第6話「ルーグ城砦」(改定)
勇者の手により各種族が恐るべき邪神官の圧政より解放されたのは今から306年前。
故にこの大陸の暦を解放暦と呼び、解放の年を元年とするため今は解放暦306年となる。
1年は12ヶ月と嘗ての文明の名残であるグレゴリオ暦がそのまま採用されており、大陸に住まう人々はその暦を頼りに農耕や狩猟に励んだ。
解放暦306年4月、異界から来訪した神土 征四郎を含む妖術師達が人里を離れ、平穏に暮らしている頃、この大陸を揺るがす大きな事件が勃発した。
事の起こりはエルフとケンタウロスが統治するシャーラン王国の一領主、ジャスパー・ブラウニングが反乱を起こしたのだ。
ブラウニング家はシャーラン王国の重鎮であり、当主のジャスパーはエルフ達の長老格の一人である。
強権的な女王、メレディス・シャーランとは意見が合わない事が多く、疎まれていた。
ジャスパーもメレディスを嫌い、事ある毎に公然と女王を批判していた。
そして、その確執が遂には領主の反乱と言うシャーラン王国の益にならない内戦へと突入したのだ。
これだけであるならば、他国も他種族も其処まで気にも留めなかったことだろう。
よくある話でもあり、対岸の火事に過ぎない。
だが、問題はここからである。
この反乱軍が、攻め込んだのがシャーラン王国の王都ではなく、とある城砦であったからだ。
その名をルーグ城砦。
ここバルアド大陸のほぼ中央に位置する不可侵領域である。
バルアド大陸に住まうものであるならば、決して手出しをしてはいけない城砦をブラウニング軍は攻めたのだ。
この衝撃を他の大陸のものが推し量るのは難しい。
しかし、その歴史を紐解けば不可侵領域である理由も、其処を攻めたブラウニング軍の失策も理解できるだろう。
ルーグ城砦は、今から800年前に魔法帝国により建設された石造りの城砦である。
魔法帝国…つまり、ガヴ一族の輝ける帝国と名乗っていた古の大帝国。
今となっては長い名前を態々口にする者は無く、魔法帝国とだけ呼ばれるこの国は魔術師のガヴ家が皇帝として治め、巨大な版図を築き上げてていた。
その起こりは燃え盛るものの旅立ちより200年が過ぎた1200年前に遡る。
初代リルガン・ガヴが後に帝都と呼ばれる場所に居城を構えて、国を作った事が発端である。
以降約600年の繁栄を謳歌したある日に、栄華を誇った帝都が一夜にして滅びた伝説の帝国である。
帝都が滅んで以降は、生き残りの貴族たちが国を纏めようと足掻くが数年も経てば、ガヴ一族の輝ける帝国は分裂と争いを繰り返して滅びてしまった。
皇帝の居ない帝国に延命の余地は無かったのだ、ただ、版図が大きかった分崩壊に時間が掛かっただけの話である。
その伝説の帝都ディクシュワカはテルハ大陸に存在していたと言うが、遠く離れたバルアド大陸にも駐屯軍を派遣出来るほどの国力が魔法帝国にはあった。
それほどの国の首都が約600年程前何故に一夜にして滅んだのか。
当時を知る者は今は無く、真相は不明である。
ただ一人、魔法帝国が滅びた後テルハ大陸に名を馳せた魔術師ジュアヌスのみが語ったと言う。
赤き龍の到来が帝都ディクシュワカに滅びを告げたのだと。
その伝説的な魔法帝国の手により建設されたルーグ城砦は、軍を駐屯させる為の城砦であり、何かを封じていた遺跡の上に建てられた監視の城砦でもあった。
その遺跡の管理と軍の指揮を仕事としたのは、魔法帝国の貴族であるナグ家。
城砦は単なる駐屯地と言うだけではなく、ナグ家の居城でもあったのだ。
故に城砦は兵士と自動人形の姿が常に見受けられていた。
