浪人詩集(48)
164.七つの赤い風船
透明な七つの風船が自由に空を飛び交っておりました。
青空の中心ではお日様が七色の光の筋を地球に投げかけて
ほどよく暖かい風が吹いておりました。
若い画家が浜辺近くの小高い丘で苦しみながら絵をかいていました。
―海の色は青だ、空の色も青だ、考えることは何もない、全部青で
塗りつぶしてしまえば、それで良いのだー
画家は、そんな風に考えたのでした。
そんな彼の近くに七つの透明な風船が風に吹かれてやって来ました。
画家は眉をひそめてじっと風船を見ていましたが、やがて、
七つの絵筆にたっぷりと青の絵の具を染み込ませると、エイッとばかり、
七つの透明な風船に向かって投げつけたのでした。
風船は、いずれも、あおいあおい、青色に染められて、空の青、海の青にも
負けない、美しく透き通った青に輝いたのでした。
七つの青い風船は、海と空の間を、街に向かって流れて行きました。
すると、まだ乾き切らない風船に、ばい煙や、不純なゴミがくっつき始めたのでした。
「何て薄汚れた風船なのだ、しかも七つも飛んで来た」
街の人々は、汚い色の風船を憎みました。
商店街の看板をぬっていたペンキ屋は空を見上げてつぶやきました。
「かわいそうな七つの風船、ぼくが、素敵な色に変えてあげる」
ペンキ屋は、七つのはけに、赤いペンキをたっぷり染み込ませて、
エイッとばかりに空に放り投げました。
風船は、いずれも、あかいあかい、赤色に染められて、夕焼けに染まる
海の赤、空の赤にも負けない、美しく鮮やかな赤に輝いたのでした。
その夜、雷鳴が響き、光が駆けめぐって、激しい雨がふり、風が吹きました。
七つの赤い風船は、一つ一つ、弾けて消えて行きました。
※大学ノートは、あと二冊になってしまいましたが、中を開いてみると、切れ切れの文章や、意味の通らない語句や、書き始めて二、三行で終わっているものが殆どで、意味不明の文章が殆どになりました。仕方がありません。それらがどういう趣旨で書かれたのか、分かるまで、少しばかり時間がかかりそうです。そういう理由ですので、この「浪人詩集」は、今回で一応、最終としたいと考えます。そのうち、また、新しいものが見つかった時に書きはじめたいと考えます。今まで、僕のたわごとに付き合ってくれて、ありがとうございました。・・・・・・終わり
ここから再出発
浪人詩集は終了したのだけれど、この頃脳みそが次第に老化している様に思えて仕方がない。明日明後日という訳ではないが、そのうちこの世ともグッドバイするのかなあと考えながら年金生活を送っているのだが、時々胸の奥を冷たい風が吹き抜けて、夜中に目が覚めることがある。時にはひどく心が寒くて、暗い奈落にどこまでも落ちていく恐怖に襲われる。というよりも、果てしない暗黒の淋しさに落ちていくような気分だ。だが、若いころのようにとがった感覚は次第に麻痺して、喜びや苦しみや哀しみ、それに死に対する恐怖はひどく薄れたように思う。そうして苦痛や恐れは老化と共に薄れるのだろう。いや、麻痺していくという表現の方が正確かも。あるいはそれが老化そのものか?
一昨年死んだ友人が死の間際に「一体、俺の人生って何だったんだろう」と呟いたことを思い出す。多かれ少なかれ、人の一生はそんなものかも知れない。いや、「最高の人生だった」と笑って逝くのもありかな。この頃、どこかの坊主が言っていた言葉を目覚めた時に口ずさむことにしている。「朝起きて、仏の恵みの命かな。今日のともしび、如何に使わん」なんてね。もうしばらくすると、この世よりもあっちの世界の友人が多くなる。お前もそろそろ来いよと、夜、洗面所で鏡を見ていると背中から悪友が誘いに来ていると感じることがあるが、そんな時は小声で言う、「この世で生きることは大変なんだぜ。だがな、だからこそ面白い。やりたいことがまだまだいっぱいあるんだ。すまねえな、お前と会うのは、随分、先のことだぜ」と。
まだまだ、言いたいことは尽きないが、きりがなくなる。では、一句
正倉院を思って
夢のなか、螺鈿の琵琶を掻き抱き、吾は月下の絹の道行く。