11
花札とは、元来二人で遊ぶものだ。なので、三人以上の場合は裏向きの札をめくり、競い合う二人を決めなければならない。
札には十二月までの季節に関する絵が描かれていて、それを順にめくっていき、早い月の絵札をとったものが「親」となる。
月の早い札を手にしたのは、英俊と晶馬だった。彼らは卓を挟んで向かい合った。悠鈴は、銀鈴の膝の上でがんばれー、と言っている。
英俊は札を手にふっふっふ、と笑う。
「負けませんよ。地元では『花札を持たせたら人が変わる』と言われていたんです」
「子供相手に全力なんて、ものすごく大人気ないですよ、英俊さん」
「銀鈴さん、勝負に大人も子供も関係ありませんよ」
だからそれが大人気ないと言うのに。英俊は言葉通り、容赦無く晶馬を負かした。負けず嫌いの晶馬は、もう一回! と騒ぐ。
「仕方ないですねえ」
二度目の勝負は晶馬が勝った。
「やったー!」
晶馬は両手を挙げて喜んでいる。大人気ないことを言っていても、なんだかんだ言って、晶馬に花をもたせてやったのだろう。そう思っていたら、英俊がだん、と卓を叩いた。銀鈴と晶馬はびくりと震える。
「負けた……ッ!」
英俊はわなわな拳を震わせている。銀鈴は呆れて、
「本気で悔しがらないでくださいよ。あなたいくつですか」
「三十です」
「……」
呆れるのを通り越して驚愕する。銀鈴は、膝の上の悠鈴がうとうとしているのに気づいた。
「ねむい?」
そう問うと、悠鈴がこくりと頷いた。英俊が札を片付け始める。
「もうおしまいにしましょうか」
「えー、もっとやりたい」
英俊が唇を尖らせた。
「早く寝ないと、大きくなれませんよ」
英俊の言葉になにか思うところがあったのか、晶馬がハッとした。
「俺、寝る! ねーちゃん、悠鈴かして」
「起こさないようにね」
銀鈴は、彼に悠鈴を渡した。晶馬は悠鈴を抱っこし、そろそろと歩き出した。そのまま布団へと向かう。英俊はくすりと笑い、
「いい子達ですね」
「ええ」
両親が死んで五年。影響なく、すくすく育ってくれたのは嬉しい。
「銀鈴さんもお休みください。ここの片付けは私が」
「ありがとうございます」
銀鈴は部屋を出て、自室へと向かった。ふと、金華の部屋の明かりがついているのに気づく。まだ起きているのか。もしかして、仕事をしてるとか?
銀鈴は、障子越しにそっと呼びかけた。
「金華、いる?」
「ああ」
女の人がいたら気まずいな。そう思いながら、銀鈴は障子をそっと開けた。銀鈴の考えは杞憂だったようで、金華はひとりだった。
肘置きにもたれ、書物をめくっている。端正な横顔が、明かりに照らされていた。彼はこちらに視線をやり、
「なんだ?」
「あの、何してるのかなって思って」
「べつに。おまえは?」
「私は、花札してたんです。英俊さんが弟の相手をしてくれて」
「そうか。あいつは子供を手なづけるのがうまいからな」
その言い方はどうなのだろう。なんにしても、書物を読んでいたなら邪魔してはいけないな。銀鈴はそう思う。
「じゃあ……冷えるし、早く寝てくださいね」
立ち上がりかけたら、
「そういえば、花札なんてやったことがないな」
そう返ってきた。銀鈴は思わず目を剥き、彼に詰め寄る。金華が珍しく身体をのけぞらせた。そのせいで、肘置きの位置がずれる。
「っ」
「冗談でしょ!」
金華は咳払いし、銀鈴のせいでずれた肘置きを直す。
「なんだ。悪いか?」
「悪いっていうか……弟さんがいるのに、そういう遊びをしたことがないんですか?」
「不仲だからな。おまえのところと違って」
「たった二人の兄弟なのに」
金華は薄く笑い、平和だな、おまえは。と言った。
「どういう意味? 家族仲はいいけど」
「そのままだ」
彼は書物をかざし、
「これ。読んだことあるか?」
銀鈴は、表紙に書かれた題名を読み上げた。
「王宮怪奇伝?」
「王宮で起こった不可思議な出来事を列記した書物だ。霊を見ることができる宮女の話とか、兄弟同士の王位をめぐるいざこざが起きて、殺しあった話なんかも載ってる」
「もっと楽しい話を読んだらどうです?」
「暇つぶしだからな。なんでもいいんだ。それに、悪くない話もある」
金華は、頁をめくってみせた。目当ての頁にたどり着いたのか、めくるのをやめて、題名を指差す。
「こんな話は?「金華猫と銀の匙」」
「金華猫、って?」
「俺に憑いてる妖だな」
そういえば、祖母が話してくれないから、詳しくはしらないのだった。
「どんな話なの?」
「花札はいいのか?」
「だって、きになるし」
銀鈴は聞く態勢をとっている。金華はふ、と笑い、書物を読み始めた。
「あるところに、金華猫という妖怪がいた。金華猫は、夜毎美しい人間に化け、男や女をたぶらかしては、その精気を吸っていた。金華猫は、いずれ月に帰る生き物だった。月の光を浴びながら、その時を待っていたのだった」
長い指で頁をめくる。
「金華猫は、満月の晩に『月亭の精』を吐き出す生き物だった。それは人間に害をなすものであり、事実死人も多く出ていた。人々は危険な金華猫を捕らえて殺そうとした。しかし、一人の少年が言った。『あれは僕の猫だ。殺さないでくれ』とな」
