第八話 花子さん
俺が通っていた小学校は凄かった。さすがに四年生の時に建て替えられたのだが、とにかくバケモノ屋敷そのものだった。いや、実際にはバケモノすら逃げた。
確か、戦後のどさくさに、広く、そして建物がない敷地を探そうとしたが、面倒だと墓地が選ばれ、そこに建てたとか。俺の母親が小学生だった頃も同じ建物だったらしく、当然のように、墓地の上に建った学校の話しは知っていたし、耐震構造などチャンチャラ可笑しいと鼻で笑う建築物だ。
夏はサウナ顔負けの暑さで、毛深い腹を出して授業をする中年の男性教師がいたし、冬はエスキモー犬も逃げ出すほどに凍え、外套の上にドテラを着込んで授業をする女性教師もいた。年間の温度差が室内でも65度以上はあったはずで、今思えば、文部科学省なのか厚生労働省なのか知らないが、よく放っておいたもので、死人が出なかったのが不思議だ。
そんな学校だから、オバケだの妖怪だのの話しはゴロゴロあって、三年生の一年間だけ担任だったタカコという二十代の後半だったろう独身の女の先生は、前の日に遅くまで学校に残っていたらしく、その時、出会ってしまったモノの話しを、授業そっちのけで、真顔で熱く語ってくれた。
確か、天狗に出くわしたらしい。そう、天狗だ。鼻が太くて長く、そして反り返って飛び出している、あの天狗だ。
その話しを聞かされたのは全員が小学三年生だ。さすがに江戸時代じゃあるまいし、天狗がどんな姿で何をするのか想像が出来なく、それが余計に恐怖心を煽り、皆が涙目で震えていたのだが、歳の離れた兄貴がいた浩二というマセた悪ガキは、家に帰ってからその兄貴に何かを吹き込まれたのだろう。翌日、朝の会で挙手をした浩二にしつこく食い付かれたタカコ先生が、真っ赤な顔で、身体をくねらせ酷く狼狽えていたのが、今でも忘れられない。
当然のようにトイレの花子さんも棲み着いていた。それも男子便所に。
他の学校がどうなのかは知らないが、男子便所にいるのが当たり前だと思っていた。
だが、不思議なほどに怖がる生徒がいない学校だったから、俺も、何番目の個室にいたのか知らないが、そもそも、男便所の造りがあり得なさすぎたせいで、個室を使った事がない。
どれほどあり得ない造りかと言えば、小便用のが墓石のようなのだ。きっと、それだけを聞いて、「あ〜あ〜あれな」とイメージできる輩は絶対にいない。
まず、一個一個のそれが独立していない。
高さは2メートルはあったろう。横には10メートル以上も繋がった一枚の黒く巨大な石壁に小便をかける仕組みで、当然、個別の仕切りなど無いのだから、隣の奴の全てが見て取れる。
子供であれば15人は横一列に並ぶことができたはずだ。
石壁は表裏とも同じだったから、全部で30人は一斉に小便をすることが余裕でできるが、低学年のチビ共などは、ふざけ合って、くっ付いてするものだから、40人、いや50人はできたと思う。
小便をする時は10センチくらいの一段高い場所に立ってするのだが、その段も石でできた物で横にズーーっと繋がっていて、小便をかける石壁とは30センチほど離れていたはずで、下には、向かって右から左に流れる溝が走っていた。考えてみると極めて合理的な便所だとも言えたな。
花子さんの棲み着く個室群は、そびえ立つ石壁の片側だけーー子供たちが小便をする後ろに各々の扉があった。
ある時期から三年生の俺のクラスでは、信じられない遊びが、それも便所で流行った。中心はマセた悪ガキの浩二だ。
俺も、ある日、便所でそれに気付いた。
目の前にそびえ立つ黒い石壁に目を向けると、俺の目の高さにまで濡れた跡が残っている。
ーーーどんだけ背の高い奴がオシッコしたんだ?
いろんな妖怪の話しは聞いたが、ついに巨人まで出たのか。その巨人もオシッコするんだと驚いたが、ほどなくその謎は解けた。
「浩二、すっげーーなー、どうやったら、あんなに飛ぶ?」
「いっぱいためてから立たせるんだ! お前もやってみろ、すっげー飛ぶぞ!」
それからだ、やり方が解ったせいで、どいつもこいつも目ぇいっぱい我慢を重ね、休み時間になると股間を押さえて便所に走る。そして石壁の前で更に我慢しながら立たせ、頃合いを見計らって一気に放出をする、実にくだらない遊びが流行った。
女子の誰かが担任のタカコ先生に言いつけたのだろう、男子が変な事をしていると。
タカコ先生は男子に問い質したが、聞いた途端に顔を真っ赤にして、それ以降は知らぬ存ぜぬを決め込んだせいで、その遊びはいつまでも廃れなかった。
そんなバカなガキ共が走り回る便所であっても、忘れた頃に、花子さんが出ただの、声が聞こえたという噂を耳にしたが、今日も便所では立たせるガキ共が走り回り、怖がる者など誰もいない。
ある日の給食が終わってからだ。
便所に行くと、手洗い場で浩二を含む三人の男子が、真っ赤な顔でギャハギャハ笑ながら顔を洗っている。
「超スゲーーーー! 記録更新だって! 新記録!」
どうやら、浩二が放った小便が、とんでもない勢いで石壁のはるか上部に届き、更にその勢いのまま跳ね返って浩二の頭を飛び越し、偶然、後ろを通った健太の顔を直撃したようだ。
放った浩二は勿論だが、隣で浩二の股間を覗き込んでいた信男もしぶきを浴び、三人揃って楽しそうに顔を洗っていたのだ。
気がつくと、男子便所で花子さんの噂を聞く事はなくなった。が、ある日、女子便所で出たと騒ぐ女子たちが現れた。さすがに、嫌で引っ越したのだろう。
花子さんーーー完