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「おはようございますっ!」


 翌朝、銀鈴はいつものように、金華の部屋の障子をスパン、と押し開いた。春巻きのごとく布団にくるまっている金華を、あっという間に転がす。


金華は寝台からごろんと転がり落ち、棚にガッ、と頭を打ち付けた。彼はむくりと起き上がり、不機嫌顔で後頭部を撫でる。


「もっと穏便に起こせないのか?」

「寝起き悪いですからね、金華さま」


 銀鈴は、距離を空けて言う。


「さ、早く起きてください。ごはんをたべて、縫糸殿に行きますよ」

「本当に行く気か」

「当たり前でしょう。手柄を立てて、皇金華はここにありと周りに示すんです!」


 銀鈴はぐっ、と拳を握りしめた。金華は面倒そうに頭をかいて、ふ、とその手を止めた。


「というか、なぜそんなに離れてるんだ?」

「金華さま、一般的に考えて、女を口説いてばかりの男は信用なりません」

「はあ。だから?」

「信用ならない男は仕事ができない! 」


 銀鈴の力説に、金華は目を瞬く。


「事実、取引先のアホ息子は既婚者のくせに、何度も何度も私を口説いてきてめちゃくちゃ鬱陶しかった。しかもあの人、仕事もできませんでした」

「……アホ息子? 口説かれた?」

「ですからこれからは、本当に好きな子だけを口説いてください。いいですね? 大体、ちゃんと仕事をしてたらそんな暇はないはずですから」


 彼はふうん、と相槌を打った。


「本当に好きな子か……じゃあおまえのことは口説いていいんだろう?」

「それっ!」

「どれだ」

「その反射的な口説きをやめてください。私には効きませんから」

「効かないなら別にいいじゃないか」


 近づいてきた金華から、銀鈴はしゃもじを持ったままじりじり後ずさる。いつの間にか追い詰められて、壁に背がついた。彼は指先で銀鈴の髪を鋤き、低い声で尋ねる。


「で、アホ息子っていうのは誰だ?」

「誰と言いましても、金華様はご存知ないかと」

「へえ、言えないってことは何かやましいんだな」

「やましくないです! 『明月亭』の班喜栄です」


 明月亭か。金華がつぶやいた。


「宮中にも品を卸す大行商人だ。玉の輿ってやつじゃないか」

「だから、その人既婚者なんです。それにいくらお金持ってようが、好きでもない人と結婚なんかいやです」

「意外と乙女なんだな」


 笑われて、銀鈴はむくれた。


「ええそーですよっ、色ボケ猫……金華さまとは違うんです」

「口づけは? したことあるか」

「ないですよ。悪いですか?」


 顎に指先が触れて、上向かされる。銀鈴が視線をあげたら、金華と目が合う。


「こういう時は、目をつむるものだ」

「……っ」


 油断した! 瞳に見据えられると、身体がこわばる。さらりと金華の髪が揺れて、銀鈴の額に触れる。唇がふれあいかけたその時、からりと障子が開いた。


銀鈴は、思わずしゃもじで金華をスパン、と叩く。彼がぐえっ、とうめいた。


「何やってるんだい、銀鈴」


 障子を開け、こちらを怪訝そうに見ていたのは、祖母だった。銀鈴は金華の方にてのひらを向け、


「お、おはよう、婆様。こちら、金華様です」

「……これが化け猫憑きかい」


 祖母はそう言って、鼻を鳴らした。


「そのお綺麗な顔で騙して、何人たぶらかしたんだい」


