闇の中で 中編
私達は人目がない事を確認すると、真っ暗な病院内へ滑り込むように入って行った。
暫く大きな柱の陰に隠れていると、入り口から人が入ってくる気配がした。息を殺してじっと待つ。照明に照らされ、数人の人影が確認できた。話し声からすると5人くらいだろうか。女性も一人混じっているようだ。
柱の陰からそっと覗いて見る。病院の中は先程まで暗く何も見えなかったけど、光に照らされると、今私達がいるのは大きな待合室、ガラス張りの入り口を入ってすぐの所に隠れていることが分かった。ここには沢山の椅子が並べられてるようだ。左にはカーブを描いた受付カウンターがかすかに見える。この待合室の正面奥には二階に続く階段が、これもアーチを描く様に上へと繋がっている。
随分豪華な病院だ。何でこんな病院が潰れてしまったのだろうかと疑問に思わずにはいられない。
ライトがさらに奥を照らす。すると、その階段下の脇を通り抜けるように廊下がある。しかし、先は見えない。
撮影班はゆっくりと進んで行く。私と薫も目配せして、気付かれないよう、闇に紛れてついていく。ライトの当たらぬ先は真っ暗で、その廊下がどこまで続いているのかは分からない。
照明は廊下をゆっくり進む。私達は廊下の入り口辺りの壁に一旦隠れて様子を見る。そっと覗くと、この廊下の両サイドには診察室が並んでいるのが分かる。どうやらいろいろな科があるようで、1室ごと違うプレートが付いているのが何となく分かった。
人に見捨てられた病院内は闇が深い。
静けさの中、撮影班の照明だけが、その場にそぐわない者の侵入を知らせているようだった。
何だろう、ここは不気味だ。心に闇が忍び込んできて不安を煽る。突然スッと手が伸びてきて、闇の中に引きずり込まれたら―――と、頭の中に変な妄想がよぎり、ゾクリとする。慌ててそれを打ち消す。
かすかに撮影班の人達の靴が床と擦れるような音がする。彼らは更に奥へと進んでいく。
薫は私に奥へ行くよう指で合図する。私は小さく頷く。この闇の中じゃ、お互いの顔なんてほとんど見えない。だから、私達は勘で相手が何を言っているのか察している。薫なら今こうするだろうなって感じで。
薫を先頭に私もすぐ後ろを壁づたいにそっとついて行く。所々部屋のドアが開け放たれていて、その度に覗いて見るけど、闇が濃すぎて部屋の中がどうなっているのか分からない。
ブル。
悪寒のようなものが背中に走る。何かが、傍をかすめた気が…。空気が冷たく、重く、絡みついてくるようだ。
照明の進む足が止まった。
「やば」
薫は小声で言うと、開いている部屋へ私を押し込み自分も隠れた。
な、何?
「…どうかしましたか?」
男の声が聞こえる。すると女は振り返り、
「…誰かに後をつけられている気が…」
私と薫は息を殺し、じっと動かない。
「い、嫌だなぁ。脅かすようなこと言わないでくださいよ」
男の声は少し震えているようにも聞こえる。暫くして、
「…そうね…。私の勘違いみたい。ごめんなさい」
また靴の擦れる音がかすかにする。
「いい勘してるな」
薫の囁く声に頷く。撮影班の人達もかなり緊張しているのが伝わってくる。
薫はまたそっとドア越しに、撮影班が進んで行くのを確認すると、クイクイッと指で合図をして部屋から出て行く。私もすぐについて行こうと出口に手をかけると、何かが私の上着の裾を引っ張った。
ん?
何気なく自分の服の裾を見る。
「っ!!?」
赤子の手!私の上着に!!体がない!!
驚きの余りにその手を思いっきり払いのけた。ぽたっと床に落ち、もぞもぞと動く。
薫を呼ぼうにも、もう既にいない。
「………………」
目の前の状況に思考が止まる。パッと視界がその部屋の奥にいく。闇の中からうごめくものが!!
「うっ」
一瞬嘔吐しそうになり、両手で口を押さえた。
子供!?赤ん坊!?まだ生まれる前の未熟な、かろうじて人の形をなしている状態。目の開かぬ頭だけのものや、まだ形にすらなっていない肉の塊のようなものがうようよと重なり合い、闇の中からどろっとこっちへ出てこようとしていた!
私は震えがくる足で2、3歩よろめくように後ずさり、その場に座り込んでしまった。
声が出ない!!周りに誰もいない。薫もおせんさんも!!
ゆっくりだけど、それは確実に私に向かって手を伸ばしてくる。気を失ってしまいそうになるのをかろうじてこらえて考える。
何か、何か、何か!!
ガタガタと震えがくる。ギュッと目をつぶり、思いつく限りの言葉を唱える。
「払い…たまえ…清め…たまえ…守り…たまえ…」
かすれる声で、ほとんど声という声にはならなかったが、必死で唱えた。
私はこの言葉しか知らない!これがすべてで、これが駄目なら私は終わりだ!!
繰り返し繰り返しぶつぶつと唱え、
「浄化!」
何とか小さな声で言うことが出来た。ガタガタと震えが止まらぬまま、そっと目を開ける。そこには動く手も、赤ん坊も、何もかも消えてなくなっていた。
「庵姉!」
薫が小さく囁くような小声で私を呼び、慌てて戻って来た。
「ごめん。おせんさんが、庵姉がいないって教えてくれて…」
震える私の傍まで来て、私の手を握る。薫の声と温もりで、今までの緊張がどっと抜ける…
「大丈夫?」
その言葉に頷くことは出来なかった。
おせんさんが入口に立ち、廊下を見てる。
「……………行ってしまう………」
その言葉に薫はすくっと立ち、
「行こう、庵姉」
と出口へと歩いて行く。私も立とうと足に力を入れると
え?腰が…腰が抜けて立てない!?
「か、か、か、薫」
手を伸ばし、薫を呼び止める。ん?と立ち止まって私を見る。
「こ、こ、こ、こ…」
「こ?」
「こ、こ、こ」
「何?ここに居たいの?」
そんな訳あるか!!こんな所、一分一秒コンマ一秒いたくないです!
「こ、腰抜けた」
「は?」
「立てない」
「は?」
は?じゃないでしょ、は?じゃ。絶対さっきの見たらあなただって腰くらい抜かすんだから!!
「ん~、じゃあどうするかなぁ。私が背負ってくかぁ?」
いっ、いいです!ここは姉としてのプライドが―――。
「…何してんの?」
「ほふく前進」
「…………………」
「…………………」
ちょっと何よ、その二人の間は。この暗闇で顔はあんまり見えてないけど、呆れてるのくらいはわかるんだからね!
見てなさいよ、女の意地!
私は心して、静かにほふく前進をした。
結構ツライ…。