、色ボケ猫と呼ばれ、ただあの月籠庵でくすぶっている。だが銀鈴は違う。銀鈴は、夢を叶えるのに一生懸命だ。その気持ちを汲んでやりたい。金華にできるのはそれだけだ。
「彼女は、八回お針子試験に落ちた。十八歳になる来年が最後の機会だ」
金華は頭を下げた。
「陛下、あの法案を見直してください。どんな髪でも、どんな目の色でも、好きなことをできる権利を与えてやってくださいませんか」
その場がしん、とした。国王は、じっと金華を見据えていた。金華も彼を見返す。こんなにも父と長く見つめあったのは始めてかもしれなかった。
「追い出せ」
その言葉に、金華は目を見開いた。
「おまえに逆心がないというなら、その娘を追い出せ。そうすれば、手紙のことは水に流す」
「できません」
「なぜだ……たかが忌み子ひとりだろう」
父のようにただ玉座に座っているだけではわからないのだろう。以前のように政務から逃げていたら、銀鈴の苦悩も理解できなかっただろう。
「王は万民の父。人民はすべて我が子なり」
金華は、昔読んだ書物の一節を諳んじた。英俊がこちらを見る。
「陽銀鈴も陽華国の民です。他の民と同じように、愛し、守ってやってください」
かっとなった国王が、足置きをつかんだ。それを金華めがけて投げつける。動こうとした英俊を、金華は留めた。足置きは金華の額にぶつかり、重い音を立てて足元に転がった。
傷ついた額から、ぽたり、と鮮血が滴る。琢磨、迫眞、呂宋が互いに抱き合い、小さく悲鳴をあげた。
「おまえは一体何様のつもりなのだ!」
国王が真っ赤になって激昂する。剣を抜こうとしている国王を、臣下たちが慌ててなだめている。
「陛下、どうかお気を鎮めてください」
夾月は、至極冷たい目で父親を見ていた。金華はそんな弟に視線をやる。──あんな目をするようになったのか。十二年ぶりだからなのか、違う人間のように思えた。
「金華さま、大丈夫ですか」
英俊が手巾を取り出して、金華の額に当てた。じわじわと血が滲んでいく感覚を味わう。久しぶりだな、この痛みは。金華はそう思った。ずっと安全な場所にいた。誰にも気にかけられない代わりに、傷つくこともない場所に。
国王は再び玉座に座り、血走った目でこちらを見た。
「しばらく蟄居せよ」
しばらくとはどのくらいなのか。そう問い返すことはしなかった。そんなことを尋ねるのは、火に油というものだ。
「かしこまりました」
金華は頭を下げ、歩き出した。出血しているからなのか、少しふらつく。英俊がぴたりとついてきて、典薬寮に行きましょう、と囁いた。典薬寮とは、医官のいる部署だ。
「遠いからめんどくさいな」
「出血が止まらないよりマシでしょう」
英俊の顔から笑顔が消えていた。
「珍しいな、おまえの真顔」
「なぜ、先ほど私を止めたのですか?」
そうつぶやいた英俊に、金華はこう返す。
「父上は怒っていたからな」
「え?」
「怒りは解消させたほうが後に残りにくい」
英俊は目を伏せ、かすかな声でつぶやいた。
「申し訳ありません。まさか、銀鈴どのを引き入れて、このようなことになるとは……」
「いや」
金華は首を振った。銀鈴と出会わなければ、自分は変われなかっただろう。じんじん痛む額にそっと触れる。
「痛いのも久しぶりだな」
空にはかすかに欠けた、薄い円月が登っていた。