部屋に、金華の声と頁をめくる音だけが響く。
「少年は、猫がつけた首輪で、それが死んだ飼い猫だと気づいた。だからなんとかして、生き延びさせる手立てを探した」
彼は金華猫を殺したくなかったのだ。
「あることを思いついた少年は、村人たちに自分がおとりになると言った。少年は、月夜の晩に枕を北へ向けて寝た。死に枕で寝ると金華猫が来る。その地では、そう言われていた」
金華猫は、美しい少女になって少年の前に現れた。
「少年は、銀の匙を少女に差し出した。少女は、匙をじっと見つめた。その匙は、猫が小さな時、餌をやっていた匙だった。匙をくわえたそのとたん、少女の身体は消え、猫が現れた」
「猫は一声鳴いた後、さっと姿を消した。それ以来、金華猫はその地に現れていない」
すべて読み終えた金華は、書物を閉じた。銀鈴はほうっ、と息を吐く。
「素敵な話」
「匙をくわえたくらいで退散なんて、現実味がないけどな」
「きっと思い出したのよ、その子が優しくしてくれたこと」
銀鈴の言葉に、金華がおどけた声で返す。
「なるほど。おまえも俺に優しくしておけば、いざという時に手なづけられるかもしれないぞ」
「あなたも吐き出すわけ? 月亭のナントカを」
「どうかな」
金華は身を傾け、ごろん、と寝転がった。そのまま、銀鈴の膝に頭を乗せる。
「ちょ」
「動くなよ。寝づらい」
「重いんですけど」
銀鈴の抗議を無視し、金華は心地良さそうに瞳を緩めている。本当に猫みたいだ。風が鳴る音が聞こえて、窓がガタガタと揺れた。銀鈴がびくりとすると、怖いのか、と金華が囁いた。暗い部屋の中、切れ長の瞳に見つめられると、心がざわつく。
「……こ、今夜は誰もこないんですか?」
金華はこちらに視線をやり、
「目の前にいるだろう? 綺麗な女が」
「……はいはい」
よくもまあ、そんなことを恥ずかしげもなく言えるものだ。
銀鈴は、金華の袖口から覗く銀色の輪に目をやった。
「これ、銀でできてるの?」
「ああ。さっき読んだ『金華猫と銀の匙』がもとになってるんだ。金華猫を封じるには、銀がいいとされてる」
「綺麗ね」
磨き抜かれた銀色の表面には、美しい唐草模様が彫られている。
「欲しいか? 造工部に言って作らせることもできるが」
「いらないわ。裁縫するとき邪魔だし」
「そういえば、おまえは宝飾品をつけていないな」
彼は、銀鈴の指先に触れた。金華の手は、なぜかいつも冷たい。
「俺が知ってる女はみんなつけてる。珊瑚の指輪や腕輪、翡翠の耳環。真珠の首飾り。銀細工のかんざし。ほしいと思わないのか」
「そんなの買うお金があったら、弟たちにお腹いっぱい食べさせるわ」
確かに指輪も耳飾りも綺麗だ。関心がないわけではない。でも銀鈴は、一人で生きているわけじゃない。自分を美しく見せるために生きているわけでもない。
ただ刺繍をしたいだけなら、趣味でもいい。お針子になりたいのは、稼ぐためだ。自分を、家族を生かすためだ。金華はしばらく沈黙したのち、ぽつりと呟いた。
「誰かのために生きるのって、どういう気分だ?」
銀鈴は、思わず金華を見下ろした。横を向いた彼の、艶やかな髪が目に入る。銀鈴からは、彼の美しい顔立ちは見えない。でも、きっと迷い子のような顔をしているのだろうと思った。
「俺にはわからない。死を望まれたことはあっても、生きるよう望まれたことはないから」
その言葉に、銀鈴はハッとした。生まれた瞬間に母に捨てられ、まだ幼いときに殺されそうになり。金華が受けてきた仕打ちは、あまりにも残酷だ。だけど──そんなこと。銀鈴は、彼の手をギュッと握りしめた。
「そんなこと、言わないで」
金華がこちらを見上げた。ろうそくの炎が、瞳に映り込んで揺れている。
「あなたにも、できることはあるはず。だって王族なんだもの」
縮こまってしまった金華猫。もっと伸びやかに生きて欲しい。
「私が助けるわ。だから、諦めないで」
金華は何も悪いことなどしていない。むしろ、善行も悪行も、何もできないようにさせられたのだ。
「今日はやけに優しいな、銀鈴」
金華は身を起こし、銀鈴に顔を近づけてきた。彼は銀髪を梳いて、ふ、と笑う。
「そんなに優しくされると、もっと甘えたくなる」
すっと顔を近づけてきた。銀鈴はその顔を、ぐい、と押しもどす。
「わかったら、明日は早起きして縫糸署に行きましょう! なにかやれることがあるはずだから」
「……」
大体金華の行動原理が読めてきた。ときたま弱みを見せて、相手に同情させる。そして隙あらば口説く。女性絡みならば、やけに行動力と瞬発力があるのだ。
「そうだな。早く寝よう。なんなら一緒に」
「いやです」
「そう言うと思った」
金華は肩をすくめ、寝台へと向かった。
「おやすみなさい」
そう声をかけたら、金華が片手を上げた。部屋を出た銀鈴は、
「あの瞬発力を他のことに活かせばいいのに」
ぶつぶつと呟いた。金華の部屋には書物がたくさんあった。実は色々と知識があるのではないだろうか?
「金華猫かあ……」
銀鈴は視線をあげた。満月の夜に人を脅かす妖。人を惑わす妖怪。
「猫の爪みたい」
そうつぶやく。雲ひとつない空には、半月が上がっていた。