 金華はしゃもじで頭を押さえられたまま、指折り数える。


「えーと、十、二十、三十」


 すかさず突っ込む銀鈴。


「単位が最初から二桁!?」


 金華は数えるのをやめ、あっけらかんと、


「それ以上は覚えてない」

「その様子だと五十人近いですね」


 呆れる銀鈴と違い、祖母は眉をひそめる。


「……あんたが何人手玉にとろうが勝手だけどね。うちの銀鈴には手を出さないでおくれよ」

「出してない。今の所」

「今の所?」


 金華は髪をかきあげた。


「銀鈴には不思議な壁がある。金華猫の妖力がきかない、というかな」


 その言葉を聞いて、祖母が一瞬黙り込んだ。のち、鼻を鳴らす。


「教育がしっかりしてるもんでね。妙な男には引っかからないようになってるのさ」

「なら、心配する必要なんかないだろう?」

「念のためだよ。銀鈴、妊娠させられる前に早く戻っておいで」


 祖母はそう言い置いて、さっさと部屋を出て行く。妊娠という言葉の生々しさに、銀鈴は顔を引きつらせた。


「気の強いばあさんだな」


 金華は祖母を見送ったあと、不機嫌な顔でこちらを見る。


「おい、もので殴るな。痛いだろ」

「す、すいません。反射で」


 銀鈴はしゃもじを握りしめ、赤くなった。それから、ちらりと金華に目をやる。


「あの、婆様は金華猫に不信感持ってるみたいなんです」

「みたいだな。だから?」

「だから、ええと、気にしないでください」


 金華はちらりとこちらを見た。ふ、と笑い、


「別に気にしてない。ばあさんは守備範囲外だし」

「そういう問題ですか?」

「ああ。昔は美人だったんだろうけどな」

「なんでそんなことがわかるんです?」

「目元だよ。あの歳であれだけ眦が上がってるってことは、切れ長の瞳だったはずだ」


 ちょっと見ただけでそんなことがわかるなんて。謎の審美眼である。


「すごいですね……婆様の若い頃なんか、全然想像がつきません」

「そんなことより、腹が減った」

「あ、すいません、ただいま」


 銀鈴はお櫃を開き、ごはんを茶碗によそい始めた。金華は朝食を食べながら、


「おまえの弟たちは?」

「ああ、今食べてます」


 その時、障子に小さな影が映った。銀鈴が障子を開けると、悠鈴が器を手に立っていた。


「どうしたの、悠鈴」

「猫ちゃんにご飯を持ってきたの」

「あの猫ちゃんはね、ちゃんとご飯をもらってるから大丈夫なのよ」


 そう言ったら、彼女はがっかりした顔になる。と、銀鈴の背後に誰かが立った気配がした。振り向くと、金華が立っている。悠鈴は彼を見て、目を丸くしていた。


「おにいちゃん、だあれ?」

「金華」

「猫ちゃんの飼い主さん?」


 金華はふ、と笑い、身をかがめて、悠鈴から茶碗を受け取った。


「ああ、そうだ。渡しとくよ」

「うん!」


 悠鈴は、嬉しそうに頷き、駆けていった。銀鈴はちらりと金華を見る。


「子供嫌いって言ってませんでした?」


 銀鈴の問いに、金華は首を傾げてみせる。銀鈴は、ハッとして叫んだ。


「まさかの守備範囲内!? うちの妹に手を出したら許しませんからね!」

「だれが出すか。子供には興味ない」


 金華は呆れ顔で言い、部屋の中に戻る。訝しむ銀鈴をよそに、再び朝食を取り始めた。ちゃんと悠鈴が持ってきたご飯を食べている。そこに、珍しく緊迫した面持ちの英俊がやってきた。


