第3話 好意
校舎から剣道場までは少し歩く。
稽古の前に竹刀のチェックをしようと少し急いで歩いていたら、由紀ちゃんを見つけた。
「あ、由紀ちゃん!」
突然名前を呼ばれた由紀ちゃんは、ちょっとビックリしている。
「ごめんごめん、「前嶋」だと由浅とごっちゃになるから、みんな君のこと「由紀ちゃん」って呼んでるんだ。…構わないかな」
そう聞くと、彼女はニッコリ笑った。
…かわいいな〜。
いいな〜。
かわいい笑顔に、すっかり稽古のことや竹刀のことを忘れてしまいそう…。
「由紀ちゃんさ、今度俺とお茶でも…」
ついつい誘おうなんて考えたんだが、…横槍が入った。
「コラ〜ッ!!!」
佐々木先輩が走ってくる。
「離れろ離れろ!」
そう叫びながら、俺と由紀ちゃんの間に割って入ってきた。
「こいつ、剣道は強いけど、私生活はめちゃくちゃだから近づかんほうがいいぞ」
などと、無茶苦茶なことを言う。
「何を言うんですか、人聞きの悪い!」
「俺は聞いてるぞ、先週バレー部のコ泣かしたそうじゃないか」
「泣かしてません!断ったら泣いたんです!」
「ほれ見ろ泣かした」
くっそ〜、なんでそのネタを…。
佐々木先輩って、時々こっちがビックリするようなネタを掴んでいることがある。他人の話を聞くのは面白いが、自分のこととなると…油断できない。
由紀ちゃんは笑ってる。さっきのお茶の誘いは、流されてしまったようだ。佐々木め!
「僕168cmありますよ!」
部室のドアのを開こうとしたら、由浅の怒る声が聞こえてきた。
「うそ〜。そんなにないだろう?」
「あります、ホントですよ。なんなら測ってください」
ムキになって主張する声。
「おーっす」
そう言いながら入っていくと、みんなが「おーっす」だの「お疲れ様です」だの、口々に返事をした。俺は仕切りの奥に入っていって自分の竹刀を出し、ささくれ具合をチェックする。ひどいところはカッターで削った。
「お前さ、アレじゃないの?いつも山之辺と一緒にいるから、余計に小さく見えるんじゃないの?」
道端の声。すると、
「…総司!もう一緒に歩くな!」
由浅が山之辺にそう忠告している。
山之辺の声は…聞こえない。反論はしないようだ。
なんなんだろうなあ、このコンビ。
「お、阪中!注文してたツバが届いてるぞ」
高橋の声がした。
「あ、サンキュー」
俺は削った竹刀を軽く磨きながら返事をした。
ツバっていうのは、刀の握り手と刃の間にある金具のことだが、普通剣道の竹刀に使うのはプラスティック製の簡易なものだ。今まで紫色のを使っていたが、こないだの試合で注意されたので、試合用に地味な茶色のを注文していた。
「ところで山之辺は身長何cmあるんだ?」
高橋の声が聞こえてきた。
「…182です」
山之辺の声。あんまりしゃべらないけど、こうして声だけ聞いてみるとイイ声だ。
「やっぱり〜。180は超えてると思ってたんだ〜。部室に入る時、アタマ打たないように気をつけろよ」
「…もう打ちました…」
プッ。
無口で無表情な山之辺が、黙ってアタマをぶつけているところを想像すると笑えるなあ。
仕切りの奥から出て行くと、由浅が着替え始めていた。白い背中にドキッとするのは、顔が由紀ちゃんと似ているからだろう。
…みんななんとも思わないのかな〜。
辺りを見回したが、どうやら意識しているのは俺だけらしい。
男女の双子って不思議…。そう思いながらぼんやり由浅の着替えを見ていたら、誰かの視線を感じた。
山之辺だった。
俺が気付いたのに気付いて、サッと視線を外した。
由浅、由紀ちゃん、山之辺の3人の素振りは似ている。たぶん同じ道場で習ったのだろう。
素振りは、意外と個性が出るものだ。
でも、3人の素振りは、素直で、クセがなくて、きれいだ。
身体が柔らかいことも大事だ。
特に由浅の素振りが一番しなやかで伸びがある。
そういえば、こないだの稽古のときも感じたっけ。
…お互いの間合いが少し離れていても、由浅の技は踏み込み無しで俺に届いた。そう…特にあの、最初の一撃。由浅の身体の大きさで、まさかあの位置から技が出るとは思わなかった。
背の小さいことはハンデだが、それを補う身体能力が由浅にはある。天性のものか、鍛えた成果か…。
また、山之辺と目が合った。
今度は、山之辺は視線をそらさず、こちらを真っ直ぐ見据えたままだった。