その43
エージの話題から突如訪れた笹倉さんの嫉妬という名の危機。
それを無事に乗り切ってみれば嫉妬する美しき女神の姿を見れたのは大変運のいいことだっただろう。
嫉妬されるということは、それだけ思われている証なわけだから思わず喜んでしまうのは無理のないこと。
そんな感じで歓喜に打ち震えていると、ところでと笹倉さんが話を切り出してきた。
「ビージさんのほうは?」
「ああ、ちょっと前までずっと訓練していたらしい」
今度はビージについて聞きたいらしい。
ま、エージの状況を聞いたわけだし、そっちにも触れるのは当然の流れだろう。
というわけで、こちらについても問題なく答える。
「ちょっと前まで?」
「そ。何でもそろそろ魔王の封印が弱まってきたのか、各地で強力かつ凶暴な魔物が増えつつあるみたい。で、実戦訓練ついでにそれを掃討してるとか」
いよいよ持って本格的に勇者活動を始めたビージ。
魔物の強化に凶暴化など如何にも魔王らしいと思う。
だがユナ様を始め、向こうの人が言うには、それは魔王がそうしているのではなく、魔王の膨大で荒々しい魔力が漏れ出したことによる副次的効果に過ぎないとか。
なんでも魔王の魔力は、各地の魔力孔……魔力が吹き出す場所を刺激するらしく、その周辺の魔力濃度を急激に上昇させてしまうようで。
濃度の上がった地域の魔物はその魔力を過度に取り込んで力を肥大化させるも、その力に耐えきれず理性を失うようなのだ。
「なんだかビージさんのほうはかなり大変そうだね」
「うーん大変……? まあ、苦労はしていると言える、か」
「あれ? だって強い魔物なんでしょ?」
少し煮え切らない感じでこぼした俺の言葉に笹倉さんが首を捻っている。
確かに各地で暴れる魔物は強力らしい。それこそ大岩を素手で軽く粉砕しちゃうような実力者が苦戦する程に強力だ。
だから周辺に住む一般人にしてみればその魔物は確かに脅威。
故にその強力な魔物の報を受けた心優しき王女、ユナ様は心を痛め、なんとかできる人間がさっさと動くべきだとこれらの魔物を掃討するための遠征を開始、これにビージもちろん同行したわけだが。
……その報告を聞いた時、はたしてそれは王族の仕事なのかと俺は頭を捻ったものだ。
よしんば仕事だとして普通は軍の指揮を取って戦うぐらいの話だと思う。
話を戻してビージの魔物掃討遠征だが、実際のところ何の手応えも無かったという。
「ビージはもうずっとユナ様と模擬戦闘を繰り返して訓練してるんだけどそのせいか、10と100ぐらいの差じゃ区別つかないらしい」
「えー……」
大岩を砕くような実力者は確かに苦戦したが、それは一人での話。
街を守る警備兵達は集団で連携して撃退し、国の軍も中隊規模で行動して凶暴化した魔物を討ち倒していた。
いかに強力といえども対応できないほどではなかったのだ。
で、実力者とかそれどころではない世界最強のお姫様と日々訓練を重ね、曲がりなりにもその訓練に耐えられる勇者にしてみればもはや豆腐を握りつぶすよりも簡単だったようだ。
はっきり言って過剰戦力もいいところである。
ユナ様も出発前に気づけばいいのに、そのあまりの手応えの無さにしばらく愕然としていたとか。
が、王族であり腹黒でもある彼女はすぐに再起動。
『――流石ユナ様といったところで「あっけない……ですが、これはこれで民衆へのいいパフォーマンスになります。続行しましょう」っつって遠征自体はそのまま続いてる。ついでに俺の名声も広まり、実績作りにもなって一石二鳥、三鳥って感じかな。ちなみに二人旅なんだけどさ、一日中魔物を倒して回ってその日の終わりに「これでは身体が訛りますから訓練しましょう!」って、毎日訓練三昧の色気の欠片もないんだけどこれどう思うよ。仕方ないから訓練中の事故として揉むけどもっとこう――うぐぅ!?』
