夜が明けて その1
杏奈は夜明けの光に目を覚ました。ぼんやりと体を起して何かいつもと違うなと考える。頭が重たい感じがする。昨日何があっただろう。
思い返して行くと、お酒を飲んで動けなくなって、セオドアに部屋まで運んでもらったことが思い出される。はっとして自分が寝巻を着ていることを確認する。懸命に思い返してモイラの手を借りたことも思い出して安堵する。その3秒後に、いやいや、安心している場合ではないと膝を抱えて丸くなった。
(酔っぱらって皆の手を煩わせるなんて。最悪だわ。)
折角のお祭りだったのに翌朝から謝罪行脚に出なければならないとはと杏奈はしょげる。昨日しっかりするぞと思ったばっかりでこの行いはどうなのだ。アンナはひどい自己嫌悪に陥りながらよろよろと文机に歩み寄り、手紙達に向かって「ごめん」と小さく声をかけた。
昨夜の片付けを手伝えなかった分、今日は早めに出ようと着替えてベッドを整える。枕をはたいて戻そうとすると枕元に小さな白い包みを見つけた。掌に収まる程の小さな包みを開けてみると白い羽を意匠化した耳飾りが現れた。一緒に入っていた紙に「君に幸福を」という文字とセオドアの署名を見つける。
(ああ、私は本当に大馬鹿だわ。最低だわ。)
セオドアが昨日これを持ってきてくれた時のことを何も覚えていない。白い羽の飾り。白鳥の夢の話をしてから数日しかなかったのにきっと仕事の合間をみつけて買いに行ってくれたのだ。ちゃんとお礼をいって受け取りたかった。酔っぱらって枕元に置いて行ってもらうなんて。杏奈は涙目になってその耳飾りをつけてみる。とても小ぶりで可愛らしい。せめて今日はこのまま着けていることにして、そのまま部屋を出た。
まだ夜が明けたばかり。家は静まり返っていると思っていたのに階段の上に立ってみると階下から人の声がする。しかも一人や二人ではない。それからむせ返るほどのお酒の匂い。杏奈が恐る恐る降りていくと居間には夜通し語らっていたのであろう男達、女達がいた。ソファで寝てしまっている者もたくさんいる。中には床に丸まっている者まで。
杏奈は想像を越えた状況にしばし立ち尽くした。
(こ、これは。話に聞いていたけど本当に飲み明かすのね。)
これを見てしまうと昨日の自分のことが大した問題ではなく思えてしまうのだから現金なものだ。卓から溢れて床までも林立する酒瓶とグラスを前に、どこから手をつけるべきかと途方に暮れていると、声をかけられた。
「アンナ?起きたのか。」
「おはようございます。」
やってきたアルフレドは珍しく頬から鼻の頭まで真っ赤にしており酒のせいか夜ふかしのせいか目も赤い。
「二日酔いは大丈夫かい?」
「はい、頭が少し重い感じがするくらいで平気です。昨日はご迷惑を。」
杏奈の話途中でアルフレドは軽く手を振って遮った。
「これを見れば分かるだろう?あのくらい可愛いもんだ。まだセオドアもどこかにいるから、見つけたらあいつに礼を言っておけば十分だよ。」
「セオドアさん、まだいらっしゃるんですか?」
杏奈はてっきりとうに帰ってしまっただろうと思っていたが、彼も夜通し起きていたらしい。
「ああ、さっき裏庭でみかけたからまだ家にいるだろう。」
杏奈は「はい、ありがとうございます」とぺこりと頭を下げると急いで裏庭に向かった。その後ろ姿を見送ったアルフレドは髭を震わせて「むふ」と笑う。
(これでチェットへの贈り物もなんとか間に合ったか。)
昨日、今日と忙殺されているチェットは、事前にアルフレドに「今年は僕への贈り物はいいから、その分兄さんに二人分贈り物お願い。叔父さん、意味わかってるよね?」とおねだりして行っていた。なんだかんだと甥には甘いアルフレドは「今日だけは特別」と言って願いを叶えてやることにしたのである。昨夜見たセオドアの表情に彼の本気を感じて、少し意地悪をし過ぎたかと反省した面もないではない。
杏奈が人気のない裏庭に回り込むと、セオドアが夜明けの空を見上げていた。
「セオドアさん、おはようございます」
声をかけると、彼は「おう」と振り返った。少しその表情が暗い気がして怒っているだろうかと杏奈は不安になる。
「昨日はご迷惑をおかけしてすみませんでした。」
「調子はどうだ?」
「大丈夫です。」
