10
金華が窓際にもたれて、笛を吹いている。銀鈴はそわそわしながら、糸を動かしたり止めたりを繰り返していた。不審に思ったらしい金華が、こちらを見た。
「なんだ、さっきからそわそわして」
銀鈴は糸を置いて言う。
「あの、縫糸殿を見学しに行きませんか?」
「見学ってなんだ。大体、こないだ行っただろう」
「ほら、金華さまは長官だし」
「俺が行っても煙たがれるだけだ。別に用もない」
むくれた銀鈴に、金華が目を細める。
「なんでいきなりそんなことを言い出した?」
「弟たちが、おねーちゃんはむしょくなの? とか聞くので……」
「なるほど
金華は笛をしまい込み、ふらりと立ち上がった。障子に手をかけて、早く来い、と言う。
「行くんだろ」
「はい!」
銀鈴は顔を明るくし、金華と共に部屋を出た。
縫糸殿へ向かうと、建物の前で、大きな樽をかきまぜている人物がいた。おそらく糸を染色しているのだろう。銀鈴はそう思って、そちらへ向かう。少女は桶を前にして、浮かない顔をしている。
ふと、金華に視線を向けて、少女が顔を赤らめた。金華はその視線に気づいて、微笑んで見せる。無垢な乙女を邪悪な色猫から守らねばならないと、少女をかばうように立つ銀鈴。その意図を察したらしい金華が肩をすくめた。
「どうかしたの?」
「藍で染めているんですが、なかなか真っ青に染まらなくて」
「ちょっといい?」
銀鈴は彼女から糸を受け取った。糸を触ってみると、かすかに凹凸があった。
「粗悪品の絹ね」
「え……でも王宮に卸されるのは、最上級のもののはずです」
「本物の絹糸は、繭玉ひとつから両腕くらいに長いものが一本とれるのよ。これは途切れてるもの。重さをはかり比べてみればわかるはず」
染めなおすといいと思う。銀鈴がそう言ったら、女の子はありがとう、と小さな声で返した。
「あっ、陽銀鈴だ~」
その声に顔を上げると、琢磨と呂宋が立っていた。彼らは、ひそひそ声で金華に訴える。
「まずいですよ~忌み子に触らせちゃあ~」
「品物が完成しないよりはいいだろう?」
「ゴホゴホ、金華さま……われわれの首を飛ばしたいのですか?」
「まさか。俺より働いてるやつらに辞めてもらったら困る」
全部聞こえてるんだけど。銀鈴は顔を引きつらせる。女の子がおずおず声をかけてきた。
「あの、どうでしょうか」
銀鈴は糸を受け取る。
「うん、これはいい絹糸ね」
少女はほっと息を吐いて、糸を染めなおし始めた。
草木染めに必要なのは、植物性の材料だ。ちなみに、乾燥しているか、生のままかで必要な量が変わる。もう一つ重要なのは、「媒染」だ。
「媒染」とは、糸に色をしみこませる工程のことで、絹の場合は色を染めた後に行う。染め上がった絹糸を見て、金華は不可解そうに言う。
「青というより、緑だな」
「空気に触れると青くなるんですよ。面白いでしょう?」
「ああ」
彼はしげしげと糸を見ている。縫糸部の仕事に興味を持ったのは喜ばしいことだ。
「ところで、これは何に使うんですか?」
銀鈴が問うと、呂宋が答えた。
「王妃さまの夜着ですよ~」
その言葉に、金華がぴくりと肩を揺らした。銀鈴は彼を見上げる。彼は乾いた声で、
「……銀の刺繍を入れたらどうだ。母上は紫陽花が好きだからそれを」
「それはいいですね、ゴホゴホ」
迫眞がせき込みながら同意する。金華は糸を銀鈴に渡し、
「俺は戻る」
さっさと歩きだした。銀鈴は、慌てて彼を追いかけた。
日が落ちて、宮中の灯りがともり始める頃。銀鈴は弟たちと共に、夕飯を食べていた。弟たちは、好奇心をあらわにして尋ねる。
「ねえお姉ちゃん、どうして王宮に住んでるの?」
そう尋ねた晶馬の後を継ぎ、悠鈴が問いかける。
「わかった。おねーちゃん、王様のお嫁さんになるんだ」
銀鈴はあはは、と笑った。
「まさか。あの色猫が王様になんかなったら、国が崩壊しちゃう」
「色猫ってなに?」
キョトン顔の弟たちを見て、銀鈴は笑うのをやめた。まさか、子供に妙なことを吹きこめないし。祖母は関わりないと言わんばかりに、黙々と飯を食べていた。銀鈴は言葉を選びつつ、
「えーっと、お姉ちゃんのご主人さまはね、猫みたいに寝てばっかりなのよ〜」
「猫? あ、そうだ。さっきの猫ちゃん、ご飯食べてるかな?」
「どっかいっちゃったんだよねー」
弟たちは別の事柄に食いついている。その猫がまさしく金華なのだが。苦笑いする銀鈴に、悠鈴が問うた。
「ねえ、お姉ちゃんのご主人さまは、ごはん食べないの?」
子供は嫌いだ──金華がそう言っていたのを思い出し、銀鈴は曖昧に笑った。
「えっと、あの人はね、一人が好きなのよ」
「そんなひと、いるのかなあ」
「え?」
悠鈴はこちらを見て、可愛らしい声で言う。
「私、ひとりでごはん食べるのいやだな」
「……」
銀鈴が答えに窮していたら、祖母が口をはさんだ。
「悠鈴、世の中には色んな人間がいるんだ。生まれも育ちも、能力も違う。だからそれぞれみんな、自分の器に合ったふるまいをするものなんだよ」
悠鈴が首を傾げた。
「金華ってひとは、ひとりで食べるのが仕方ないの? なにか悪いことしたの?」
「悪いさ。妖憑きなんだからね」
「婆様」
銀鈴は思わず口を挟む。祖母は箸を置き、手を合わせた。
「ごちそうさま」
まるで、これでその話は終わりだと言わんばかりだった。障子がすっ、と開き、英俊が現れる。
「あっ、飴のおにーちゃんだ」
「あそぼー」
弟たちに囲まれ、英俊はにこにこと笑う。
「あはは、元気ですねえ」
彼は祖母に目をやり、
「いかがです? 食事のお味は」
祖母はふん、と鼻を鳴らした。
「血税を使って、ずいぶん豪勢な食事をしてるんだってことがよくわかったよ」
英俊が弱り顔で言う。
「なかなか手厳しいですね」
「私はもう寝させてもらうよ。ここはえらく退屈だからね」
祖母はそう言って、さっさと寝台に向かう。英俊は苦笑いし、確かに何もありませんからねえ、とつぶやいた。
「なにか持たせましょうか? 花札とか」
「花札やるー!」
「私もやるー!」
弟たちがすかさずはしゃぐ。晶馬が袖を引っ張ってきた。
「ねえ、お姉ちゃんも一緒にやろうよ」
「え、ええ」
銀鈴は、悠鈴の言ったことを反芻していた。金華がなにか悪いことをしたのか、という言葉を。