ナグ家は約200年間ルーグ城砦の主であり続けたが、魔法帝国の崩壊後は兵士達を纏めきれず、終いには軍は散り散りになってしまった。
当時の若き当主ビグルカヌ=ナグは、自身の力の無さを悲観して城砦を飛び出してしまい、後に残った自動人形達が淡々と主無き城砦を維持し続けた。
ビグルカヌはその後、地底に眠る神との血縁が噂されるディギアと言う女と世帯を持ち、生まれた娘の一人にロズワグンと言う名を付けた。
後に死者の軍団を操り、邪神官デルアーと対峙した死霊術師ロズワグン=ナグの誕生である。
さて、一方で散り散りになった軍の兵士の中に、遺跡を暴こうとしたものが現れた。
名前をデルアー。
悪運が強いだけの人間の男であったが、遺跡の内部で邪神ル・イスラとその経典に出会い、神官として権勢を手にする事になる。
ここで、ルーグ城砦は主の居ない期間に終わりを告げて、邪神官デルアーを主に迎えたのだ。
ルーグ城砦は、邪神官の圧政の現場へと変わる。
正気を失っている邪神ル・イスラは経典に記された礼拝の作法でのみ働きかける事が出来た。
数多の生贄を必要としたが、示す力は恐るべきものであった。
その力が凄まじければ、凄まじいほどに神官デルアーの権勢は増し、バルアド大陸は彼の物へと変わった。
デルアーはエルフやケンタウロスの女を侍らせ、その見返りにその種族を一等種族と位置づけた。
ダークエルフやデモニアは、ル・イスラに対して多少の耐性を示していたので、二等種族として遠ざけ僅かな危険も排除した。
オークやドワーフ、コボルトにゴブリンは見目が気に入らないからと三等種族として定め、労役に酷使した。
この種族分けが後の三国の構成そのままなのは、この時の種族間格差が重大な軋轢を生んでいることを物語る。
自動人形はデルアーには従わなかった為、多くの固体が破壊されたが生き延びた者もそれなりに居り、偽りの城の主を打ち倒さんと画策するようになる。
それでも徒に時だけが流れて行き、デルアーの支配が始まって250年の月日が流れた。
250年の月日が流れたある日、バルアド大陸の状況を危惧して海の彼方からやって来たのが、邪神ル・イスラの娘であるル・ジュアだ。
母とは違いル・ジュアは正気を失うことなく、経典を以ってしても従わせる事は不可能な存在だった。
そも、経典自体ル・イスラが正気をなくしているときに、如何にかコントロールする事が可能と言うだけの代物なのだ。
ル・イスラを解放…つまり、打ち倒しその魂を安息に導こうとル・ジュアはやって来た。
だが、悪運に味方された神官デルアーの姦計に嵌りその命を落とすことになる。
その際にデルアーの目を欺き、死霊術師ロズワグン=ナグの協力の元、廃棄されていた自動人形に魂を移して、生き延びた。
以来、神官を排除して正気戻らぬ母を討つ為、各地を放浪して数十年の後、勇者クレヴィと出会った。
勇者は彼女の願いを聞き入れて、神官を倒して邪神を滅ぼす事を約束した。
それから10年の歳月を彼女は勇者と共に過ごし、遂に勇者は機が来たと彼女を含めた仲間たちと共にこのバルアド大陸に渡ったのだ。
妖術師ラギュワン・ラギュ、自動人形であり魔術師でも有るレーギーナことル・ジュア、オークの守護騎士ガラゴ、エルフの弓兵サンドラ、デモニアの魔法剣士エルランド、それに勇者クレヴィの六名は、伝説的な力量を兼ね備えていた。
それでも、邪神や邪神官と戦うのは分の悪い賭けだったと言われていた。
実の所、テルハ大陸の諸王にとって、其れは願っても居ない事だった。
彼等は自分の手を汚さずに勇者を始末できることを願った。
勇者クレヴィ・アロの勇壮なる物語は、邪神ル・イスラと戦う事でその幕を閉じる、その様なシナリオを望んでいた王達だが、彼等は幾度と無く勇者に助けられている者達である。
