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その数秒は僕から動きを、目を、心を奪いとった。
月曜日、寝癖と隈の付いた顔で吊革に掴まり揺られている。
朝の8時、こんな田舎の電車に満員なんてものはなく、椅子が全部埋まってドア付近に数人というのがいつもの風景だ。
ギリギリで駆け込んだために座れなかったことを悔やみながら窓の反射で寝癖を直す。
席替え後の最初の登校、運の良いことに僕は優等生で学年でも人気の高い彼女の隣を勝ち取っていた。
彼女とは同じ部活だがなかなか話すきっかけを掴めずいた。
このチャンスは活かしたい。
どうやって挨拶をしてどんな風に話を繋げていこうか、そんなことを妄想する。
次の駅が近づいて流れる風景が徐々に遅くなり、止まった。
跳ねた髪をようやく大人しくさせ終えた僕は開くドアの音に振り返り不意打ちを食らう。
普段この時間には既に学校にいるはずの彼女がそこにはいた。
しぐさ一つ一つにどうしようもなく魅了され、自然と視線が彼女を追う。
ポニーテールが彼女の動きに合わせてふわりと揺れる。
詰まりそうになりながらもどうにかおはようの四文字を絞り出す。
彼女は優しい表情で挨拶を返すとすぐに別の友達を見つけそちらに向かった。
再び独りになった僕はスマホを取り出し、ホーム画面を行き来した。
ドアが閉まり電車が動き出す。
僕は何となく開いたSNSを眺める。
時折横目で彼女の方を覗きみれば楽しそうに友達と話す彼女が目に入る。
立っているときにかかとでトントンとリズムを刻むのは彼女の癖だ。
不意に彼女の澄んだ瞳がこちらを向く。
僕は咄嗟に視線をスマホに戻す。
心臓を掴まれた気分だった。
バレていないかヒヤヒヤしながらもう一度だけ彼女の方を確認する。
彼女は既に何事もなかったかのように会話を再開していた。
大丈夫だっただろうか、少しの不安を抱えながら視線を戻す。
それから微かに聞こえる彼女の押さえ気味の声をバックミュージックにまた無意味にスマホをいじる。
教室に着いたらまた話しかけてみようか、話の切り出しかたはどうしようか、迷惑にならないだろうか。
僕の思考は一つ残らず彼女に占領されていた。