なぜ戦うのか
そいつもやはり大きい。蠍のような長い尾を持ち、ムカデの足のような棘が横腹から生えており、そして蜘蛛のように四体の細い足を有している。外骨格特有の光沢感を持ち合わせているがその本来の体の色は黒く、暗闇の中であれば見えていないだろう。そして何より魔物と同じ人を喰い殺すために存在していると言わんばかりの乱杭歯が並んでいた。
つまり、今回この地域に蔓延る魔物のリーダーだということだ。
「やっぱ怖いわ」
失禁しそうである。これまで何度の魔物を見ていたのだろう。哺乳類の類人猿と、恐竜に退化した鳥類と、そして蜘蛛の魔物…まだ三度しか見ていない。
しかしタストバードラーは二体もリーダーの魔物を倒したことを偉業と言っていたような。多分気のせいだ。
ルーナが刀を持ち直す音を鳴らす。ベルは俺に指示を求めることなく物陰に隠れた。
動きは緩慢だった。静かに歩くその姿は虫本来の隠密性をもっている。静かに静かに歩くその姿にルーナは走り出し、細身の足に斬りかかった。
魔物はそれに反応する。
ひらりと身をかわすように動くと、流れるように尾で反撃をする。体勢が崩れている状態では迫り来る尾にルーナは対応ができない。
「っう!」
迫り来る尾を正面で受け止めた。盾で受け切るつもりがその尾は勢いを止めることなく振り抜いた。ルーナが吹っ飛ばされる軌道上にいる。
ルーナを左手で押すように吹っ飛ばされる軌道上から外すと、俺はそのまま尾に吹き飛ばされ、壁に打ち付けられた。視界が点滅する。後頭部を強打して脳がぐしゃりと潰れるのを耳元で響いた。気持ち悪い。
魔物からしたら俺の体は野球ボールのように飛んで行く小さなボールに違いない。しかもそのボールは自分から打たれにくる面白い道具なのだろう。
いや、違う。
あの魔物はルーナの攻撃を避けた。人間ではない存在を把握して避けたのか。
「お兄ちゃん!」
ルーナがこちらに向かって走ってくる。
バカ。敵に背中を向けるんじゃない。魔物はその鋭利な爪をもつ腕でルーナを確実に狙っている。
体の修復が終わり、一気に駆け抜ける。少しでも前に間に合うように走る。手元には盾がなかった。おそらくどこかで落としたのだろう。
ルーナが後ろを見て魔物が彼女を攻撃しようとしているのを理解するのに時間がかかる。振り下ろされる腕を俺はもろに受けた。爪が皮膚を切り裂き、露わになった肉を容易く貫いて行き、背中まで届いた。あぁ、背骨に触られる感覚とはこんな感じなんだろうな。と、意識は痛みではなく受けた感覚を理解しようとしていた。
「お兄ちゃん!」
「平気だ。ルーナ。今は、目の前の事に集中し、ろ」
貫かれた時点で俺はこれ以上の蘇生が出来ない。半分死んでいる状態では、動くこともまともにできない。
くそ、これで何度目の死亡だ。
継続的な死も実はかなり体力を消耗する。こうやって腹を貫かれた状態で振り回されるだけで、体力というか気力すら削れる。
「くっそ! 抜けろよ!」
爪には返しがついているのか引き抜かない。引き抜こうとするたびに腸などに引っかかったかえしで臓器が引き抜かれそうだった。そんなことを尻目に魔物はルーナを執拗に攻める。ルーナも対抗しようと刀で応戦するが、外骨格の硬さは異様に硬いようで切り倒すことが難しいようだった。
ベルの力でどうにかできるだろうか。確証もないのに出すのは全然良くない。
クソ頭が回らなくなってきた。
貫かれた傷口から血がポタポタと飛び散る。かえしで傷口が広がり次第に出血も増える。
息がしにくい。眠たいような意識が飛ぶようになる。
一瞬だけ空間に漂う空気に緊張が走った。そしてファンの音が強く鋭く響いた。
「再起動シマ、ス。所有者ノ危機的状況ヲ確認。コれョリ武装限定解除ヲシまス、シマ、スシマ、スシ、マスシ、マス、シマス」
唐突な機械音声が鳴り響いた。壊れかけているようなその音声は聞いたことのある声に狂気を感じた。
「アイ?」
立ち上がり、ボロボロになったメイド服。そして俺が突き刺され振りまいた血が顔についている。
圧縮された空気が抜ける音と共に、太ももからナイフが飛び出すように出てくる。その数は四本。そして二種類のナイフだ。一つは刃渡り二十センチほどのグリップポイント。そしてもう一つは刃渡り四十センチのサバイバルナイフ。その刀身はルーナが持っている刀と同じ黒い色をしていた。