「少々困ったことになりました、金華さま」

「なんだ。百七十六本目の筆でもなくしたのか?」

「いえ、今は百八十一本目です。それより、朝貢のことで問題が」

「まさか、針が混入していたとでも難癖をつけられたのか」


 金華は関心ない口調で問う。英俊が首を振った。


「いいえ。刺繍自体は大変素晴らしいものですから」

「じゃあなんだ?」

「問題は手紙です。朝貢に添えられた手紙に、金華さまを世継ぎに押すよう懇願する文面があったと……」


 金華は動かしていた箸を止めた。英俊を見て、目を細める。


「それを俺が書いたとでも? 世継ぎなんかひとつも興味がないんだが」

「私もそう思いますが、事実金華様の名を騙った手紙が、使節と共に返ってきています」


 銀鈴はしゃもじを持ったまま、二人を見比べた。英俊はじっと金華を見て、


「金華さま……」

「申し開きをしろというんだろう。わかってる」


 金華は箸を置き、立ち上がった。ちらりと銀鈴を見る。


「悪いな、縫糸殿へはいけない」

「そんなことより、大丈夫なんですか?」

「さあな。生首で返ってきたら、裏手にある椿の下に植えてくれ」

「やめてくださいよ、そんな」


 青くなった銀鈴を見て、金華がふ、と息を吐く。


「冗談だ。そんな顔するな」


 大きな手のひらが、銀髪の頭を撫でる。


「正装をお持ちします」

 英俊はそう言って、さっ、と部屋を出て行った。



 銀鈴は、金華に背を向けて座っていた。背後でしゅるしゅると衣擦れの音がしている。銀鈴が月籠庵に来て半月、金華は一人で着物を着れるようになっていた。きゅっ、と帯を締める音が響く。


「あの、金華さま」

「なんだ?」

「跡継ぎを懇願する手紙って、まずいんですか」

「ああ、相当な」

「でも、跡継ぎを決めるのは陛下ですよね? 一華国には関係ないのでは」

「いいや。朝貢国は、支配国に対し世継ぎのお伺いを立てなければならない。万が一反対された場合、関係が悪くなることがあるからな」

「そんなことで?」

「外交とはそういうものだろ」


 銀鈴にはよくわからない。銀鈴にとって、陽華国は大きな存在だ。だが一華国から見たら、支配国の一つに過ぎない。そういうことなのだろうか。金華が羽織を、と言ったので、打ち掛けにしていた羽織を取る。

 銀鈴は、金華に羽織を着せながら言う。


「一華国の意向はそれなりの効力があるんですね」

「ああ。しかも、自分から跡継ぎの話を持ち出すのは、現王に対する反逆でもある」


 ますますまずいのではないか、それは。

 正装をまとった金華は、王族にふさわしい品を感じさせた。なんだか違う人のようで、銀鈴は戸惑う。


「なんだ、ジロジロと」

「なんか、王子さまみたいですね」

「王子だよ、一応な」


 金華はそう言って、裾を払った。


「こういう格好は堅苦しくて好きじゃない」

「似合いますよ」

「珍しいな、おまえが俺を褒めるなんて」

「褒めてあげたんだから、生首回避してくださいね」


 金華は笑って、銀鈴の手をとった。


「おまえが口づけてくれたら平気な気がする」

「ちょーしに乗……」


 かすかに金華の手が震えている気がして、銀鈴はハッとする。


「金華、さま?」

「寒いせいかな。手が震える」


 平気なように見えた。だけど、金華も怖いのだ。


「大宮殿に入るのは始めてだ。父親と話すのは…十二年ぶりだ」

「大丈夫です」


 銀鈴は、彼の手を握り返した。


「人っていう字をたくさん書いて飲み込めば、平気になりますよ!」

「なんだそれ」

「本当ですってば。私も、お針子試験の前はよくやりました」


 金華は手のひらに数回人、と書いて飲み込んだ。銀鈴は、じっと金華を見上げる。


「どうですか?」

「うん……平気になったような気がする」


 銀鈴はほっ、と息をついた。


「じゃあ平気になったところで口づけを」


 伸びて来た金華の手をはたき落とす。


「英俊さんが待ってるんですから、早く行きますよ!」


 銀鈴は金華の背中をぐいぐい押して、月籠庵を出る。表で待っていた英俊が、金華を見ておお、と声をあげた。


「まるで王子のようですねえ」

「……なぜおまえまで意外そうなんだ」

「いえ、中々正装を見る機会もないので」


 金華は肩をすくめ、銀鈴に言った。


「じゃあ、行ってくる」

「はい、行ってらっしゃい」


 歩き出した二人の背中に向かって、銀鈴が声をあげる。


「あの、美味しいお茶を淹れて待ってますから!」


 金華は、振り向かずに片手を上げた。

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