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異世界における武力衝突  作者: キロール
序章
3/88

第2話「漂着」(改定)

 神土カンド 征四郎セイシロウは何処とも知れぬ土地で空を見上げている。

 追憶の時間は過ぎ、まどろむ様に意識を手放したのと同じ頃合の出来事。


 寒々しい風が音を立てて吹き抜けていく。

 見渡す限り荒れ地が広がる不毛の大地には、風に煽られる草木は見当たらない。

 乾燥した赤土が風が吹くたびに砂埃となって微かに削れていく。

 その荒野を一人ひた走る影が一つ。

 フードを目深に被った異形の人影は、荒野の只中に有る岩山にぽっかりと口を開いた洞穴へと駆け込んだ。


「ラギュワン・ラギュ! 居るか、妖術師!」


 名前と思しき言葉を開口一番に叫ぶ人影。

 その声は、涼やかな女の声である。

 洞穴の奥からしわがれた声がいらえを返した。


「何事か、騒々しい。死霊術師ロズワグン=ナグともあろう者が何を騒ぐ。」


 億劫そうに重い足取りで現れたのは、やはりフードを目深に被った老人である。

 その顔には仮面を付けているので、年齢は分り辛いがローブの袖より見える皺だらけの枯れ木のような指先や、ゆったりとした足取りから相当に老齢である事が予測できた。


「異界からの来訪者だ。貴公も歪を感じたはずだ。」


 ロズワグン=ナグと呼ばれた来訪者は、指摘を受けて一度呼吸を整えれば、落ち着きを取り戻したように感情を抑えて告げた。

 老人ラギュワン・ラギュは一度、かぶりを振って、来訪者へと視線を向ける。


 仮面の覗き穴からは、暗い紫色の光が零れている。

 其れは、彼の魔力があふれ出ているのだ。

 おかげで、その瞳が何を思い向けられているのか、ロズワグン=ナグにも見当は付かない。

 ただ、訝しんでいる事は推測できた。


「貴公の友とて、異界より来たのだろう。またぞろ、友人として迎えられるかも知れん。それにな、彼奴は瀕死なのだ、余には貴公の助けがいる。」


 ロズワグン=ナグは、己が降霊術の最中に瀕死の男の魂と接触したのだと説明を始めた。

 その男は大層面白く、殺すのは惜しいのだと淡々と告げる死霊術師に、老いた妖術師はやはり訝しげであった。

 この死霊術師は人の生き死にを気にするような輩ではなかった筈だと。

 だが、死に逝く者をそのまま捨て置くには、妖術師は善良でありすぎた。

 ならば致し方なしと取り急ぎ外出の用意を纏めれば、死霊術師を伴なって異界の男が居るであろう場所へと向かった。


 歪を、つまり魔力的な違和感を感じた場所へと向かえば、老いた妖術師と死霊術師の前方に倒れ伏す者が見えた。

 数多の傷とその周囲にこびり付く凝固した血液、二人の見知らぬ服装の男。


「これか、歪と共に現れた異界の者とは?」


 妖術師の垣間見える手首と同じようにしわがれた声は驚きと興味が含まれている。

 死霊術師は風吹き荒ぶ中、パタパタと倒れた男に駆け寄れば、屈み込んで息があるかを確かめるべく首筋に手を当てる。

 弱々しくはあるが脈を打っていることを確認し、一度天を仰いだ。

 空は珍しく晴れており、煌々と太陽が遺憾なくその存在を示し続けている。


「大丈夫、生きてる。だが、長くは持たない。」


 妖術師を振り返れば、翡翠色の蛇の如く縦に長い瞳を妖術師に向ける。

 平素通りの淡々とした響き、である筈だがその響きに焦燥が含まれており、それが妖術師を驚かせた。


「ワシより年嵩の貴殿がそうも取り乱すとは…長生きはする物か。」


