その92
声が聞こえてきたのは俺の背後。
振り返り、果たしてそこに居たのは聞こえてきた声に相応しい美しい女の子であった。
ああ、いや。
世間一般的に見れば美しい女の子であった。
中学入りたての中学生、あるいは発育が少し速い小学生程度の小柄なその女性は、純白の生地に淡い水色の雪結晶の柄が入った着物を纏い、幼さを残しつつもやや大人びた整った顔つきをしていた。
透き通るような白い肌に桜色の小さな唇はよく映えていて、腰まで伸びた長い銀髪は彼女の動作に合わせてサラリと揺れ動く。
そんなどこか幻想的で美しい少女が少し妖しげな微笑みを浮かべてそこにいた。
異界において酷く場違いなその少女はしかしむしろここがホームグラウンドなのだろう。
その美しき少女が意思を得た異界の魔物であることはひと目見てすぐに気づいた。
どことなくニュートと似た気配を感じるのだ。
そしてどうも敵意は無いらしいことだけ確認すれば俺は一つため息を吐く。
じっと、彼女を見つめて固まっているデージもたぶん同じことを考えているだろう。
即ち、めんどくさいことになった。
「……」
「どちらさま? んで、何のよう?」
「つまらぬ反応をする奴よのう」
俺の気だるげな問い掛けにその少女は呆れたようなことを言いながらもクスクスと笑う。
「対してソナタの存在そのものは格別に面白い。見たところそちらは魂を奪うことで意思を得たと見えるに、奪われた者も何故かピンピンとしておるときた。なんとも面妖なことよ」
いや、お前こそ面妖な存在そのものだろうが。
デージはともあれ俺は所詮ちょっぴり変わった体験をしているだけのどノーマルな一般ピーポーにすぎない。
しかし、この少女は一体何をしにきたのだろう。
まさか偶然ここに顕現したわけでもあるまいし、用があるのは俺か、デージか。
先程デージの言葉に打っていた相槌を考えればデージだろうか。
「さてまずは自己紹介しておこう。わらわはユキネ。古の時代に美しく妖しい者共の因子を集め生まれ、世界の誰よりも美しき乙女よ」
……こいつ自分で美しき乙女とか言ったぞ。
もしかしなくてもやべー奴では?
そう思って警戒しだんまりを決め込むと、その少女――ユキネは次はそちらの番だとばかりに俺とデージに交互に視線を向ける。
「……デージで……す……」
ん、なんかさっきからデージの様子が変か?
っと、さておき、デージが応えたなら俺も軽く名前ぐらいは言っておくか。
「えーっと、雄二です。ところであなたはまあ、ある程度美しくはあるかもしれないけどぶっちゃけ俺の彼女の方が圧倒的に美しいです。はい」
「…………やれやれ、見る目が無い小僧よの」
ついでに彼女の発言に間違いがあったのでそれを指摘してやればなぜだか酷く冷たい目をされてしまう。
それにしても、最初は先日やってきた魔王の影響でここ最近生まれた者かと思ったがそういうわけでもなければ、名前だってあるらしい。
ニュートの前例があるからちょっと警戒していたんだが。
しかし、ユキネか。漢字なら雪の音だろうか。
これ見よがしな雪の結晶柄の着物といいその名といい、ふと頭によぎるのはとても有名なあの妖怪だ。
「ところで、雪女?」
「ん、この姿かの。確かにこれは雪女の伝承や物語から抽出し調整したが、それはわらわの趣味じゃな」
はあ、趣味ですか。
そういや、ニュートもドラゴンやら竜人やらな風貌だけどそれもただ気に入ってるだけだったか。
「なあ、雄二。俺頭おかしいかもしれない」
「突然どうした?」
ユキネがどういった存在なのか色々考えていると、何やら様子のおかしかったデージが困惑した顔で話しかけてきた。
はて、元は俺でその記憶やらなんやらを継いでいるからある程度デージの考えも読めるはずなのだが……困惑してる理由が皆目検討もつかない。
というかユキネを前にしてからずっとデージの様子がおかしい。
何をそんな狼狽えてるんだろう。
「だって……いや、俺の信条からすれば……だからってこんな……ありえる……か? いや無い……でも」
「こっちに話振っておいて結局自分の中だけで完結させようとするのやめろ」
分からないからもう少し詳しく、と思ったのにデージは俯いてブツブツと自分の世界に閉じこもっていた。
チラリとユキネの方を見ればこちらの用事が済むのを待ってくれるようで、いつの間にか作り出した氷のイスに座り寛いでいる。
それを確認して一先ずデージを正気に戻すことを考える。
……ま、ここはあれしかなかろうて。
「いや、いくらなんでもこれじゃ……早すぎるよな? えー、どうなってんだ」
……?