そこまで話して、杏奈はセオドアからはお酒の匂いがしないことに気がついた。
「セオドアさんはお酒、飲まれなかったんですか?」
「ああ、どうもそういう気分にならなくてな。」
そういって彼は杏奈の耳に視線を止めた。それに気がついて杏奈はもう一度ぺこりと頭を下げる。
「耳飾りありがとうございます。」
彼女が顔を上げると、セオドアは少し意地の悪い、でも笑顔を浮かべてくれた。
「寝返りを打って踏みつぶされやしないかと心配したが、無事だったようで良かった。」
「な。」
言い返そうにも言い返す言葉もない。杏奈は笑っているセオドアをじとりと見上げたがどう考えても自分が悪いので諦めた。
「私、クッキーしか。しかもチェットさんの用意して下さった材料だったから、ローズ家の材料で作ったものしか用意しなかったのに。こんな素敵なの。頂き過ぎというか。いいんでしょうか。」
杏奈の言葉にセオドアは苦い笑いを浮かべた。
「いや、俺はもう十分もらったから。気にするな。」
杏奈は何も彼に贈った覚えがない。首をかしげると髪が流れて耳と耳飾りが露わになった。セオドアは「ああ、良かった、似合うな。」と微笑んだ。
それからセオドアがマントを外すのを何をしているのだろうと見ていると「おいで。」と手招きされた。杏奈が歩みよると外したばかりのマントで包まれる。まだ温かい。そのままマントごと背中からお腹に手を回すように抱えられて杏奈は慌てたがセオドアは「暴れるな」と杏奈の頭の上に顎をのせて離してくれない。
「そんな薄着で立っていたら風邪をひく。」
確かに外に長居するつもりではなかったので部屋着のままだった。しかしこの格好は恥ずかしいと杏奈は頬を染めて「私はすぐ戻りますから。セオドアさんこそ風邪をひいちゃいます。」と言い募った。しかしセオドアは腕を緩めずに彼女を抱えたまま、片手で空を指差しただけだった。つられて見上げれば、いつか見たのと同じ夜明けの美しい空の色。
「星降る夜空も美しいが、俺はやはりこちらの方が好きだな。」
確かに昨夜の星空は美しかったが、その星を溶かしながら明けてくる空の色は気持ちを奮い立たせるものがある。夜の光が祈りのためだとすれば、朝の光はもっと直接的に走り出すための力をくれる気がした。杏奈は一瞬この状況をどうやって脱出しようということを忘れて、同じようにセオドアと一緒に見た夜明けのことを思い出した。
「夜明けを見ると勇気が湧きますね。あのとき、夜明けを見せてもらえて良かったです。」
杏奈の言葉にセオドアはゆるく彼女の腰に回していた腕に力を込めて背中から彼女をぎゅうと抱き寄せた。そのまま俯いてマント越しに杏奈の首筋に顔を埋める。彼の体温を近くに感じて杏奈はもうマントなんかいらないほど自分の体温が跳ねあがったと思った。
(うわ。近い近い。最近、セオドアさんこういうの多い気がする!)
「セオドアさん?本当にお酒飲まれなかったんですよねえ?」
セオドアの短い髪が耳と頬をくすぐって背中がむずむずする。杏奈が身じろぎして何とかセオドアを引き離そうとすると、彼は腕を緩めて「ふふ」と笑いながら顔を上げた。
「ほとんど、飲んでない。」
セオドアはそう言ってようやく腕を緩めて彼女を離し杏奈の隣に並んだ。
「また一緒に夜明けが見られるといいな?」
「はい。」
セオドアが言うのを聞いて体が離れてほっとしていた杏奈は素直に返事をしたが、それを聞いたセオドアは杏奈の頭の上でしばらく笑い声を洩らしていた。
「何かおかしいんですか。」
失言しただろうかと杏奈が問いかけると、セオドアは「いや、何もおかしくはない。」と言って呼吸を整えた後で「今の言葉、絶対他の男に言うなよ。」とやたらと真剣な目で念を押した。その言葉を受けて、何故言ってはいけないのかと杏奈は考える。セオドアの笑いの意味に辿りつくまで数秒かかったが、杏奈は耳から首まで真っ赤にして「言いません」と断言した。
(一緒に夜明けを見ようって、普通一晩中一緒にいるってことになるよね。うわあ。そんなつもりじゃなかったんです。そんなつもりじゃ・・。これじゃまるで誘ってるみたいになっちゃう。恥ずかしすぎる。)
そのまま困った様子で、発言の訂正をどうすべきか考えている杏奈を見下ろしながらセオドアはただ面白そうに笑っていた。