 軽口を叩きながら妖術師は枯れ木の如き右手を掲げる。

 すると、その右掌に双眸より迸っている光と同色の輝きが仄かに生じその輝きから幾条かの蔦が倒れ伏す者に向って伸びた。

 その蔦が倒れ伏す男を絡め取り持ち上げた、その光景は奇怪な物ではあったが其れを指摘する者など他には居ない。

 死人と語らう死霊術師にとっては、その光景はおおよそ奇怪な物ではないのだから。


「ワシの塒に連れ帰り、幾つかの術を試すとしよう。」


 難儀そうに呟きながら妖術師は来た道を戻るべく踵を返す。

 その後を追うように暗紫色の光とそれに囚われた男、そして死霊術師も続く。

 一連の出来事を見守る者は周囲にはなく、ただ寒々しい風だけが吹いていた。



 老いた妖術師の塒に戻れば、倒れていた男を洞窟の奥にある石台の上に置いた。

 死霊術師に衣服を剥がして、傷を拭くようにと清潔な布とぬるま湯を用意してから、塒の主は幾つかの道具が置かれたアラベスク調の織物の上に座した。


 道具の一つ、舟形で中が深くくぼんだ石器、薬研やげんに植物の根や、某かの骨、細かな鉱物を入れて中央に軸棒の付いた円形の石器ですり潰し細かく挽いた。

 ガリ、ザリと音が響く中、石台の上の男はその物音にも起きることなく、横たわったままか細い呼吸を繰り返している。

 細粉と化した薬研の中身を少し平べったい椀状の土器に移し変え、枯れ木の如き老人の指先が、今となっては貴重なガラス製の三角フラスコを掴み取り、中を満たす透明な液体を椀状の土器に流し込んだ。

 液体が流れ込むだけで細粉は溶けてしまい、かき回すような手間は要らなかった。


 妖術師は腕の動きを止めることなく、フラスコを脇に置けば清潔な布地を手に取り椀状の土器に漬した。


「…」


 石台に横たわる男…異界の者と死霊術師が告げた彼へと視線を投げかける。

 傷の様子は、至る所に数多の傷と打撲、それに何かが貫通したような酷い傷がある。

 頭に傷が少ないのが不幸中の幸いであろうが生憎とそれ以外は無残な有様だ。

 この傷を完全に癒す術を妖術師は持ってはいない。

 だが、方法を知らぬわけでもない。

 後は当人次第ではあるが…まず言語が通じるのか否か。


 異界からの来訪者は言語体系が異なる。

 考える間もなく当然の事だが、意思の疎通が図れないことは恐ろしい結果を生みかねない。

 だが、死霊術師が意思の疎通を図れたように手段がまったく無いわけでは無い。


 ともあれ、今は応急処置が必要だ、十分に液体を吸い取った布を手に取り、ゆっくりと立ち上がれば石台に寝かせた男の元へと向かう。

 全身を覆っていた衣服の殆どは剥がされ血と泥で汚れた体を、死霊術師は丹念に拭っている。

 それでも、処置の仕様の無い場所は幾つもあり、血で凝固した布地を剥がすに剥がせずに後回しにしているようだった。

 無理に剥がせば、男に余計な体力を使わせ死出の旅路が早まってしまう事は、理解できているのだろう。


 それにしても…と妖術師はしみじみと思う。

 この男は人間である事が異界からの来訪の証になるとは、と。

 この世界において、嘗ては最も繁栄した種である人間は、この大陸では、沿岸部を霧に覆われる前に滅んだ種族だ。

 他の大陸でもその数は嘗てのような人数は生存していない筈だ。

 この情報は三世紀は前のものであるから、幾許かは盛り返したかも知れないが、嘗てのように数十億と言う数はいる筈も無い。

 この星の主の如く振舞っていた人間達は、その数を悉く減らしてしまったのだ。

 

