その44
笹倉さんのお祖父さんが尋ねてきてから数日後。
その日はなぜだか朝早くに目が覚めてしまったので、笹倉さんの寝顔を観察していた。
そうして女神のご尊顔を拝して心を幸せで満たしているとふととあるクラスメートの事を思い出す。
いや、元クラスメートというべきか?
それは異世界に召喚されたクラスメートの一人。
そいつとは別に仲は良くなかったがそれでも学校で毎日顔を合わせていた相手だ。
彼はアニメやら小説が好きで、よく仲のいいクラスメートと楽しそうにそれについて話していたのをなんとなく覚えている。
……はて、覚えているのはまあ良いとしてなぜそれを今この状況で俺は思い出す?
まあ、完全に知らぬ他人というわけでもないし思い出したついでに無事を祈るぐらいはしてもいいだろう。
人間、ふとした拍子に全く関係の無いことを思い出すことなんてよくあることだ。
「……あ、おはよー……」
「うん、おはよう」
と、くだらぬことを考えていたら笹倉さんがお目覚めだ。
畜生、考え事に集中してたせいで彼女の起きる直前のもぞもぞ姿を見逃したぞ。
あのもぞもぞ姿は起きる直前にしか見られない貴重な姿だというのに。
おのれ……あ、名前知らん……。
おのれ、名も知らぬクラスメートめ!!
いや、こうして変に考えるとまた笹倉さんのレアシーンを見逃すかもしれない。
あいつのことは綺麗サッパリ忘れよう。
よし! おっけーだ!
気分を入れ替えたあとは笹倉さんと楽しく朝の時間を過ごした。
朝食はトーストとベーコンエッグを食べ、雑談を交わして登校までの時間を潰す。
ちなみに朝食は笹倉さんが作ってくれた。
あれ以来彼女は時折学校の料理部にお邪魔しており、そこで練習を重ねた末に、随分と手際も良くなったのだ。
お陰で彼女の手料理という幸せに加え、ちゃんと味でも幸せを感じることができる。
他にも色々レパートリーは増えたようで時折、夕食も作ってくれている。
彼女の愛情入りの料理は格別で、既に胃袋は掴まれている状態。
幸いにももぎ取られてはいないのでこうして日々の幸せを謳歌できるというものだ。
ちなみに俺も笹倉さんに愛情たっぷりの料理を振る舞っている。
どこか悔しそうにしながらも美味しそうに食べる笹倉さんはとても麗しい。
……ごめんね。成長補正ってホントずるいからね。
そんな朝の一幕を経て仲良く二人で登校して教室の前まで来たところで、教室内に魔力反応があるのを感じ取り笹倉さんと顔を見合わせる。
それから少し警戒しながら教室の扉を開ければ、指先に水の玉を浮かべてクラスメートに見せて何やら必死に説明している男子生徒の姿があった。
「何度見てもすげえな、その手品どうやってんだ?」
「だから手品じゃなくて! もーなんで誰も信じてくれないんだ!? しかも俺ずっと行方不明だっただろ!? なのになんでそんな反応薄いの!?」
「行方不明って……お前海外旅行に行ってたんだろ?」
明らかに魔法なのだが、相手は手品と思っているらしい。
その反応に、魔法を使っている男子生徒は苦い表情をして、取り乱すがそれでもそれを冗談だと思って笑っている。
他のクラスメートだって、海外帰りではしゃいでいるのだなと見守っている始末だ。
「行ってねえよ! 異世界に連れて行かれてたんだって!」
「あーやっぱ初めていく海外旅行って異世界みたいに思えるもんなのか」
「違うって! 比喩じゃなくてガチで! ガチの異世界に連れて行かれたんだ!」
「おいおい、いい加減しつこいぞ。海外が楽しかったのは分かるけど少し落ち着けよ」
「っ……! くそ、やっぱ信じてもらえない……どうなってんだ……」
それでも異世界に連れて行かれたんだと頑なに訴えるその男子生徒だが、クラスメートからは海外帰りでテンションが上っているのだろうと捉えられるだけで結局信じては貰えずに大きく肩を落とす。
彼がこぼした言葉から察するに話しても信じてもらえないのはこの場が初めてじゃないようだ。
まあ、大方家族にも似たような説明をして信じてもらえなかったのだろうな。
異世界に連れて行かれたと言われてもと誰が信じるだろうか。普通は狂言としか思わない。
だが、面倒ながら俺としては狂言と切り捨てることはできなかった。
「……笹倉さんはあいつがこれまでどうしていたか、どう認識してる?」
「……私も海外旅行から帰ってきたって認識だけど……でももしかして……?」
確認のため笹倉さんにも尋ねてみればやはり同じ認識だという。
だが、彼女は俺から話を聞いていたために別の可能性にも気がついたようだ。
恐らく彼女が思いついたそれは正しい。
周りは皆、それこそ笹倉さんも彼が海外旅行に行っていたのだと認識しているようだが、俺は違う。
別に仲のいい相手でもないから名前など覚えていないが、その後ろ姿には見覚えがあった。
そもそも今日の朝、不意に思い出したばかりなのだから。
だから、彼が顔を見せるのはあの日以来今日が初めてであり、決して海外旅行にも行っていないことを俺はちゃんと知っている。
「席もまた一つ増えてるし、エージと一緒に異世界に召喚された一人だと思う」
「……それを聞いても海外旅行に行ってたって認識が消えないのはなんだか怖いね」
それは暗に俺の言葉を信じるということだろう。
良くも分からぬ世界の不可思議な修正力よりも俺の言葉を信じてくれるというのは嬉しいものだ。
気持ち的にも、説明を省く意味でもありがたい。
「とりあえずお願いしていい?」
「うん、すごい出来の良い手品って思われてるみたいだけどこのままはマズいからね」
何にしても一度彼と話しておきたいし、この場をなんとかするのも大事だろうという思いを込めて笹倉さんにお願いすれば、もちろんだと頷くと彼女は周囲に魔力を放出してクラスメートたちから魔法を見た記憶を消し、認識を阻害してそれぞれがそれぞれの日常へと戻っていく。
その魔力を感じたのだろう、異世界から帰還したらしい男子生徒が慌ててこちらを振り向き、俺たちの姿を確認。
そして、俺の方に視線を固定したかと思えばみるみるうちに顔を青くしていく。
「げえ、エージ!? なんでお前がここに!? あ……今の見て……? 待ってくれ、何もしてないぞ! ただ信じてもらいたくて見せてただけで危害を加えようとかそんなんじゃない! だからホントやめてマジで勘弁してくださいお願いします!」
「……新城くん?」
「はっはっはっ……めんどくせえ」
俺のことをエージと呼んだそいつは可哀想なほどに怯えて弁解を並べ立てて許しを請い始めた。
そんな彼の姿に思うところあったのか少し笹倉さんの視線が痛い。
俺は乾いた笑い声を上げつつもため息を吐かずにはいられなかった。




