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その89

 異界部屋に取り残されてしばしの間俺は呆然としていた。

 しかしそれも一分にも満たない時間のことで、俺は彼女を追って異界部屋を後にした。

 そうして通常の部屋へと戻ったところで、耳を澄ます。

 どうやらもう泣き叫んでいるということは無いようで部屋の中から泣き声がするということはない。

 代わりにお風呂場のほうから水の流れる音が聞こえてきたので外に飛び出したということも無いようだ。

 だが、ここから聞こえる音ではシャワーを浴びてるのか顔を洗っているのかわからない。秋も中頃の今の季節、水も冷たくなってきてるし、先の取り乱しっぷりを見ているだけに服の上から冷水を浴びるなど無茶なことをしてないかと心配である。

 そんなわけで駆け足気味にすぐに風呂場へと向かう。


 だが流石にそんな心配は杞憂だったようで、洗面台に向かいやや熱心過ぎるほどに顔を洗ってるだけでそれほど無茶なことはしていないようだった。


「あー、笹倉さん?」

「っ! し、新城くん……」


 そんな彼女を驚かせないように可能な限り静かに、優しく声をかけたのだがあまり効果はなかったようだ。

 だが、先程までの取り乱し方と比べればずっと落ち着いては来ている様子。

 顔を洗ったことでわずかでも頭が冷えたのだろう。

 それでもまだ頬が赤らんでいるのは言わぬが花か。


「えっと、大丈夫?」

「う、うん。少しは落ち着けたと、思う」


 そういいつつ彼女は濡れた顔を拭くべくタオルを取り、畳んだままのそれに顔を(うず)めてしばらくそのまま動かなくなる。

 十秒ほどそうしてからゆっくりと顔を上げた笹倉さんは少し照れ臭そうにしながらも視線を逸らすことなくしっかりと目を合わせてきた。

 どうやら一応の整理をつけたようだ。

 まだ混乱していてもおかしくないはずのに、こういう芯の強いところが本当に魅力的だ。

 とはいえ先程の精神的負荷を消化しきったわけでも無いのは明白。だからどうにか癒してあげるべきだろうと思うのだが、俺のちっぽけな脳細胞はてんで役立たずでなんの名案も浮かばなかった。


「あの、ごめん。こういう場合どうしたらいいか、分かんなくてさ。俺にできることがあれば言ってほしい」


 そうして捻り出した言葉は点数をつけたとすれば赤点に違いない。

 けれど何も浮かばなかった俺にできることは、いつも通り愚直に素直であることだけだった。

 それでも笹倉さんはそれを聞いて気を悪くするでもなく少し微笑みを浮かべてくれて。


「じゃあ……抱きしめてほしい……かな」


 そう、小さく呟いた。

 それを聞いた瞬間に俺の体は動いていた。

 さしもの俺も直感し、躊躇も加減も必要ないことを悟ったのだ。


 彼女に近付き、何を言うでもなく抱きしめる。

 苦しくは無いように、けれども力強く、決して彼女を離さぬよう逃がさぬように胸の内に彼女を誘い込む。

 途端彼女の熱が伝わってきて心臓の脈打ちが加速する。

 彼女の鼓動も伝わってきて俺と同じくらいに速くなっていることに気付く。

 思えばこれほど強く抱きしめるのは初めてかもしれない。

 ハグをしても廻した腕は添える程度のものだったから、これほどまでに鼓動を感じたことはない。


 彼女のために抱きしめていたはずなのに、いつの間にかただそうしたいから抱きしめている自分に気付くが、けれどもそれをやめることはできなかった。

 俺は彼女を抱きしめて彼女を体で感じていた。

 俺の体も熱くなりその熱を彼女に渡して、彼女の熱を俺が貰う。

 それをずっと繰り返し、繰り返す。

 

「すごいドキドキしてるね」

「そりゃあ……ね。そういう笹倉さんもだけど」

「しょうがないよ、好きなんだから」


 そんな会話をしていると不意に笹倉さんが首だけ動かしてこちらを見上げてきた。

 抱きしめる前まではどこか無理をしているようにも見えたが、今こうして見える表情からはそんな影はなく、代わりに一瞬だけ彼女の目にこちらを誘惑するような妖しい光が灯ったように見えた。