 有る二つの災厄により。



 21世紀初頭、それまではこの世界には人間のみが生きていたのだと言う。

 少なくとも、一般的にはそう言う話になっていたようだ。

 だが、実際は違ったのだ。

 太古に邪神が幾柱か飛来し眠りに付いていた。

 一部のものだけがその真実を知り、邪神への奉仕を代償に力を授かっていた。

 これが世に言う魔術、妖術である。


 魔術とは数世代にわたり研究され人の手が加わり一応の体系が整えられた物を示す。

 一方で妖術とは、術者に依存する物でより野蛮な力である。

 21世紀初頭までは歴史の闇に潜んでいた魔術が、7人の魔術師が事件を起こした事により歴史の闇から復権を果たし、世界に異界より呼び寄せた妖物が跋扈するようになった。


 しかし、それだけならば、人間はここまで衰退しなかった。

 戦う術を身に付けて、妖物と戦い、生存圏は確保していたのだ。

 だが、真なる恐怖は別に起きた。

 二つ目の災厄、それは、燃え盛る者と呼ばれた外宇宙より飛来せし邪神の目覚めだ。

 多くの者が悪夢に苦しむ数年を経て、海底火山の噴火と共に全身に炎を纏った海月のような奇怪で巨大なモノが蘇ったのだ。

 目覚めた燃え盛る者が移動すれば、コンクリートすら原型を留めぬ高熱で炙られ、熱の影響を受けない距離を保っていても、人は精神に何かしらの影響を受け続けた。

 幸いな事に程なくして眷属を伴ない、燃え盛る者は外宇宙へと再び旅立ったが、その際に起きた混乱で人類の生存圏は一気に狭まってしまった。


 27世紀頃に起きた一連の出来事は燃え盛る者の旅立ちと呼ばれ、この星の大きな転機となった。

 何故ならば、人類の衰退のみならず、この事件以降地獄の釜の蓋でも開いたのか、異界との扉が再び開いたのか、人とはあり方が違う種族が地上を闊歩するようになり、狭めた人類の生存圏を更に圧迫し始めたのだから。


 それは、先住民を追い立てた開拓者達にも似ていたが人間よりも異界からの来訪者の方がまだ有情であったのかも知れない。

 数十年の歳月を経ると初期接触による不幸な出来事は減少していき、人間と多種多様な種族は時には争い、時には協力し互いの生存圏を安定的なものへと変えていく事に成功したのだ。


