第十三話 女装
音楽の先生は、やはり独身の若くてスレンダーで清楚な雰囲気をバフバフ撒き散らす女の先生を強く希望するのだが、中学一年生の時の音楽教師は丸眼鏡をかけた妙な長髪で加齢臭をガッツリ漂わせる中年の男で、映画監督の大島渚に似ていたせいでコリーダと呼ばれていた。
本人もそのあだ名を知っていたようだが何故かまんざらでもない様子で、どうやら、その映画の主演男優に自分が似ているからだと思い込んでいた節がある。
コリーダの授業は期末になるとテストをやる。それもペーパーテストで、いくつもの、何と無く記憶に残っている題名がズラーと並んでいて、それぞれの作曲家は誰だ? と、まるでテレビのクイズ番組のような問題ばかりで、考えた末に「分からない」とか「解けない」と悩むことなどなく、見た瞬間に「知らない」だ。
だから、一桁の点数しか取れない輩もウジャウジャいたしーー勿論100点満点でだーー0点なんかも俺を含めて珍しくもない、ある日の事だ。
音楽室に現れたコリーダの顔の中央ーー鼻を隠すように、包帯が後頭部からグルグルに巻かれ、更に松葉杖を付きながら、見ると片足にギブスだ。
どうして急にそんな事態になったのか知らないが、笑えたのは俺だけじゃなく、指を差して涙を流して笑う生徒までいた。
だが、普段から声を荒げる事をしないコリーダは、何故、自分が怪我をしたのかの説明を延々と始め、その内容から、ヘンテコでプライドと呼べるのかも怪しいが、とにかくいいカッコしいなのだと分かった。
音楽室は二階にあって窓が大きく、その窓を開けると外に向かって50センチにも満たないだろうコンクリートの足場が、まるでベランダのように突き出しているのだが、転落防止用の柵もないものだから、目的が解らない物ではあるが誰がどう見ても危ない。
コリーダも「危ないから、窓から出たら絶対にダメだぞ」と授業の度に言っていたものだが、ふざけた事に自分でやっちまったと笑いながら言ってやがる。
だが、落ちたのでは無く飛び降りたのだと強調するコリーダ。
ーーナニ?? 飛び降りた? 自殺か? 無理だろ、二階だぜ。
聞くと、何かを拾おうとして窓から出たコリーダはバランスを崩し、落ちるのを回避するため飛び降りたと言うが、絶対にコンクリートの端っこにしがみつけたはずで、ぶら下がって誰かに助けを求める情けない自分の姿が目に浮かんだのだろう。後ろ向きで、きっと仮面ライダーのように両手を挙げた姿で「トウ!」と言ってコンクリートの足場を蹴り、空中では足を揃えて体を「く」の字にやや曲げながら、最後は猫のようにフワっと降りる予定ーー要はカッコをつけたのだ。可愛い女子でも目に入ったのだろう。嫁にどう説明したのか知らないが、マヌケ以外の何者でもない。
だがコリーダは更に言う。
「僕はちゃんと着地できたはずなんだ。でも、危ないと思ったんだろうね。誰か分からないけど、音楽室から飛び出して来た女子が、飛んだ僕の手を掴んだんだ。それでね、建物から離れるように飛んだはずが、掴まれたせいで戻されちゃって……」
どうやら、空中でガシっと掴まれ、振り子のように戻ってきたコリーダは、突き出たコンクリートに顔面をベチャっと打ち付け、勢い余って手が離れ、地面にドサっと落ちたらしい。
その話ししかしなかった授業が終わった途端、何にでも首を突っ込む浩二が、「トウ!……ガシッ……ベチャッ……ドサ……ってあるか?」と呟きながら、寝そべるように窓から身を乗り出してコンクリートの端っこを覗き込む。
「げっ……あるよ、血ぃべったりだ、これって鼻血だよな。でも誰よ? 飛んだコリーダ掴んで引き戻せる女子って……」
コリーダは身長が180くらいあって腹も出っ張っているから、90キロはあるはずだ。
「やっぱりよ〜、音楽室ってオバケ出るって言うだろ……いるんだわ」
確かにそれしか思い付かないが、落下しようとするコリーダを空中で掴めるには筋肉隆々のオバケらしく、どう考えても女子とは思えない。
「きっと女装してんだって」
女装ーーー完