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青い瞳

 杏奈がミラードに慣れたといっても、何でも気安く尋ねられるほどではない。杏奈にはいつか聞いてみたいと思いつつも切り出せないでいる質問があった。それは吉夢に関するものである。白い生き物が神の使いであるとするならば、白鳥の夢について一番詳しそうなのは司祭であるミラードだ。セオドアにもそう言われた。しかし、急にそんな質問をして、ミラードの方に疑問を持たれてしまうのが怖い。夢の内容を説明しなければならなくなると、やはり自分の精神状態などを疑われそうで心配だ。それとなく聞いてみたいと思いつつ、今日まできっかけを得られずにいた。しかし、今日はミラードから白鳥の話を始めてくれた。杏奈にしてみれば渡りに船の状況である。


「ミラードさん。白い生き物は神様の使いだというお話は聞きましたけど、今もそういう生き物はいるんですか。」

「そうですね、ただ体の色が白い生き物ならば君も見たことがあるのではないですか。白猫だったり白い鳩だったり、犬もいるかな。白馬もかなりの数いるでしょうね。」

「他の子との違いは体の色が白いだけなんですか。喋るとか、そういう特別なことはないんですか。」

 杏奈の夢に出てきた白鳥はそもそも尋常ではなく大きかったし、何より話すことができた。そういう生き物は実在するのだろうかと杏奈は問いを重ねる。

「喋る、ですか。人と意思の疎通ができるということ?」

「はい。」

 ミラードは真剣に自分を見つめる杏奈から目を逸らして窓の方を見やりながら「そうですねえ」と少し考えるように間を空けた。

「私達が簡単に目にすることができる白い生き物は、話すことはできないでしょうね。彼らはただ毛の色が白いだけで中身は他の黒毛や茶色い毛の馬や犬と変わらないと思いますよ。神話や伝承の世界に出てくる神の使いは、出会った人間と意思の疎通をしていますね。言葉をかけた、という記述になっているものもありますし、心に語りかけたとか、出会った後でその人物に啓示があった、というような言い伝えもあります。本当の神の使いは音を出すかどうかは別として喋るのでしょう。そうでなければ、伝えたいことを伝えられませんからね。そういう神の使いを見たという話は殆ど聞きません。たまに噂になったり、自分はそうしたものに巡り合ったという人もいますが、真偽は分かりません。」

「そうなんですか。」

 神の使いというのは伝説の存在に近く、近年、実在を確認したという話は聞かない。良くある話ならばセオドアが知っていたはずなので、杏奈にも滅多にないことは分かっていたのだがミラードも知らないとなると、いよいよ想像上の存在ではないかという気がしてきてしまう。だとすれば、あの白鳥はなんだったのか。そしてあの夢は、ただの夢だったのだろうか。

「伝承の数や、残されている場所の多さを考えると最初からいなかった、というのも考えにくいので絶えたという説もあります。」

「絶えたっていうと、みんな死んでしまったっていうことですか。」

 杏奈が驚いた様子で聞き返すと、ミラードは曖昧に微笑んだ。

「一説には、そういう考えもあるということです。そもそも寿命のあるような生き物なのかも分からないですから。」

 杏奈が考え込む様子を見てミラードは随分気にかけているようだなと思う。

「会ってみたいですか?神の使いに。」

 そう聞いてみると、杏奈はなんとも複雑そうな表情を浮かべた。彼女の少し泣きそうな笑顔にミラードは戸惑う。失われた彼女の記憶について聞いてみたいとか、そういうことではないかと予想していたのだ。勢い込んで会いたいと宣言するか、少なくとも、もし会えるなら会いたい、くらいの返事を期待していたところへ悲しそうな表情は不意打ちだった。そして彼女の答えもミラードの予想とは違うものだった。

「会いたいとは思いますが、会ってはいけないのではないかとも、思います。」

「会ってはいけない?」

 杏奈は小さく顎を引いて目を伏せた。白い鳥に会いたいかと言われたら、もちろん会いたい。しかし、彼のいる場所は彼女が勝手に踏み入ってはいけない場所のようだった。それ以外で、彼に合うとしたら「飛ばされる」時だけなのではないかという気がする。

 ミラードには杏奈の考えていることは分からない。ただ、会いたいという言葉に込められている思いも神話の登場人物に憧れを抱くような種類の感情では無さそうだと感じる。もっと身に迫ったもの。その実在を信じているような反応。そこまで考えてミラードは改めて彼女の耳に目をやった。もしかすると、これは意中の男性から贈られたという以上の意味があるのかもしれない。


