その33
「さて、そろそろ学校行く準備を……」
「新城くん!」
当分の料理係も決まりそろそろ着替えるかなと考えたところで、笹倉さんが決意した表情で声を掛けてきた。
「私、やるよ! やってみせる!」
「……えーと、料理を?」
「そう!」
目に炎を宿しながらの言葉が何を意味するのかを推察すれば力強い返事で彼女は頷く。
どうやら今回のことで彼女の料理魂に火がついたらしい。
「練習して、上手になってそれで――」
それから笹倉さんはそういって立ち上がり胸の前でグッと拳を握ると、
「――新城くんの、胃袋をもぎ取るッ!!」
そう、高らかに宣言した。
もぎ取られたら死んじゃう……そう思ったが熱血バージョンな笹倉さんという珍しい姿を長く見るため口には出さなかった。
あと、料理を練習するというのが俺のためと言ってくれたのがかなり嬉しい。
まあ、今朝の朝食を見る限りやばいタイプのアレではないからちゃんと練習すればすぐに上手になるとは思うけどね。
その後はテンションが戻った笹倉さんが何言ってるんだ私はと恥じらう姿を楽しみつつ、着替えとか諸々の準備ために俺は異界部屋へと向かった。
昨日のうちに物とかは全部そちらに移しておいたのだ。
無限倉庫あるんだからそちらに入れておけば良さそうなものだが、なんでもかんでも無限倉庫に入れるのは部屋にある収納スペースを無駄にしている気がするからある程度は普通に仕舞っている。
そんなわけでちゃちゃっと制服に着替え、教科書などの準備も整えたたところでふと、気になったので窓の結界を透過モードにして外の様子を確認してみると三つ目の異形が飽きもせず尚、攻撃してきていた。
基本的に魔物はそれぞれで異物を感知した場合のみ攻撃してくるようで、何度も攻撃する三つ目の異形に釣られて他の魔物が襲ってくるということはない。
「うわー、仲間意識とかないんだなこいつら」
むしろ他の魔物には無関心すぎるようで、不用意にも射線を通ろうとして岩の槍に貫かれる魔物をたった今見かけてしまった。
三つ目の異形はそんなこと気にせずバンバン岩の槍を放ってきている。
いくつもの槍がその魔物に刺さりやがては死んだのか青白い光を放って霧散してしまった。
どうやら異界の魔物は肉体を持たないのか死ぬとあのように霧散するようだ。
青白い光は感覚から恐らく魔力で、霧散した後は空間に溶けていったらしい。
ふと、他の魔物を確認してみれば槍が刺さったまま何事も無かったかのように動いているものいる。
さして気にした様子もないので痛覚とかもないのかもしれない。
再び視線を三つ目の異形に戻してふと思う。
笹倉さんがすぐに戦闘態勢取ったのって魔物に慣れてなかったからじゃないか?
確か子供の頃に一度だけ魔物のいる異界に連れて行かれこういうものと見せられただけと言っていた。
もしかしたら魔物自体は見ていない、あるいは遠目でしか見なかったのではないだろうか。
となると……相当怖いよな。
獣とか分かりやすいものじゃなくて何と形容したものか分からない異形の姿の魔物。
恐らく知識では知っていて、だからこそ大きく取り乱さず即座に戦闘態勢を取ったのだ。
でも実際に見た衝撃と恐怖で冷静さは失われていたのかもしれない。
「うーん。悪いことをしたなあ」
そう考えると、驚かせようと何も言わずに魔物を見せたことを激しく後悔する。
他ならぬ俺が笹倉さんを怖がらせてどうするんだ。
そして、だ。
直接笹倉さんを怖がらせたのは誰か。
こいつだ。
未だ飽きずに岩の槍を放つこいつこそが直接怖がらせたのだ。
そう思うと三つ目の異形に対し怒りが沸々とわいてきた。
これはもう制裁するしかあるまい!
