encounter
街の廃墟に人の悲鳴が響く。
黒雲の下、街道沿いには槍に突き刺さった梟首が林立している。絶望の表情をした首たちの肉をカラスたちが啄む。もう、これ以上の馳走はないとでも言うように、喉奥から奇妙な声を発している。
そこでは、屈強な大男三人が略奪を繰り広げていた。そのうちの一人は枯れたような体の老人に、剣の切っ先を向けている。しかし、廃墟の住人たちは皆息を潜め、弱者を救ける者などいない。絶望は斬首となった者たちのそれと、似ていた。ただ生きているか死んでいるか、の違いだけだ。
創造者の〈イカヅチ〉以後、そこは完全な無政府状態だった。
「おい、ジジイ、食料をあるだけ持ってこい。それから、その若い女も連れていく」
額に十字のタトゥーを入れた男が、冷徹な目をして言い放つ。背後の太った男と痩せた男は舌を出して、欲情する野良犬のように息を荒くしている。ただ、軍馬を所有していないことから、トルーマ帝国軍の足軽であると老人は理解した。
ーー、こんな老いぼれだが、殺れないことはない。諦めるな。
「食料ならあるだけ持っていけ。しかし、この娘だけはダメだ」
「なんだジジィ、俺たちの要求を断れば、どんなことになるかくらいは想像出来るよな? どっちにしろ連れていくんだ」
「ダメだ。この娘を連れていくのなら、ワシが相手になる」
「はあ? 死にてぇのか、ジジイ!」
太った男が娘の腕を無理に掴もうとした瞬間、老人は懐刀を取り出し相手の右目に突き刺した。返り血が、老人の顔に飛び散る。
「グオオおおおおお!」
痛みでのたうち回る相手にさらなる攻撃を試みる。しかし、これまでだった。もう一人の痩せた男がすぐに老人の小刀を奪う。
「ムリだねえ!ムリムリ!」
痩せた男は長い舌を奇妙に湾曲させ、懐刀の鮮血を舐める。
「ん?」
甲冑の背に軽い金属音が鳴る。小石が痩せた男に投げつけられたのだ。
投げたのは一人の、大きな茶色のザックを背負った少女だった。
長い緑色の髪が燻んだ廃墟に映える。少女の透明な肌の頰は、怒りで紅潮している。
「ねえ、こうしたシーンって、古い伝承では定番なのよ。多分、読んでる人も、またかよってツッコミ入れてると思う。だ、か、ら、私のような最弱の娘が素手であんた達を倒せば、物語が思いもよらぬ展開になるでしょ」
「ほほう、んじゃ、おめえはここで魔道なんかひけらかすんじゃねえぞ。それもまた伝承の定番なんだからな。魔法さえ使えばなんでも出来るなんて、もう飽き飽きだぜ」
その隙に、十字タトゥーの男が少女に向かって走ってくる。大男の割に、速い。
「魔法は使わないんじゃなて、使えないのよ! とりあえず、逃げるが勝ちっ!」
「おい、お前らはジジイと娘を押さえておけ」
十字男は少女の茶色のザックに手をかけた。ザックから大量の小石がこぼれ落ちる。
「ぬぉお、離せこのデコッパチ!」
もう駄目かもしれなかった。少女は、本当はそんなに勇気のある性格ではなかったのだ。本当は、もう死のうと思ってこの廃墟に来たのだ。うんざりだった。この世界で生きることに疲れていた。いつしか少女は死に場所を求める旅に出た。そして、今日がその日だったのだ。早く死にたい、早く死にたい、残酷な殺され方をして、誰からも忘れ去られたい。
少女は目を瞑る。
ドオン!
重量感のあるものが落下したような音が響く。
ーー、何? 私の最期を邪魔するのは、誰?