そんな彼等が何ゆえに勇者クレヴィの死を望むのか…。
それは勇者の姿に己を重ね合わせ、恐怖に陥っていたからである。
あらゆる不義を不問として、裏切られて尚この世界の為に戦う勇者を当初は利用しやすい駒と考えていた。
だが、ある段階から勇者の在り様が恐ろしくなってしまったのだ。
何故、何も欲さず戦うのか理解出来ず、このままでは何れはその強大な力とカリスマを用いて復讐に立ち上がるのでは無いかと。
勿論、勇者クレヴィにはクレヴィなりの持論や考えがあるのだが、諸国の王には分らない。
今少し、権力を欲して色欲に耽っていればまだ理解できたのだろうが、クレヴィはそう言う意味では清廉でありすぎた。
だから、諸国の王は恐れた。
分からないという事は、何より恐ろしい事である。
王達の中に巣食う恐怖は疑心を生み、姿身を見るように勇者の行動に陰謀や野望、復讐を見てとった。
判断基準は権謀術数に優れた自分なのだから、其れも致し方ない。
だから、勇者の死を願っていたのだ、それも自身では手を汚さないという卑劣な願いを。
だが、邪神の娘が自動人形となって勇者の傍にいるなど、諸王には考えも及ばぬ出来事であった。
勇者は王達の予想に反して邪神を滅ぼし、神官デルアーを打ち倒した。
城を追われていた自動人形達と、幾つかの種族から派遣された勇士達と共に城に攻め込み、まず神官デルアーを打ち倒し、続いて勇者と仲間達のみでル・イスラを滅ぼしたのである。
勇者は正気をなくしたとは言え、邪悪なる者とは言え、神にすら打ち勝ったのである。
これにより恐怖を一層昂ぶらせ、それに押し潰されそうな諸王達は、遂には結託し数多の魔術師による致死の呪いを、勇者に叩き付ける形振り構わない行動に打って出た。
勇者が裏切ったのだとプロパガンダを国民へ畳みかけ、正当性を誇示もしながら。
だが、その邪神を打ち倒した勇者が邪神の娘と恋に落ち、愛を育んでいるとは予想すらしていなかった。
ましてや、その邪神の娘が自動人形にあるまじき魔力で、数多の魔術師の放つ致死の呪いを弾き返してしまう等とは…。
結果、諸王のお抱えの魔術師は呪いを返され、殆どが死してしまった。
ここまで来ると、王達の恐怖は絶頂を極め酷い有様であった。
それでも、どうにか名うての魔術師達を雇い入れて、勇者を長い眠りに導いたのだ。
勇者が眠りに付いたと知れば、植民地支配すら考えていた筈のバルアド大陸を霧で閉ざして封印するように命じた。
この一例をもってしても、諸王がどれ程恐れていたのかが良く分る。
一方勇者の方は、ルーグ城砦の奥深くで邪神の娘にして現在は自動人形であるレーギーナことル・ジュアを筆頭に、数多の自動人形に守られながら眠りについた。
これが魔術的な眠りであると勇者クレヴィは気付き、長い時間を経れば自分は起きるだろうと言い残して。
其れは、自力で眠りの魔術を打ち破ると宣言したようなものであった。
この一連の歴史から分るように、このルーグ城砦は今は勇者クレヴィの眠る聖域である。
嘗ての圧政の象徴でもあり、古き魔法帝国の遺跡とも言えるが、今では解放者クレヴィの眠る彼の城なのである。
勇者が眠るとされる城砦最深部は公開されていないが、それ以外は勇者の武にあやかろうと参拝に来る者達や観光に訪れる者達のために開かれていた。
観光客や参拝者目当てに露店が連なり、平日ですらそれなりの賑わいを見せており、各国の諍いを一時忘れて訪れた者達は束の間の平和を謳歌する場所であった。
其処を愚かにもジャスパー・ブラウニングは攻めたのである。
これは失策以外の何者でもなかった。