魔物が何かを感じ取ったのかアイへと足を向け向かっていく。
「アイ! 避けろ!」
「当機体ハ、本来の任務ォ遂行しマす」
金属をえぐるカッターのように。俺の胴体を貫いていた魔物の腕を削り切り取った。
それと同時にアイは魔物の懐に潜り込み思い切り蹴り上げた。急激な出力による衝撃に空気が破裂するような音が響く。アッパーカットを喰らったかのように虫の魔物の乱杭歯は何本か折れて吹き飛ぶ。そして唾液がとびちった。
その光景を見ていた。
「ミチナシお兄ちゃん」
俺を貫いている爪が取れない状況に、駆け寄ってきたルーナの顔は泣きそうな顔をしていた。
「なんて、顔したんだよ」
「ごめん。ごめんね。個がもっと強かったら」
「それはいいんだ。死なないから。それよりなぜこうなったか、わかるか」
息がしにくい。何度も死んでいるからかそれとも腹のなかに爪が突き刺さっているからなのか。ベルは相変わらず物陰に隠れていて役にも立たなさそうだ。俺は今この状況を理解するためにとりあえずはこの爪を抜き取ることが優先だと思った。ルーナはどうしたらいいとあたふた動いている。
アイが蜘蛛の魔物と応戦している間になんとかしなければならない。
「ルーナ。頼みたいことがある」
彼女に頼みごとをする。頼みごとを聞いた彼女はきっと嫌がるだろう。しかし治すなら正直そっちの方が手っ取り早い。
「この爪を思いっきり押してくれ。時間がないんだ!」
爪には返しがついているために引き抜くことができない。
なら押して貫通させてしまえばいい。
「嫌だ! そんなことしたら」
「そんなことでもいいんだよ! 大丈夫だ、きっと上手く行くから」
「お兄ちゃん!」
ルーナを見た。ボロボロで涙を流して、俺を見ている。
「お兄ちゃんがなんでこんなに傷ついていられるの?」
問いかけた。ルーナが俺に。
「それは」
「普通だったらお兄ちゃんみたいに何度も死んでいたらそのうち心が壊れるよ! なんでそんなにも平気でいられるの!?」
何度も死んでいる。何度も死にかけている。魔物に殺され続けている。それなのになぜそんなに立ち向かえるのか。
「お兄ちゃんずっと変だったもん。あの魔物の時だってお兄ちゃん死ぬ覚悟で、飲み込まれて個を助け出したってルスお姉ちゃんが言ってた。それはすごいことなのかもしれないけど、普通は死にたくないでしょ! なんでそんな簡単に自分の命を出すの?」
「……それは」
めぎっと木が折れるような音がした。その音はアイの左腕が魔物に引きちぎられる音だ。アイは無表情で自由な手でナイフを持ち突き刺す。その痛みに魔物は思わず手を離した。
複眼の目は九つあったのが五つ潰れていた。
「本機体ノ、損傷率三十五パーセン……思考回路異常値ォ更新、出力限度ォ、増加ヲゾウかしまス」
漏電した機械のように動くアイの体はそこらにいる人形と変わらない。メイド服という原形もほぼなくなっている状態だった。
突進を繰り出す。しかし彼女の姿は見えず後から続いた衝撃で、俺とルーナは気圧される。
「いかなきゃ……」
「お兄ちゃん!」
裾を掴むルーナ。俺はその彼女を悲しませてしまう。せめて、何かを言ってあげれば何か変わるのだろう。
しかし俺にはその何かとは何かわかっていない。
「信じてくれ。勝つから」
俺は自分の手で爪を思い切り押し込んだ。痛みが、異物が腹を通り抜ける。
「ぐっ。ぎ! ぐぅぅ! ぁあ!」
背中で現れたための切っ先を右手で掴む。あまりの切れ味に肉が食い込み血が滲み出た。
「あぁぁぁぁぁぁぁ!」
痛覚を紛らわせ、爪を一気に引きぬく。穴が空いた傷口は肉によってふさがりそして傷跡なんてあったかというほど綺麗に治った。
その魔物の爪は三十センチほどでそれもまた黒く、俺の血で塗れていた。
「は、は、はは……やりゃできるじゃねぇか、俺」
肩で呼吸をする、目の前が貧血のように真っ暗になり倒れそうになったが、ルーナが支えるように抱きしめた。
「……馬鹿」
「馬鹿だからさ、悪いな」
俺はまだ戦える。こんな泥臭い戦いをさっさと終わらせて、みんなを楽にしてやるんだ。




