第十九話 タイムトラベラー
会社の後輩、嶽山と蕎麦屋で昼飯を食っている時だ。
どんどん混んできて、入り口には何人もの来店者が並び始めたのが見え、どうにも急かされているようで、俺たち二人はものも喋らず、まるで蛇のようにズルズルズルズル全部を丸飲みだ。まぁ、蕎麦なんだから消化するだろう。
レジで会計をしていると、
「どっ、どうしたの?!」
ずいぶんと大きな裏返った声が聞こえ、思わずそっちを見ると、俺の隣にいた嶽山の顔を穴が空くほどに見ながら、よろよろ近づいてくる頭の薄い男だ。
嶽山はといえば、男が明らかに自分を見ながら腕を伸ばして寄って来るのをみとめるが、何度も「え?……え?」を繰り返し、右後ろを振り返ったり、左後ろを振り向いたりしながら後づさるが、これは自分だと踏ん切ったらしい。
「あの……」
きっと、人違いをしていませんかと言おうとしたのだろうが、相手の「嶽山さん……ですよね?」に、
「えっ……はい」
と、当然、あなたの事は知ってますよスマイルに切り替えた、営業担当の嶽山。
そんな嶽山の困惑など全く気付いていないだろう男がもっと寄ってきて、その視線が嶽山の頭部に向けられていると俺は気付いた。
以前、嶽山がこぼしていたことがある。
子供の頃から髪が多く剛毛のせいで、放っておくとヤマアラシのようなのだと。だから毎朝そうとうに強力な整髪料ーーウルトラ超ハードスペシャル針金だってねじ伏せるぞタイプをベッタリと塗ったくっている。
今日もビターーっと決まった、そんな嶽山の七三ヘヤーに視線を向けて手を伸ばす男。
「いっ、いや……ちょっと……あはは……」
せっかくガチガチに固めた七三ヘヤーに触られでもしたら朝の苦労が水の泡だと思ったのだろう嶽山は、そいつの手を掴んでそう言っている。
「あなた、本当に嶽山さんですよね?」
そいつは更に念を押すように確認までしてきた。
「そっ、そうですけど、その手をどけて」
背伸びをしながら仰け反る嶽山の必死な様子から、その髪型を作り上げるのにはかなりの時間が掛かっているのだろうと改めて感心した俺だが、どうにも面白くて、ちょっと離れて成り行きを見るに決めた。
混んだ蕎麦屋のレジの前で嶽山の頭に手を伸ばすそいつと、その手を掴む嶽山。
周りは誰もが唖然と口を開けていた。店員すらも困ったようにチラチラ俺を見る中、嶽山も必死な素振りがうかがえたが、そいつはそいつで、「どうして?」を繰り返しながら、やはり必死で、しまいには語尾を強めてこう言った。
「残念だ! 嶽山さんがそんな人だったなんて……僕はガッガリだ!」
「はい??」
「二人で男らしく行こうじゃないかって決めたじゃないですか! それなのに……陰じゃカツラだなんて!」
そう言った途端、踵を返して飛び出して行った男。
確かに嶽山のヘヤースタイルは、揉み合っていた間も全く乱れていない。きっと、台風であろうとピクリとも動かないんじゃないかと見え、誰よりもカツラっぽい。
「えっ、ぇぇええええええ?? なっ、なにを……ちょっと待ってよ! それって完全に人違いだって」
と、店を出て行ったそいつを追いかけようとしたが、さすがに馬鹿げていると思いとどまった嶽山だが、蕎麦屋の順番待ちの他の客の視線に気付いたようだ。
「ちっ、ちがいますって、これは地毛だから、地毛。マジマジ、マジで地毛」
そう力説する割には髪に触ろうとしない嶽山に、誰もが目を逸らした。
数年後、嶽山はハゲた。あの蕎麦屋に現れた男はなんだったのだろう?
タイムトラベラーーーー完