「その白い羽の耳飾り。特別なものなのですね。」

 ミラードは杏奈の返事を待たずに続けた。

「それを贈られた方は、どうして白い羽を選ばれたのでしょう。先ほど、古くは運命という意味があると言いましたけれど、それはあまり知られていないことですし。」

 杏奈は答えられなかった。セオドアがこれを選んだ理由をミラードに説明すると、伏せようとしていた夢の話までみな話さなければならなくなる。杏奈の様子を観察しながらミラードはやはり何かあるようだと確信を深める。贈り物の選ばれた理由など、贈られた側が知らないことは良くあることだ。でも今の杏奈の困った様子は単純にただ知らない、ということでは無さそうに見える。


(今は問い詰めても逆効果かな。)


 ミラードは自分で仮の答えを出した。

「夜会の折に君が白い羽飾りをつけていたのを覚えていたのでしょうか。揃いになるように選ばれたのかもしれませんね。」

 杏奈はそれなりに筋の通った仮説にほっとした様子で「そうかもしれませんね」と答えた。これで、耳飾りの贈り主があの夜会に出席していた人間に限定されてしまったわけだが、彼女はそこまで思い至っていない。

「羽のある神の使いとして有名なのは大白鳥です。その羽もきっと白鳥の羽を模しているのでしょう。あまり王都や人の多いところにはやってこないのですが王都の外れにある大きな湖にはときどきやってくるそうです。とても優美な姿ですよ。」

 湖と言われて、杏奈は王都にくる直前に通った街道の分かれ道を思い出す。セオドアがいつか連れて行ってあげると言っていた、あの湖のことだろう。

「見てみたいです。白い羽に青い瞳。青い湖。とても綺麗なんでしょうね。例え本当はただの鳥だったとしても神の使いだと思う気持ちも分かるかもしれません。」

 杏奈は湖に浮かぶ白鳥の姿を思い描いてそう答えた。

「青い、瞳ですか。」

 ミラードは表情を失ってぽつりと呟いた。普通の白鳥の瞳は黒い。大白鳥の瞳も本来ならば黒い。一般には白い姿だけが良く知られているが、実際には神の使いを見分ける外見的な特徴は白い姿に青い瞳の組み合わせなのである。このことを知っているのはある程度の位にある司祭に限られる。自分が神の使いを見たという者が現れた時に真偽を分かりやすくするために伏せられているのだ。杏奈は何気なく青い瞳と口にした。何かの思いこみでないとしたら、彼女はどこかで本当に神の使いに会っている可能性がある。

 当代で神の使いに会ったことを教会から正式に認められている人間はいない。司祭の立場からいえば、今すぐに彼女を連れて教会に戻るべきだ。だが、彼は体中の力が抜けるような感覚に襲われ、まともな思考ができる状態ではなかった。わずかの間、何も考えられなくなる。

「あれ?おかしい、でしょうか。ミラードさん?」

 杏奈がおかしなことを言っただろうかとミラードに呼びかけると、彼はすぐにいつもの笑顔を浮かべた。

「いいえ、なんでもありません。青い瞳の白鳥は綺麗だろうと私も心を奪われてしまいました。君も初めて聞いた時にはそう思いませんでしたか。」

 ミラードの言葉に杏奈は少し首を傾げた。

「あれ、白鳥の目って普通は青くありませんでしたっけ?」

「白鳥を見たこと、ありますか。」

 ミラードは穏やかな表情を取り繕ったまま問い返す。杏奈は夢に出てくる白鳥以外の記憶を探そうとするが、全く思い出せなかった。もしかして、青い瞳というのは特別なことなのだろうか。あまりに印象的な瞳なので思わず口に出したが、言ってはいけないことだっただろうか。

「いえ、見たことはなかったかもしれません。何だか勝手に青い瞳だって思い込んでいたみたいです。」

 しばらく考え込んだ末の杏奈の答えを聞きながら、ミラードはようやく普段通りの仕事を再開してくれた頭で考える。彼女が白鳥の目は青いと言った理由は何だろうか。実際に会った。誰かから聞いた。どちらにしてもこのままにはしておけない。


(これは、思ったより大変なことになったな。)


 ミラードはなんとか微笑みを保ちながら考える。さあ、自分はどうすべきなのだろう。

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