光の中へ
三月―――。
晴れて薫は目標の高校へ合格した。その時の薫は、とても綺麗な笑顔で、
「ほらね。心配いらなかったでしょ」
と爽やかに言った。母も私も、ほっと一安心したのを覚えている。
そして今日は私の番。
慌ただしく舞台化粧をし、着付けをする。いつもの事だけど、舞台前の楽屋は人の行き来と時間に追われる。
辺りは、白粉の甘く粉っぽい香りに包まれている。今の私は、白化粧に美しく彩られ、目元には紅をさし、口元にも品良く紅がひかれる―――色香が増す。日本髪に結った黒髪には、赤い玉簪をさす。
この瞬間から、私は別人になる。
今回の衣装は、母にお願いをしておせんさんと同じ着物を作ってもらった。紫の縞にからし色の昼夜帯、赤い前掛けをした茶屋娘。白粉を塗った素足を黒塗りの下駄へそっと滑らせるように履く、小道具の丸盆と手紙を持つ。
いよいよ私の番が来る。舞台脇に案内されると、かすかな緊張感がおこる。舞台が明るければ明るいほどここは暗い。心を落ち着け、出番を待つ。
すると、闇の中から黒金の声がした。
「来てるぞ。客席の後ろだ」
来てる?誰が?
黒金は姿を見せない。それだけ私に伝えると、声はとだえた。
前の演目が終わり、幕が下りる。私は舞台中央へ出ていき、赤い毛氈の敷かれた長椅子に腰かける。丸盆で顔を隠し、幕が上がるのを待つ。
トクン、トクン、心臓の音が聞こえる。光が強い。眩しいくらいだ。
幕が開く―――。
光の中、三味の音が響く。すっと立ち、前へ出て顔をあける。一瞬静かに会場はざわついたが、すぐ静けさは戻った。
私の視線は一点に注がれる。
暗い客席の一番後ろ、白く浮き上がるおせんさんの姿が!
来てくれたんだ―――。
嬉しさと、ありがとうと、さよならと、もう会えないだろうという、何とも言えない感情が込みあがってくる。
三味と鼓の音に唄がのる。体は自然と動く。
言わずとも伝わる想いはきっとある。私はこれが最後の別れだと感じていた。
微かに痛みを感じる心を、光が包んでくれている。
届け!あなたに感謝を込めて―――今、時空を超える!
艶めく刻―――。
ここはおせんの居た茶屋の前。
淡き桜は、ほんのりと。
掛行灯に火を入れる。
ふわり。
一片 はらはらはら。
白いうなじの立ち姿―――。
空間が変わっていく。流れる気が変わる―――。
踊り終わると、会場からは一斉に大きな拍手がわきおこる。私の視線の先には、おせんさんがいる。私に向けて、笑顔で精一杯の拍手を送っている。
なんだ、そんな笑顔も出来るんじゃない。
涙で視界が滲む。
幕がゆっくり下りて行く。おせんさんも、笑顔のまま拍手の手を止めることなく、緩やかに消えていく―――。
私は幕が下りきるまで、おせんさんの居た所から目を逸らすことは出来なかった。
時を少し遡り―――――。
薫は会場の一番後ろから、立って舞台を見ていた。
「へェ。やるじゃナイ」
紅丸が耳元で囁く。会場の皆には紅丸の姿は見えない。今は私だけが見えている。
庵姉、綺麗だ。光を浴びて、まるで舞台から浮き上がってくるようだ。
会場は一瞬、庵姉の美しい姿にざわついたけど、今は静まり返って真剣に見入っている。今見えているのは別世界だ。
「この姿、おせんさんにも見せたかったな」
と呟くと、
「その心配はなさそうヨ。ホラ」
と紅丸が指さす方を見る。同じ後ろのややはじにおせんさんはいた。
「おせんさん!」
思わず小声で驚きの声が出てしまった。辺りを気にしたが、誰にも聞こえてなかったようだ。
ほっとする。
「そうなのヨ。何か勝手に出て来ちゃったみたいネ。マァ、アタシが叱られる訳じゃないカラほっとくケド」