そうと決めたら即実行。
俺は尿便意コントロールで想像を超えるほどの痛みを伴うレベルの便意を御見舞する。
人間で言えばトイレに行きたいとか漏らすとかそんなレベルではなく、痛みで気絶しては、痛みで覚醒するのを繰り返して最中に全部漏らすようなそんなレベルのやつだ。
絶対無敵のその能力によって三つ目の異形は悶え苦しみ死ぬ――
「……なに?」
――そのはずだったのだが、三つ目の異形は何も無かったかのように攻撃を続けていた。
なぜ……能力は確かに発動したはず……と、一瞬動揺するがすぐにその理由に思い当たる。
先程俺はこいつらに痛覚はないのではないかと推察した。
それから死んだら霧散して空間に溶け、それが魔力であることを確認している。
つまりこいつら魔物は生物的肉体を持たず、痛覚はもちろん尿便意とかそういうのもそもそも存在しないのだ。
存在しない感覚は流石に与えられないし、そういう器官が無いのだからブツも生成できないとそういうことなのだろう。
「マジか……まあ、普通に倒せるけれども」
手をそいつに向けて魔法陣を生成。
すると、即座にBB弾のような小さな球体が手の先に生まれそこへ魔力が籠められ圧縮されていく。
魔力を点に集めて限りなく小さくした甲斐あってか、他の魔物に気づかれる様子はない。
そうして十分集まったところで放ち、一瞬だけ結界に穴を開けてそれを通せば、三つ目の異形へと着弾し内側から爆ぜ、あっけなくも三つ目の異形は霧散して魔力が空間に溶けていった。
「まさか、尿便意コントロールが効かないなんてな」
その戦闘は酷くあっけないものであったが、異界の魔物には尿便意コントロールが通用しないというのはまさかであり、驚愕の事実であった。
もし先程の三つ目の異形とは比べ物にならないほど遥かに強力な力を持つ魔物と遭遇したならば、俺はそれと尿便意コントロールなしで戦わなければならないのだ。
まあ尿便意コントロールが無くても勇者であるビージのお陰で戦闘力はそれなりに高いから大丈夫だとは思うけどね。
ただ、もしも自身の命を脅かすような存在と遭遇したらと思うと少し不安だ。
なにせ俺はエージやビージとは違って生きたいという本能の声が備わっているのだ。
恐怖に負けて心折れるなんてことにならないといいのだが。
「……っと、もう行かないとか」
ふと、腕時計を見て時間がそれなりに進んでいることに気付く。
とりあえずいるかも分からぬ存在のことを考えても仕方ない、そう切り替えて異界を後にした。
異界を出ると笹倉さんが玄関のところに座って俺を待っている姿が目に映る。
「あ、ごめん待たせちゃったか」
「ううん、少しだけだから問題ないよ。なんかあったの?」
「いや、さっきの魔物をさ、一応倒しておいたんだよ」
待たせてしまったことを謝れば、笹倉さんは気にした様子もなく笑顔で答えてどうしたのかと尋ねてきた。
隠すことでも無いので正直に伝え、それからあの時は本当に驚かせてごめんと頭を下げた。
「別に気にしなくて……って言っても気にするのが新城くんだもんね……じゃあ、一つお願いを聞いてくれたら許してあげる」
「お願い? 俺にできることならもちろんいいけど……」
俺の謝罪に笹倉さんは少し考えた後にやりと笑ってお願いがあると言ってきた。
もちろん笹倉さんのお願いを聞くことに否はなく、俺にできることなら何でも叶えたい所存。
「私たちって恋人でしょ? だったらもっとそれらしいことしようよ」
「それらしい……って?」
「恋人が朝、同じ家から出かけるんだよ? だったらもうすることは一つ、キスしかないよね」
言われた言葉に思考が停止する。
が、それも笹倉さんに頬を軽くペチペチと叩かれることで強制的に引き戻される。
「キ、キス!? い……いいの?」
「うん。というか初めてでも無いしね」
そう言われればキス自体はもう二回している。
ならそこまで取り乱すことでもない……か?
いや何度してもドキドキするものはドキドキする。だが、拒むものでもないのだ。
ならば喜んでキスをしようではないか!
「あっでも……」
そう勇気を出そうと奮起していると笹倉さんがふと思い出したとばかりに言葉を紡ぐ。
なんだろうと一旦彼女の言葉に意識を向ける。
笹倉さんはちょっと何かを考え、ジッとこちらを見ると、
「新城くんからしてもらうのはこれが初めて……だね?」
と、少し挑発的な笑みを浮かべて囁いた。
その目の奥にはほんのり妖しい光が見えた気がして俺は電撃に打たれたかのように固まってしまう。
そう……そのとおりだ。
思い出してみればこれが俺からする初めてのキスになる。
されるばかりでしてこなかった……なんと情けない。
そんな俺の動揺を見抜いてか笹倉さんが目を瞑り、こちらがキスしやすいようにと少し上を向く。
……ええい、大好きな人にここまでさせておいて逃げられるか!
初めての自分からするキスはとても、とても甘く、そして途方もなく恥ずかしくて、幸せだった。