緑の髪の少女は目を開き、目の前の光景に驚愕した。
十メートルほどもある長く太い金属の槍が、太った男の左目を貫いていたのである。
右目は老人に、左目は何者かの槍に貫かれ、視力を奪われるどころか瞬時に命を奪われた男は、仰向けで宙に浮かんでいるように見える。実際には長槍が支えになっているだけなのだが。
「ロ、ロギノス……」
廃屋の陰に隠れていた浮浪者の一人が、恐れ慄いた表情で指をさす。
帝国軍と敵対するガレリア公国の鎧を着た男が一人、黒髪を靡かせて歩いてくる。
男は無言で太った男の頭から槍を引き抜いた。
ドボドボと、ぬめり気のある血液が石畳の地面を濡らした。男の左目は眼帯で隠されていたが、右目の鋭さにもう一人の痩せた男は萎縮していた。しかしロギノスと呼ばれる男にとって相手の心理などどうでもよかった。わずか数秒のうちに痩せた男の左目が貫かれる。有無を言わさぬ力と意志。まるで創造者による破壊の閃光が走ったように、人々には見えた。
「ロギノス、か。相手にとって不足はない。俺もファランクスの端くれだ。長槍の弱点を知り尽くしている」
十字タトゥーが剣を抜いて一気にロギノスの死角に入り込む。
足の膝裏関節をスッと薄く切る。一気に筋が切れて、片足が折れる。
「ぬう……」
初めてロギノスが声を漏らす。
いけるか?
十字タトゥーが脇腹に剣を突き刺そうとした時、ロギノスの左拳が顔面を打つ。三メートルは吹き飛んだ。多分、顎の骨は砕けているだろう、と十字は自ら想像する。力の差は歴然だった。ロギノスにとって、十分な間合いとなった。
しかし十字はあることに思い至る。
あの命知らずの老人の娘をこの剣によって殺める時、ロギノスに隙ができるのではないか? 弱々しく蹲るだけの娘。果たして、剣が娘の喉もとを狙って投げられた時、盾になったのは、あの老人だった。
「うがっ!」
老人が娘をかばい、自分の胸に刺されるがままになる。
ーー、老人よ、汝の献身はやがて創造者の喉頸をも搔き切る力となるだろう。
天からの声かあの世からの啓示か老人には判然としなかったが、一つはっきりしたことがある。それは、目の前のロギノスの声に似ている、ということだった。
ロギノスの長槍は空を大きく切り反転し、左脇に収まる。その目は血に飢えた野獣のようでもあり、天の慈愛に満ちた眼差しのようでもあった。
「現世の罪を指折り数えろ」
長槍の先端はそのまままっすぐ、十字男の左目に伸びていった。
突貫。
血飛沫が舞い、大男は人形のように吹き飛んでいく。圧倒的な力の差が、そこにはあった。眼帯のロギノスは息を整え、槍を亡骸の頭から引き抜く。血が噴き出す。赤茶けた液体は、しゅうしゅう言わせながら灰色の曇天を彩る。
それから、ロギノスは虫の息の老人の側に近寄る。
「ジイさん、大丈夫か?」
「大丈夫なわけ、ないだろ……。あんた、あの槍は、ただの長槍じゃないな。聖槍だ」
ロギノスは何も答えず黙っていた。
「ジイさん、あんた、かっこいいな。あんな風に戦える奴は、〈イカヅチ〉以後、ほとんど見たことなかったぜ」
「ああ、そうじゃろう。俺も若い頃にはファランクスとして戦ったことがあるからな」
老人は幸せそうな顔をしていた。娘は多分、強く生きていけるだろうと確信していた。
「俺はまだ、旅を続けなければならない。あんたの思いはここに刻む。聖ゲルニゲルスの名において」
老人は微笑み、静かに息を引き取った。
汚れた血を拭うこともなく、ロギノスは聖槍を肩に置き歩き出した。
旅路はまだ途上なのだ。
「ち、ちょっと待ってよ! あんた、どこに行くつもりなのよ」
ロギノスは少女を一瞥し、呟いた。
「北の塔、だ。そこに、囚われている人を救いに行く」
「き、奇遇ね! 私も北の塔まで行くつもりなの。い、一緒について行ってあげてもいいわよ」
「地図を持っているのか?」
「も、もちろん」
「じゃあ、俺がお前の命を守るから、お前がナビゲートしろ。名前は?」
「ベル」
二人はこれから起こる惨事については知る由もなく、ただ、廃墟の中を歩き続けた。
〈イカヅチ〉後の廃墟は、無数の人間たちの絶望と哀しみを吸収し、ただ陽炎のように二人の前に揺れていた。【to be continued】