紅丸の声も先程から小さい。私にしか聞こえないの分かってる筈なのに。きっと会場の気に飲まれているのだろう。
おせんさんの顔は微笑んでいるようにみえる。幕が下りる瞬間、おせんさんは最高の笑顔をして手を叩いていた。
庵姉、良かったね。
心の中で呟いた。
幕が下りた会場からは、あちらこちらから話し声が聞こえて来る。
「素敵だったわね」
「本当、綺麗だったわぁ。ため息出ちゃうわよ」
「あの若さで、あのなめらかな動きと、嫌みのない色気ってどうやったら出来るのかしら」
「私、本物が出てきたかと思っちゃったわ」
「これからが楽しみね~」
会場から聞こえてくる声は上々だ。
やっぱり、庵姉のこと褒められると嫌な気はしない。紅丸はそれを聞き、
「なかなか好評じゃナイ」
と言ってきた。だから言ってやる。
「当たり前でしょ。誰の姉さんだと思ってんのさ」
と笑いながら―――。
紅丸は、ハイハイと言って姿を消した。
楽屋裏―――。
私は小道具をかたしながら、薫が来るのを今か今かと待っていた。そして、薫の姿が見えたかと思うと、駆け寄りざまに、
「あのね!おせんさんが!」
と言うと、薫もニコッと笑って、
「分かってる。居たね。あんなおせんさん始めて見たよ」
「うん」
そうか、薫も気づいてたんだね。良かった。
改めて噛みしめるように頷く。
もう、この世にいないのは分かっている。もう会えないのも分かっている。でも、ちゃんと通じ合えたと思える瞬間があったから、私は満足できる。
あの笑顔は忘れない。
「な~んか、以外に良かったわヨ~」
紅丸の何とも気の抜けた声がする。
くす。思わず笑ってしまう。
もしかして、これは一応、紅丸式の気づかいなのかな?
「キツネ、以外は余計だ」
影から黒金の声がする。黒金も気を使ってくれている。
薫と目が合う。
「次は二人でだよ」
「ああ、勿論!やっと出られる。暴れるぞ~!」
とゲンコツを作ると、片腕を伸ばし、ぐ~っと伸びをした。
薫、舞台出たがってたもんね。
「あなた達、早く着替えてこっち手伝って頂戴!」
母の声がする。
その声に顔を見合わせ笑った。
「さぁ、行こうか!」
私達は母の所へ走り出す。
この世はいつでも“不思議”と隣り合わせ。
いつ、どこで、何が起こるか分からない―――。
鬼が出るか蛇が出るか、はたまた天女か妖精か―――。
さあ!前を向いて次の舞台へ行こうか!
夢子より
皆様、最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。本当に感謝です。
今回は、前回の様な昼ドラ風なものを!と言って下さる方もいたのですが、もっと軽めなものを!という意見も頂いてましたので、初挑戦してみました。
が!これが難しかった~。
コメディーの書き方も分からなかったし、怪談やホラーは苦手で、そういった本や映画も見ないし…
なのに!
何故そっちにいった!?と自分でも不思議でなりません。
そこそこ書けていたら良いのですが…
ちなみに、私のお気に入りのキャラはおせんさんです。何となく女の友情みたいなものが書けたらな~と思っていました。
「月白さん」今回も本当にありがとうございました。
投稿した後に何度も書き換えるという作業をしてしまい、申し訳なく思っています。
メッセージを下さいました方、おかげでめげずに最後まで書き終える事が出来ました。本当にありがとうございます。
暫く公私共に忙しくなり、ペンは机の中にしまいますが、いつかまた書ける時が来たら、この続きなぞを書いてみたいな~と思っております。
その時は、また皆様の目に留まることを願い、今回はここで幕を下ろしたいと思います。
素敵な皆様に、乾杯!(*´▽`*)