その時の状況をビージが非常に疲れた様子で語ってくれたのを思い出す。
後半で愚痴っぽく言いながらも自慢げに話し始めたので便意爆弾で黙らせたけど。
余計な事を抜かしたら便意による制裁というのはもはや俺たちの中ではコミュニケーション。
お陰で俺も随分急な便意に襲われることに慣れました。
慣れたといっても完全に慣れることはないからやっぱり辛いんだけど、まあそんな苦行を受けても自慢したいのは俺たち共有の思いなので仕方ないのだ。
社会的に死ぬような状況にされるわけでもないし。
「……異世界のお姫様ってすごいんだね」
「一般的に思い浮かべるお姫様のイメージとは、まあ違うよな」
報告時のことを思い出しながらもユナ様がどんなふうに行動してそれにビージがどんなふうに付き合っているかを軽く話せば、笹倉さんはどう反応したものやらと苦笑してユナ様への感想を零す。
一般的にお姫様と言ったらおしとやかで美しい舞踏会の華といったのをイメージするだろう。
でもユナ様はたしかに美しいが残念ながら舞踏会ではなく武闘会のチャンピオンである。
それでも美しい容姿と優しい心を持つことから自国の民には愛されているようで。
であるならば、ユナ様を嫁にもらった勇者ビージはさぞ憎まれているかといえばそうでもなく、よくもあの強すぎるお姫様の愛(地獄の鍛錬)と付き合えるものだと尊敬の念を集めているようだ。
「それにしても新城くんもその分体さんたちも随分と波乱万丈な人生を送ってるよね」
「本当に。その一要因は笹倉さんだけどね」
「あは、でも問題はないでしょう?」
ああ、もちろん問題ない。
それがあったからこうして一緒にいられるのだから。
だから頷いて、その後にふと思っていたことがあるのでそれを伝えることにした。
「ところでさ。実は一つちょっと気にかかってることがあるんだけど」
「うん?」
気にかかるというかモヤモヤするというかちょっと何というかマイナスの感情があるというか。
「その、呼び方なんだけどエージやビージはさん付けでも名前呼びでさ……」
俺は名字呼びっていうのがちょっとこう寂しいなと続けようとして照れくさいのと、そもそもエージたちを呼ぶなら区別のためにもそう呼ぶしか無いのだから当たり前だという常識的な考えもあって声にならなかった。
だけどその言葉だけで言いたいことを察したらしい笹倉さんは満面の笑みをこちらに向けてきた。
「ふーん? つまり今度は新城くんが嫉妬しちゃったんだ?」
「いや……まあ」
大好きな笹倉さんが、仕方なくとはいえ、そもそもその相手が俺の分身といはいえ、彼女が誰かを下の名で呼ぶことには少々ヤキモチを焼いてしまうのは止められなかった。
けどそれは少々身勝手な考えで、そんな考えを抱いてしまう自分が少しだけ嫌になる。
少しだけなのはだって好きなんだものと開き直っている自分がいるからだ。
「そっか」
そんな俺の胸中察してか短く呟くとジッとこちらの目を覗いてきた。
そしてイタズラな笑みを浮かべると、
「でも、しばらくは名前で呼んであげない」
と、告げられる。
思わず心臓が止まりかけたが、以前の失敗を思い出し恐らくあるであろう言葉の続きを待つ。
その予想は正しく、まだ続きがあったようだ。
「……いつか私も同じ名字になった時はちゃんと名前で呼ぶことにするよ」
少し頬を赤らめて言われたその言葉が意味するところは一つ。
ふっ……心停止は避けられない運命だったか……。
当然ながら実際のところ心停止はしていない。
だがまあ、幸せからの気絶も久々だったなと思いつつ、俺は水性ペンで盛大に落書きされた顔としばし向かい合うのであった。
>意味は一つ
養子縁組ではありません。