なんだ、何も反応も……ああ、そっか。こいつベースが異界の魔物だった。
魔力が集まり実体化してるだけみたいな存在に便意などあるわけがない。
「そりゃ」
「ッ!? なんだ!?」
便利な気付けが通じなかったので仕方なく魔法で水を作ってぶっかければ、ようやく自分の世界から帰ってきたようで驚いた声をあげる。
それからすぐに状況に気づいたのだろうデージは、軽く片手でごめんと拝んできたのでようやく話ができると俺は口を開く。
「で、どうしたんだ。とりあえず何かあったんならごちゃごちゃでもいいから言え」
「いや、さ。今俺らの前に超絶美少女いるじゃん?」
「……どこに?」
「ソナタ目が悪いのかの? ここにおるであろう」
そうしてデージから告げられた世迷い言に首を傾げると横から戯言が飛んできたのでそれを無視してデージの言葉の真意を探る。
……が、ユキネの言葉になぜだか当然とばかりに頷いているデージを見て到底理解の及ばない何かが起こっているのだと早々に思考を放棄した。
とりあえず改めてユキネの姿を確認してみるが……。
「美少女……ではあるかもだけど、超絶ではないよな」
「だからそれだよ! それがおかしいんだって! ほら! どう見ても超絶美少女じゃん!?」
「は? 超絶っていうのはそれこそ笹倉さんのことを……あー……まさかそういうことか?」
どうやら俺とデージで認識がかなり違うようだ。
俺から見ればユキネはどうあがいても"世間一般的には"とか、"美少女かもだけど"というのが頭につくのだが、デージからすればそんな修飾はつかず俺が笹倉さんに抱くような評価をそのまま目の前のユキネに対して抱いているらしい。
なるほど、デージの困惑の理由が分かってきた。
確かに俺の信条として大好きな人の幸せが第一でどうしようも無ければきっぱり諦めて別の女神を求めるというのがあった。
しかしながら俺も普通の人間。エージたちが生まれた時のようなただ遠くから見ていただけであれば切り替えもすぐにできただろうが、デージが生まれた時のような状況ですぐに切り替えられるような強メンタルはしていないだろう。
実際つい先刻には不幸な現実にデージは泣きわめいていた。
にも関わらずデージは既に他の存在を美しいと、女神と崇めかけている。
なるほど、たしかにあまりにも切り替えが早すぎると困惑しても仕方ないだろう。
そして、デージのその様子は俺も笹倉さんを失っても即座に切り替えてしまうのだろうかと一抹の不安を抱かせてしまう。
「……なるほどのう。おヌシ、さてはそこの小僧の記憶に引っ張られておるの」
「いや、引っ張られるも何も分体だし……です」
「確かにヌシらには何か特殊な縁が繋がっているようだがの、所詮別人よ。ヌシは人から魔の物になったわけではない。元々として魔の物として在ったところにそちらの小僧の記憶を写し取ったにすぎぬ。であるからして――」
そんな俺たちの様子を見かねてか横からユキネが呆れたように口を挟んできた。
曰く、デージはこうして分体として繋がりこそあるもののその本質は異界の魔物であり、ベースはドッペルゲンガーのなり損ないなのだと。
それを聞き、デージもドッペルゲンガーとしての記憶だとか本能だとか最初に言っていたことを思い出す。
言われてみれば、たしかに今のデージは元々存在していたドッペルゲンガーもどきが変化した存在なのだ。
んで、デージは記憶を継いで概ね俺の思考を引き継いでいるものの、元々別の存在なのであれこれへの執着もリセットされて当然なのだとか。
最初デージが酷く動揺し、泣きわめいていたのは言ってみれば映画に過剰に感情移入しているのと同じようなものだったということだろうか。
「わらわ達魔の物はの、情報を読み取れる。記憶や思念。そういうものに近しい存在が故に本来なら意思を得たばかりでもそこまで引っ張られることはないんだがの……ソナタの記憶やら思念は相当に根深いものだったようだのう」
「なるほど……なるほどなるほど、なるほどな!! つまりこの記憶はいわば前世の記憶! だからこの胸の思いは別に俺が引くほど心変わりが早いわけではなく、前世同様に最高に一途なままだってことか!」
「ま、そういう認識でよかろうよ」
あるいはそれは詭弁なのかもしれない。
しかし、ユキネの話を聞いてデージはスッパリ悩むのをやめて元気になった。
真偽がどうあれ、何よりも本人が納得することができたのならそれでいいと俺は思う。
俺自身、彼女の話を聞いてホッとしているし。
ふう、これでとりあえず一息つけそうだ。
と、思ったその矢先。
元気になったデージはそのままとんでもないことを口に出した。
「じゃあユキネさん! 俺と結婚してください!」
「ぶっ!?」
何言ってんだこいつ!?
色々反応を見ていた限りデージがユキネに惚れたってのは気づいていたけども何故速攻で告白!?
しかしながら、事態は俺の想定を遥かに超えて進行していた。
「ほほう、人の世の男女が生涯伴にあるとするアレだの? うむ、かまわぬ。では今この瞬間からデージ、ヌシはわらわの夫じゃ」
即オーケーの返事……だと!?