 人間の文明は中世から近世レベルまで後退したが、それでも生き残った人類は何とか安定的な生活を手に入れて、都市を作りやがてそれは国になった。


 老いた妖術師の知る限りでは100万を越す人間が住まう巨大都市も出来ていた筈だ。

 地下資源は枯渇しており、機械文明が嘗てのように復古しているとは思えないが、人は代わりに魔術を手にした。

 それが救いなのか、堕落なのかは妖術師には与り知らない事だ。


 さて、世界の歴史から目の前の男に話を戻そう。

 彼が異界の者である事はほぼ確定的だが、何故やってきたのかどうしてこの地に現れたのかは全く窺い知れない。

 他の大陸では、未だに異界人を勇者と称して召喚するというあの詐欺まがいの召喚の秘術とやら扱っているのだろうかとラギュワン・ラギュは微かに憤りを覚えた。


 三世紀より前、異界から呼ばれた少年を思い出すのだ。

 ラギュワン・ラギュと友誼を結んだ少年は四半世紀もの間戦い続けて、最後には裏切られた。

 許せるものでは無い。

 だが、今の妖術師には復讐の手段は残されていないのだ。


 三世紀程前よりこの大陸の沿岸部を霧に覆われて以来大陸の外に出た者は居ない。

 連中は勇者を封印し、眠りに付かせた後この大陸自体も封じたようだった。

 結局は、勇者のみならずラギュワン・ラギュも封ぜられたようなものだ。

 何れは、一泡吹かせてやると改めて決意するが、今はその問題より先に片付けねばならない事が在る。

 目の前の男には死が迫っているという重大な厄介ごとだ。


 多くの傷は今作成した医神イルルシールの名を冠する呪術的な包帯を、傷口に巻いて二日も安静にしておけば塞ぐだろうし、雑菌が繁殖することも無い。

 問題は、体を貫通した傷である。

貫通物が内臓を傷つけていれば、血は止まる事無く体内で溢れているだろう、例え外側が止血しているとしても。


 開腹手術を行えるような医者の場所まで連れて行く事は難しい。

 それ程の腕を誇る医者は数えるほどしか居らず、心当たりがあれども

 距離的にも、この大陸の情勢的にもたどり着ける保証が無い。

 まして、人間の体の構造を理解できている医者となれば、まず居るまい。

 治療の為の一般的な魔術、妖術の類を使うには時間が無さ過ぎる。

 大怪我を数日で癒すような術はあれど瀕死の者を即座に回復させる術は無いのだ。


 なれば如何すれば良いのか。

 この怪我をしている男は、このままでは死ぬが…人より転ずれば生き残る可能性がある。

 失敗する確立も高く、また人間が人間以外になるということでもある。

 だからこそ、それは妖術師一人が決めて良いことでは無い。

 勿論、男を不安そうに見詰めている死霊術師の娘が決める事でもない。

 この瀕死の男に問い質さねばならない事だ。

 生れ落ちた存在から変容してでも生き残りたいのかを。

 そして、転化、変容したとしても生き残るかは確実ではない事も、伝えねばならない。


 言語が通じるかも不明な相手に、問い掛けねばなら無いと言うのは些か滑稽で骨が折れる行いだが、生命の死に対して抗うのが生者の勤めであろうと、妖術師は仮面の奥の唇を微かに吊り上げて思う。

 そして、立ち枯れの古木の枝を思わせる指先を徐々に呼吸が弱まる男の額へと向けて。


「古きショグア、言葉を介さず伝える者よ。ホシクワサン・ダヌズ、ニアル=カレスス、エス=グレゴー。この三柱の呼びかけに応じ我、ラギュワン・ラギュにその力を示せ。」


 呪句を唱えると、枯れ木の如き指先が仄かに光り、光を纏う指先で意識戻らぬ男の額を指先で軽く触れた。

 その光景を死霊術師は静かに見守っていた。

 男の命を救うには妖術師の力が必要なのだから。



                 ※ ※ ※



 ――暗闇、そこに不意に光が差し込む。

 その光を受けて神土征四郎はゆっくりと瞼を開ける。

 何処までも続く闇の中、自身の現状を訝しみながら覚醒する征四郎に声が掛けられた。

 しわがれた老人の物だ。


「汝、存在を変容しても存命を望むか?」


 問い掛けの意味を察する間もなく、征四郎は言葉を発していた。


「望む、成さねば成らぬ約束がある…今一度会うために。」


 そう答える己の言葉が一番意外だったのは己である。

 成さねば成らぬ約束とは何であるのか、心当たりが無い。

 神土家は軍人の家系、戦死の覚悟は出来ていた。

 家族に生きて帰るなどと守れるかも分らない約束をした覚えは無い。

 家族以外では、そんな約束を強請る婚約者の存在も、無ければ馴染みの遊女もいやしない。

 友人は皆兵士であれば、馬鹿げた約束などするはずも無い。

 戦場にて、戦友と交わした会話を思い出すもそんな約束をした覚えはなかった。

 曖昧な記憶があるとすれば、あの謎の空間での恐るべき男との短い会話以降だが…。


「宜しい、なればいま少し眠るが良い。次に目覚めれば存命の機会を与えられる。…生き残りたければ、己の意思が己の物であり続けるように努力する事だ。」


 忠告とも慰めとも付かぬ言葉を残してしわがれた声は消えた。

 征四郎は成さねば成らない約束について考えを巡らせながら再び意識を暗闇へと沈めた。

 …この短い遣り取りが、後の師弟の最初の会話であった。

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