闇の中で 前編
痛みがキツネであるという事が分かったので、なぜ稽古場へ行くと痛くなるかが理解できた。
あそこからは我が家の小さな稲荷社が見える。
試しに外へ出て他の稲荷社の前を通ると、やっぱり痛みが襲ってきた。そして、離れると痛みは治まる。
成程、今のところ、このキツネは稲荷社がある所でないと私に嫌がらせ出来ないって事ね。
そう分かると怖くはなくなる。まぁ、ちょっと不便だけど、これなら何とかなるかな。
母に本当の事は言わず、別室での稽古に変えてもらった。ちょっと不思議そうにしてたので、気分転換と言ったらスムーズに変えてくれた。
今日も私にはおせんさんが憑いている。
ずっといる気かな?キツネも何とかしなきゃならないけど、まず寝ても覚めてもあの日から私の傍に居るおせんさんも何とかしないと、お風呂もトイレも一緒なんて気になってしょうがない!早く市助さんを見つけようと薫と何度も話し合ってるけど、良い案が出てこなくて困る。一体何のために市助さんを探したいんだろ。その辺も謎のままだし…。
「ただいま!」
学校から帰ると、薫は真っ直ぐ私の部屋に来る。おせんさんが現われてから毎日の日課になっているようだ。
「あのさ、学校で聞いた話だけど、今夜隣町のあの使われなくなった大きな病院で、撮影あるらしいよ」
「撮影?何の?」
「何かの心霊番組だって言ってたかな。生中継するって学校中で盛り上がってたんだ!行ってみたいなぁ」
薫はせわしなく部屋をうろうろする。
何をそんなにはしゃぐのだろう。心霊って言ったらここにも居るじゃない。れっきとした幽霊が。もはや珍しくもないでしょうに…。
チラッとおせんさんを見る。
今日もバッチリポーカーフェイスが決まってます。
幽霊という存在が毎日傍に居る事で、私の当たり前だった常識は大分違ったものになってきてる。もはや、そういう存在は当たり前と思えるくらい自分は成長した。
いや、こんな成長…本当はいらないんだけどね。
「ねぇ、行ってみない?面白そうじゃん」
目が輝いてるよ薫。
「…………行く…………」
「「えっ!?」」
私と薫は予想もしなかった人の言葉に、自分たちの耳を疑った。
「今、行くって言った?」
「……言った…と思う」
私達はおせんさんを見つめる。
幽霊って自分以外の幽霊に興味みたいなものがあるのかな?
「えっと…見たいの?」
と聞くと、
「………………市助……」
市助?もしかして病院の関係者とか?
「そこに市助さん来るの?」
すると薫が、
「違うんじゃない?おせんさんは市助がどこにいるか分からないんだよ」
まぁ、確かに。
「どこにいるか分からないなら―――まぁ、これは私の勝手な考えだけど、まず自分がここに居る事を知らせる方が早いと考えてるとか?」
!
思わず薫の顔をジッと見てしまった。
「何か、今日冴えてない?薫さん」
へへん、と得意そうな顔をする。
「馬鹿にしてたでしょ」
その言葉に、いえいえ、と首を横に振ってみせる。
ただ、この案には一つ問題があるように思える。薫の言った通りとして、今の市助さんにおせんさんが分かるのかって事。しかも幽霊だし。
「おせんさん。その市助さんはおせんさんを見たら分かるの?」
私の問いに、いつもの沈黙があってから、
「……………思い出す………」
思い出す?また難しい事を―――。
ん~、と片手を自分の顎にあて考える。
生まれ変わって別人になってる筈だから、思い出すっていうのは前世の記憶?
顔をあげ、おせんさんを見る。
おせんさん、それ無理なんじゃ…。普通の人は、思い出すにしても生きてる間の記憶だけで、それも大人になった人なら5歳くらいまででしょ。それでも5歳の記憶覚えてたら凄いのよ!それなのに―――それをこえて、生まれる前のそのまた前の記憶なんて、無理だって!!
「はぁ」
またため息が…これって信じていいの?
私を見つめるおせんさん。キツネとは別の意味で頭が痛くなってくる。
幽霊って、考える事も次元超えなの?
ん~、でも他に方法なんて見当たらないし、駄目もとでやってみるしかないのかな。じっとしてても今までだって何の案も浮かばなかったんだから。
私としては行きたくないのよ。自分から怖いところへなんて…。
「おせんさん。ちなみにおせんさん一人で行ける?」
かすかに首を横に振る。
やっぱりかぁ。
諦めと言う言葉が脳裏を横切る。
やっぱり私も行かなきゃ駄目なのね。
私は顔を上げ、自分に言い聞かすように言った。
「行くしかないか」
この時期は暗くなるのが早い。病院の入り口付近には、もう人が集まっていた。
噂ってまわるのが早いのね。感心する。
そして、関係者らしき人達が立ち入り禁止のテープを張っている。
「どうする?」
薫に聞くと、
「裏へ回ろう」
と言って、さっさと人を避け行ってしまう。こういう時の薫の判断と決断は早い。
「ちょっと待って」
私は人を避けるのが上手くいかず、ぶつかる度にすみません、と謝りながら薫の後を追う。
病院の裏手にはちょっと錆びついたフェンスが張ってあり、私が手を伸ばしても上には届かない高さだった。そして、そのフェンスの向こう側には、手入れのされていない雑木林がある。まだ葉はついていないけど、荒れ放題に伸びていて人が入って行けるような所ではなかった。
「入れないね」
と薫に言うと、
「よし、ここからフェンスを越えよう」
「え?」
私の問いにも答えず、ヒラリと、フェンスに手をかけ軽々と登って行ってしまう。
だからちょっと待ってって!
確かに他に比べたらまだ雑木林は少ないけど、それでも人が通る場所なんてないじゃない!私は薫と違って運動能力には自信がないのよ。
躊躇してると、
「……………行く………」
おせんさんまで…。
ああ!もう分かりました。行けばいいんでしょ!頑張りますって!
心に決めフェンスに手をかけた。
私達は今、病院の敷地内にいる。すぐ目の前には入り口がある。壁の影に隠れ、様子を見ている。
さっきは散々だった。薫はさっさと行ってしまうし、私が必死にフェンスをよじ登っていると、スッと何かが脇を横切ったのでそちらに目をやれば、おせんさんはフェンスを楽々とすり抜け立ち止まっている。振り返るあの無表情な顔で見つめられて、あの時ほど幽霊が羨ましく思ったことはなかった。
なんせ、こっちは必死で登っているっていうのに!あの時の私の気持ちといったら…。
もう二度とこんな事しないんだから!と思わず声に出てしまうかと思ったほどだった。
見れば、自分の姿は枯れ枝にひっかかれ手には傷、膝はフェンスを飛び降りた際、着地に失敗して転んですりむき、髪はボサボサ、服もどこかにひっかけたのかボロボロで、この暗がりの中じゃ、おせんさんより私の方がオバケに見えてしまいそうだよ。
とにかく、ここまで来たのだから、気持ちを切り替えていくしかない。
作戦としてはこうだ。ちょっと可哀想だけど、撮影者の人達を驚かし、その隙におせんさんがカメラに写り込むというもの。
上手くいくといいけど―――。