「今日のこと。多分全部が魔物のせいってわけじゃないと思うんだよね」

「え?」

「この前学校でね? 友達からどこまで進んだのかーとかもう抱かれちゃったのかーとか聞かれたんだけどさ。私それからずっと意識してたんだよ」


 そういって照れくさそうに笑う笹倉さんからは、淫魔の術中にあった時のような雰囲気が少しだけ感じられ、俺の心臓が一際大きく波打つ。


「それで魔物も私が引き寄せちゃったかもしれないし、さっきの行動もただ術に掛けられてってだけじゃなくてどこか私自身の願望も……あったと思う」


 熱のこもった眼差しがこちらを射貫いていて、そんな彼女の瞳がいつも以上に綺麗に見えた。


「もちろん、正気ではなかったけどね。あんな状態でもし新城くんとしちゃってたら多分ちょっとだけ後悔してたよ」

「ちょっとなんだ?」

「うん、それ自体は……ほら、嫌ってわけじゃないから。でもやっぱり初めてはちゃんと自分の意思でしたいから……だから、ありがと。流されずにいてくれて」


 それは当然のことである。

 無論俺がヘタレた部分も無いわけでは無いけど、俺だって彼女との行為はしっかり記憶に残したいわけだし。

 だけどどうやら笹倉さんはそのことが思いの外嬉しいと思ってくれたらしい。


「でね、新城くん。私は今ちゃんと正気だけど……。その……」


 笹倉さんはさらに言葉を続け、少し言いよどむ。

 途端、ドクンドクンと心臓がまた激しく鼓動するのが感じられたのだが、その鼓動は押し当てられた彼女の胸から伝わってきたものであることに気づく。

 なんと俺以上に笹倉さんはこの状況に緊張しているようだ。つまりこれから言おうとしていることはそれだけ大事なものということで。


「新城くんと今すぐ一つになりたいの……ダメかな?」


 案の定、告げられた言葉の衝撃はもはや例えようが無いほどで、脳内にその言葉が何度もリフレインしては浸透していく。

 そして理解すると共に肯定すべき思いと本当にいいのだろうかという迷いが同時に生まれ思考の海に落ちそうになるのだが、不意にかつて言われた言葉を思い出す。


 ――――私が我慢できなくなったら、その時は逃げないでね?


 ……そうだ。

 顔を真っ赤に染めながらも、それでも自分の意思を伝えた彼女は既に覚悟を決めてそう言ってくれているのだ。

 そう、覚悟には覚悟をもって誠意に応えるべきだろう。


「あ、の……もちろん俺も……したいです」


 ああ、ちくしょう。

 イエスと言うのが死ぬほど恥ずかしい。

 しかし、それを言うなら誘った側の彼女のほうが恥ずかしいのだと、自分に言い聞かせてなんとか俺の意思を彼女に伝えた。


「……」

「……」


 そして二人して黙り込み、しばし見つめあう。

 彼女の顔は真っ赤で感じられる体温は熱く感じるほどだが、多分俺も同じなのだろうというのは頬や耳に感じる熱が教えてくれる。

 さて、初手は彼女が頑張ったのだ。

 次は俺からというのが当然であろう。


「じゃ、その……ベッド……行こうか」


 緊張してうまく舌が回らないがそれでもなんとかそう言えば、笹倉さんはコクンと小さく頷いた。

 それから一度身体を離し、互いの手を絡ませて寝室へと向かった。
















 ――――ちゅんちゅんと、鳥が鳴いている。

 それをぼんやり天井を見ながらしばらく聴いていると次第に意識がハッキリしてくる。


「……」

 

 身体を起こし、周囲を見渡す。

 笹倉さんは既に起きているようだ。

 そしていつもどおりの寝室にいつもどおりのベッド。

 そう、何もおかしな所はない。

 寝る前に魔法で完璧に綺麗にしてあるいつもどおりの部屋だ。

 部屋の隅にチリひとつなく、空気は清浄さわやかそのもの。


「……」


 けれど。

 何一つ痕跡はこの部屋に残っていないはずなのに。

 なぜだか至る所に"それ"が染みているように感じられた。


「…………最高だった……」


 そう、つまりあの後ちゃんと俺たちは行為に及び、完遂したのである。

 その最中に何度気絶しそうになったことか。しかしそれは気合でなんとかしてみせた。

 何度我を忘れて動きそうになったことか。しかしそれも気合でなんとかした。

 結果的に初めてのそれは"双方"が大満足に終わったのである。

 こうして意識がはっきりすると昨晩のことを思い出し、嬉しさと恥ずかしさで悶そうになる。

 でも、そんな感覚がなんとも心地よい。

 そして帰省したときにプレゼントをくれた父さんにはありがとうと伝えたい気分だった。


 それからいい加減ベッドから立ち上がり、リビングへと向かう。

 先に起きていた笹倉さんは朝食を作ってくれたようで、ちょうどリビングに出来たご飯を並べようと向かう彼女とばったり顔を合わせた。


「あ、新城くん……おはよ」

「うん、おはよ……」


 瞬間二人して顔を赤くしながらも挨拶をして、テーブルに付いた。

 それから朝食を食べつつ、彼女と軽く話してみるが一つ話題を終えるたびに変な沈黙が訪れてそのたびに俺たちは見つめ合っては頬を染めて互いに目を逸らしていた。

 昨日までは普通に話せていたというのに、今は二人してしどろもどろで落ち着かない。


 けれども、彼女との距離はこれまで以上に縮まっていることは言うまでもないことであった。

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