嘘でしょ!?
ドンドンドンドン…
大太鼓の音が響く。
男は、この社殿に入る前まではもの凄く暴れていたけど、皆に押さえつけられ座らされると頭をだらりと下げ大人しくなった。
ドンドンドンドン…
体中に音が響く。頭の芯まで届いてくる。
神主さんの祝詞を唱える声が、次第に耳の鼓膜に反響しだし、こだまし、ぐわんぐわんと音が間延びして聞こえて来る。
耳がおかしくなったの?
次第に辺りの景色もぼやけだしたかと思うと、突然ぐにゃりと目の前が歪んだ。皆の姿が見えなくなる。
気が付くと、先程と同じ社殿の中に居るのに、この場には頭を下げてうずくまるように座っている男と、私だけしかいなかった。そして、白い煙をまとった玉が二つ、長く尾を引いてこの空間を飛び回っている。
これは…目の錯覚?
呆然とその場に立ち尽くしていると、男の背中からむくむくと何かがわき上がって来た。
赤い煙?それは次第に大きくなり、どんどん天井へ向け、高く、大きく拡大していく。
すると、空間を飛び回っていた二つの白い玉は、一つがすーっと上空へ行き、旋回しだした。
まるで、赤く得体の知れない煙がこれ以上拡大しないよう、結界を張っているように私には見えた。
赤い煙は、それ以上大きくなることはなくなった。もこもこ動きながら、何やら姿を形成していく。
ギラリ。
中から光る目が現われた!それは赤く、瞳孔が細く、この化け物化した男の目と同じだった。耳と大きな口も現れる。
キツネらしからぬ、あの時の写真にそっくりだった。赤い目が私をとらえる。その目には、恨みと憎しみが込められている。
ぶる。
体に震えがはしる。天井に届きそうなほど、高く、大きくなったそれを見上げる。
こんなのキツネじゃないよ。
すると、さっと白い玉が私の傍へ来て、私を守るように私のまわりを旋回しだす。その間にも、その化け物は
“ぐるるる……”
と唸り声をあげながら、私に覆い被さるように上から見下ろしてくる。暫く私のまわりを飛んでいた白い玉は、赤い化け物と対峙するように一定の距離を持って静止した。
赤い目がその白い玉をとらえる。すると、玉はさぁっと一陣の風を纏いながらその姿を変えていく。
!! あれは夢の! 夢の中に現れた人だ!
まさか実際にこの目で見られるとは思わなかった。何とも言えぬ感動がおこる。目の前には化け物がいるというのに、その全てを一瞬で忘れてしまうほど美しい。
まさに、天界の人だ。
目が―――合う。心が―――取り込まれそうだ。知的で、底知れない奥深さ、深みのある金色の瞳。あの時と同じ
その金色の瞳が、静かに、そして鋭く、赤い化け物を見る。化け物は、やはり何かを感じ取ってしまったかのようで、苦し気に悔しさをまじえたような低い呻き声をあげる。
化け物は動かない。いや、動けないのかもしれない。
ただそこに居るだけなのに、何と静かで、底知れない恐ろしさがあることか―――。化け物はきっと今、心の奥底でその瞳と戦っているのだろう。
凄い―――強く張り詰めた気が満ちる。伝わってくる気に、肌が痛くなりそうだ。空間全体が、もはや支配されている。
化け物は体勢を低くし、耳を後ろに倒し、じりじりと後退し始める。今にも逃げ出す体勢をとっていた化け物は、敵わぬ相手と見て取ったのか、ギロッとこっちを見た。
ドクン!
心臓が大きく飛び跳ねる。標的を変えた!次の瞬間、大きな鋭い爪が私目がけて振り下ろされる!!
ハッと思った瞬間、ギュッと目を閉じる。
殺される!!
「……………………」
あれ?何も起こらない。
そっと目を開け辺りの様子をうかがうと、美しい人はそのまま静かに立っている。赤い化け物は、頭を白い狼に踏みつけられ動けずにもがいている。見れば、片腕は引きちぎられ、その腕は狼の口の中にあった。口からはみ出ている手は、もこもこと動いている。
宙を飛んでいたもう一体が助けに入ってくれたのだ。安堵する私の目の前で、その腕を容赦なく噛み砕く。
バフッ!
その腕は煙のように跡形もなく消え失せた。
“ぐぐぐぐ……”
化け物は苦しそうに呻く。狼は片足で押さえつけているだけなのに、狼と同じ大きさの赤い化け物は動くことも出来ないようだった。これが力の差なのかもしれない。
見下ろす金色の目。死を覚悟させるには十分すぎる程鋭く、甘さなど微塵もない。低く、体の奥から出てくる狼の唸りは、私のお腹のそこまで響いてくる。
悔し気に睨つける赤い目。のしかかる前脚に力が込められる。
‶ぐぐぐ……”
化け物は苦しさの余り、目をギュッとつぶる。
バンッ!!
目の前に大量の赤い煙が舞い上がる!何も見えない!どうなっているの?
「庵姉!庵姉!」
後ろからよく知った声がする。振り向くと、薫が急いで駆け寄ってくる姿が見えた。
「薫!」
私のところまで走ってくると、
「見てたよ!ずっと見てた!何度もこっちに来ようと思ったけど、壁みたいなのがあって来れなかったんだ!」
「薫、皆は?」
薫は首を横に振る。
「知らない。私も一人きりだった」
どうやら、私と薫は別々に隔離されていたようだ。
緊迫した状況の中私の隣に立ち、赤い煙の中、目を凝らす。もくもくと立ちのぼっていた煙は、次第に薄く消えていく。
?
何か小さい赤い玉のようなものが見えてきた。
「あーもう、やんなっちゃうわネ」
「「!!?」」
男の声と共に現われたのは、橙色に朱っぽい毛が混じった、猫より小さな生き物だった。その小さな生き物の傍には、天井に届きそうなほどの大きな狼がいる。それと比べてみると、まるでネズミのようだと思えた。
何?このもふもふの可愛い生き物は?これは…。
それは、不機嫌極まりない、といった風に小さな頭を数回振り、私達を睨む。
「全くもぉ~。アンタ達、アタシを殺す気?」
「……………」
「……………」
えっと…これは今、どうゆう状況になってるの?
私も薫も、ある種、凄い衝撃を受けていて、何も言えないでいる。
「チョット!何とか言いなさいヨ!返事くらい出来るでショ!」
と、短い前足でぺんぺん床を叩く。
足…ついてる。
ついさっきまで私を殺そうとしていた筈の化け物が…。
駄目だ、頭がついていかない。これがキツネなの?
「……キツネって、オカマなのか?」
薫が私にボソッと聞く。
「それ、私に聞く?…オサキってオカマなの?」
「それ、私に聞くか?」
何だろ、この変な会話。
きっと、私達はこの時、これが本当の鳩が豆鉄砲を食ったような顔、というのをしていたに違いなかった。