逆襲
私と薫は今、三谷家の一室に隠れている。
時は午前3時。暗闇の中で息をひそめ、あいつが寝るのを待つ。
つい先ほど二階の窓ガラスが開き、キツネに取り憑かれた男がどこからか帰って来たばかりだ。男は隣の部屋、襖一枚隔てた向こう側にいる。
何だかこのパターン、前にもあった気が…。
チラッとおせんさんを見ると目が合った。
そうだ、あの病院の事件からまだそんなに日が経ってなかった。最近の私の人生はホラー色濃いな。なるべくなら違う日常、もっと普通の日常がいい。寝て、起きて、食べて…。こんなことを、こんな状況の中で考えていられるほど、既にゆとりがあることが異常。
薫を見ると、真剣に隣の部屋の気配を気にして………ない!
あくびを噛み殺し、目をこすっている。
薫…あなたは私より慣れちゃってるの?ちょっと、大丈夫?すごく不安になってくるよ。
あと、この部屋には一応奥さんも一緒に隠れてもらっている。二人では手に負えない可能性が高いので、三人で力を合わせ男を取り押さえる作戦となっている。
男は暫くがさごそと部屋の中を動いていたが、今は静かになった。
襖の間からそっと覗く。既に暗闇に慣れた目で確認すると、布団の上に両ひざを折り曲げ、丸くなって寝ている。まるで犬か猫のようだ。
今出ていくと、まだ寝込みが浅くすぐ起きてしまう可能性があるので、もう暫く待つ。
時間が長く感じる。
寝込みを襲うのは卑怯な気もするけど、そんなことは言っていられない。失敗したらこっちの身が危ないのだ。相手にどれ程の力があるかも分からないので、出来るだけ、自分達が有利に動ける状況になるのを待つ。
襖一枚隣から、すーすーと寝息が聞こえ始めた。
私は薫に目で合図する。薫も軽く頷く。さすがに薫の眠気もなくなっているようなので、ひとまず安心。
そーっと襖を開け、様子を見る。男は動かない。一歩、その部屋の中へ足を踏み入れる。
!?
一瞬、うっ、と息をのむ。そして、両手で自分の鼻と口を押えた。
何!?この臭い!
この不快な、それは―――生ゴミが腐ったような―――。
あぁ!もう!これ以上頭の中でリアル想像したくない!!
薫もすぐ私の隣で、たまらん、と言った風に鼻と口を両手で押さえている。
もうこのままUターンして帰りたい!と躊躇していると、気配を察したのか、男の体がピクッと動いた。
まずい!
急いで薫に合図をする。薫も男の動きに気付く。男はゆっくり顔をあげ、こっちに向きかける。
いけない!!気付かれてしまう!
次の瞬間、
「ごめんよ!」
と薫の声がするなり、
ガッ!
ドサッ
と音がした。
なんと、薫の回し蹴りが見事に男の顔面にヒットして、男は布団から上半身をはみ出し、仰け反っている。そこへ、間髪入れずに薫はヘッドロックをかける。
あまりの手際の良さに、私は一瞬自分がどう動いていいのか分からなかった。
「庵姉!」
薫の声にハッと我に返り、私も急いで暴れる男を押さえにかかる。ヒモでくくろうと力を入れるけど、上手くいかない!凄い力だ!
「三谷さん!三谷さん来て!」
私が必死に呼ぶけど、奥さんは驚きの余りこの部屋の角で固まっている。
駄目だ!このままじゃ!
「奥さん!!」
やっと我にかえった奥さんも参戦する。男の両手を後ろに押さえようと悪戦苦闘する。男の力は凄くて、徐々に薫のヘッドロックを外しにかかる。
なんてやつなの!あと少しで外されそうだ!
薫の顔も苦し気にゆがむ。長期戦は圧倒的に不利。やはり、女の力では化け物相手は相当厳しい。
あ~上手くいかない!!おとなしくしてよ!!駄目だ!!形勢逆転されてしまう!!
とその時、男の大きく裂けた口に何かが放り込まれた。
「ガハッ!!」
男の力が一瞬緩む。
今だ!!
私達は残りの力を振り絞って、一斉に男を抑え込み、動けぬように縛り上げた。
よくよく見ると、男の口には大量の唐辛子の粉が入っている。そしてその傍には、おせんさんが空になった唐辛子の缶を抱えて、ぼ~と立っていた
……………おせんさん……………ナイス。そしてありがとう――――。
私達は疲れ果て、その場にドッと座り込んだ。奥さんは空の缶が宙に浮いているのを見てたけど、もうそんな事に驚く力は残っていないようだった。
とにかく私達は捕まえた。何とか捕まえることが出来たのだ。
………奇跡だ………。
もう少しで目的の神社に着く。
まだ夜が明けきらぬ前に、この男を三谷さんの車に詰め込んで人目を避けるようにコソコソ行動する私達は、はたから見たら誘拐犯と思われそうで気が引ける。
山道を行き、その神社へ着くころには、辺りは少し明るくなってきていた。
そして、到着そうそう。
前もって連絡を入れておいたので、すぐ裏口へ案内された。
こんな化け物男を連れていて参拝者と鉢合わせにでもなったら、大変な騒ぎになることくらい容易に想像できる。
神主さん達の力も借りて、男を社殿の中へ運び込む。ふっと振り返ると、おせんさんが入口の外から入って来ようとせず、じっと立ち止まっていた。
「薫、先に行ってて。後から私もすぐ追いかけるから」
「OK」
薫も男を運び入れる手伝いをしに行く。私はおせんさんの所へ駆け寄り、
「どうしたの?来ないの?」
と聞くと、
「…………入れない………」
「入れない?」
「………………結界………」
あぁ、そうか。おせんさんは幽霊で、ここは神の場。あまりにも一緒にいすぎたせいで、幽霊と分かっていたのに、おせんさんは特別な気がしていた。
「そうか、気付かなくてごめんね。じゃあ、出口の所で待ってて。なるべく早く戻るから」
とおせんさんに背を向け、じゃあ、と手をあげると薫の後を追って走り出した。おせんさんはかすかに頷いたように見えた。
この時、私はキツネのことで頭がいっぱいで、もう一つの重大な可能性があることを見落としていた。