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巡る思い

 ミラードは春告草の花束を抱えてヴァルター家を訪れた翌日に友人を訪ねることにした。幼い頃から王城の中枢近くにいて、今や若くして国教会の要職についている彼には頼りになる広い人脈がある。しかし、ただ迷ったり悩んだりしていることをざっくばらんに話せる相手はそういない。こと杏奈の件については誰にでも相談して良い種類のものとも思えなかった。こんなときには、アンドリューだ。相談したいことがあると連絡すると今晩、夕食がてらに話を聞こうと連絡が帰ってきたのでミラードは朝から精力的に仕事をこなして、夕方過ぎまで全ての仕事を片付けた。


 久しぶりの訪問になる大きな邸宅に馬で乗りつけると、家人には既にミラードの訪問は知らされていたようで執事が出迎えてくれた。

「お久しゅうございますな。」

 目を細めて彼をみる執事は、幼い頃に遊びにきたミラードのことを思い出してでもいるのだろう。「本当にご立派になられましたね。」と嬉しそうに言う。この十年くらい同じ台詞を聞いているような気がする。きっと子供の頃の頼りないミラードの記憶が消えないのだろう。いい加減に忘れてほしい気もするが、幼い自分を覚えて成長を喜んでくれるというのは有難いことでもあるのでミラードは礼を言うにとどめた。

「アンドリュー様はまだお戻りになっておりません。夕食をご一緒にと連絡がありましたので、もうしばらくしたらお帰りになると思うのですが。申し訳ありませんが、少しこちらでお待ちください。」

「ああ、今日は僕が急に時間を作ってもらったんだ。こちらこそ申し訳ないけれど待たせてもらうね。」

 ミラードはアンドリューの家の執事に案内された応接用の部屋に一人残された。この大きな家全体を使ってアンドリューや彼の弟達とかくれんぼをして遊んだりした。どの部屋にも思い出があるし、小さな物陰や隙間に誰が隠れていたかまで覚えている。ミラードにとってはまるで我が家のような空間だ。気を落ち着けるには十分な環境だと言える。

 ミラードは椅子に腰かけて目を閉じた。

 もう一度アンドリューに伝えるべきことを整理しなおす。杏奈が神の使いに会ったことがあるかもしれないということ。まだそれは確かな情報ではないものの、少なくとも彼女か彼女と縁のある誰かが神の使いに会ったと考えられること。それはアンドリューにも理解しておいてもらう必要がある。それと同時に、このことは幸いにもまだ多くの人に知られていることではなく、運が良ければ自分以外は誰も知らないということも重要だ。なぜならば、神の使いに会った人間の存在を場合によっては隠さなければならないからだ。

 ミラードの脳裏に次々と古い記憶が蘇る。遠ざかる故郷。ぎらついた目付の大人達。父親からの手紙。ミラードは無意識に眉間を強く押さえた。感情を上手く抑えることができなかった頃に、身につけた本当に頭を押さえることで感情を静める方法だ。

 もしも杏奈が神の使いに会ったことがあると知れたなら。神の使いなど半ば伝説の存在と思っているくせに、会ったことがある人物が現れれば皆の態度は一変するだろう。杏奈は聖女として祭り上げられて自分の生活など無いも同じになる。無理にでも司祭職につけられ、生活の場も教会に限定されるかもしれない。人間は強欲なものだ。会えないなら会いたい。会えたら話をしたい。話せるのならこちらの願いを聞いてほしい。そういう欲を神ではなく、手の届くところにいる杏奈に向けて、彼女を追い詰めるだろう。もし神の使いには二度と会えないとなれば、体の良い出世の道具にでもされるのは目に見えている。この場合、不幸なことに彼女は若くて美しい女性だ。どう扱われるかは知れたことだ。


(神の使いのせいで不幸になる人間なんていてはいけない。彼らはそんなことのために遣わされるわけじゃない。)


 一方でこの事実をもみ消せば、杏奈は世間から脚光を浴びる機会を失い、得るはずだった名声も逃すことになるだろう。それをミラードの想像だけで決めて良いのか。それもまた何か違う気がする。彼女には今のまま、静かな生活を守ってほしいと思うのは自分の我儘な願望なのか、否か。自分の過去に引きずられて判断を誤っているのではないか。昨夜と同じところで思考は堂々巡りになる。心に刻まれた記憶は消そうと思っても消えない。何かの拍子に蘇る。ミラードはそれを否定しようとはせずに受け入れた。何度も思い出し、繰り返し繰り返し古い本をめくるように思い返せばいつか昔は気がつかなかったことに気がつけるかもしれない。大事なことを忘れないで済むかもしれないと自分を鼓舞し、改めて自分の記憶と対峙した。

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