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星祭り その5

 祭りは夜からが本番だ。集まってきた親戚達はこれでもかと星型をあしらわれた夕食を終えると寒いのにも関わらず庭に出て夜空の星を眺めて酒を酌み交わした。杏奈もつられて庭に出てみる。そこには満天の星空が広がっていた。星の光を妨げないようにと庭の灯篭の灯りは押さえられ、代わりに冴え冴えとした白い光が庭の木々を照らし、人々の頬を照らしていた。

 皆の掲げるグラスに揺れる赤や白の酒の中にも星影が映り込のをみて、まるで星をとらえて飲んでしまっているようだと杏奈は思う。自分も試してみたいと近くのテーブルから手探りで一つグラスを取り上げた。空に向かって差し上げてみれば、思った通り淡い琥珀色の液体の中にきらきらと幾つもの星が映る。


(わあ、綺麗)


 杏奈は冷たい風に指が痺れるまでグラスに映る輝きを飽かずに眺めた。十分に星の光を浴びた液体に口をつければ仄かな苦みと甘みが口の中に広がる。それから遅れてやってくる喉が熱くなる感覚にどうやら酒の類だったようだと察して大きく息を吐いて熱を逃がした。自分の呼吸につられて揺れる香りは濃い甘い果実の香りで、杏奈は少し眩暈を覚える。けれど、あの美しかった飲み物を一口しか口にできないのは惜しい気がして、もう一口だけとグラスを傾けた。今度は心の準備ができていたせいか、強い香りも喉を焼く感覚も楽しむ余裕があった。


(お酒、初めて飲んだかな。)


 記憶のない期間のことは分からないが、なんとなくこれが飲み慣れないものだということは分かる。今の年齢なら少なくともこの国では成人だ。誰に罰せられることもないが、小さな冒険をした気がして杏奈は少し中身の減ったグラスをもう一度掲げた。たった二口で体が随分温まったように思う。この祭りで人々が夜通し飲むのはそうでもしないと寒空で凍えてしまうからなのかもしれない。杏奈はグラスを持ったままくるりと一回転して意味もなく笑いをこぼした。庭に溢れる人々の熱気とさざめく笑い声すら愉快だ。杏奈はニコニコしたまま、グラスのお酒を半分になるまで飲んだ。飲む程に熱くなり、愉快な気持ちも増して行くのは良いが、どうも眩暈がする。グラスを一度テーブルに戻そうと数歩進むと足元が覚束なくなっていることに気がついた。思った以上に酔っているようだ。なんとかグラスは倒さずにテーブルに戻したが、もう居間まで一人で歩いて帰れる気がしない。


(少し休めば、きっと大丈夫だよね。)


 杏奈は冷たい風が酔いを覚ましてくれることを期待してそのまましばらく空を眺めて立ち尽くす。歪む視界の中でも星は変わらず煌めいて美しい。


(これまでに出会うことができた全ての人に幸福が降り注いで、悲しい思いをした全ての人が少しでも微笑みを取り戻すことができますように。)


 すっかり酒の匂いがついてしまった白い息を吐いて杏奈は目を伏せる。何の気なしにそのまま目を開けると芝がぐるぐると動いて見える。不安になった杏奈は思わず座り込んで地面に両手をついた。もちろん地面は動いていない。しかし座ってしまうと今度はどうしても横になりたくなる。まさか庭で寝るわけにもいかないので必死に我慢するが、立ち上がろうにも膝が笑って力が入らない。どうしようと焦る反面、酔った頭は上手く働かず、結局またぼんやりと空を見上げた。



「おい、お前大丈夫か。」

 どれほど座り込んでいたのか、声をかけられたときに杏奈は半分眠っていた。ぼんやりとしたまま歩み寄ってくる人物の脚から顔に視線をあげる。彼女の視線が顔に達するより前に、その人は杏奈の目の前に辿りついて彼女の体を抱き上げた。急に抱えられて緊張したが、その腕や胸の感触をもう覚えてしまっていて、ここは安心して良いところだと体で直感する。目を上げれば、自分を覗きこんでいるのは思った通りセオドアだった。

「あ、セオドアさんだ。いらっしゃい。」

 ふにゃっと笑顔を浮かべるとセオドアは盛大に顔を顰めた。

「酒臭い。」

 そう言うと彼は杏奈を横抱きにしたまま、すたすたと屋敷へ向かって歩き出した。視界が揺れると気持ち悪いので杏奈は両手で彼の腕と肩と掴んでしがみつく。目を閉じて眉を寄せて唸る彼女の様子にセオドアは軽くため息をついた。

「どんだけ飲んだんだか。」

 誰に聞かせるでもなく呟いて居間に戻ると、執事が驚いたように飛んできた。明るいところで見れば杏奈が酔っ払っているのは明白だ。これは部屋に戻すより他にない。

「このまま運ぶよ。」

 いくら杏奈が軽いといっても老体の執事に任せるのは酷である。執事に先導してもらって杏奈を自室に運んだ。そっと寝台に下ろしてやると杏奈はそのままゴロリと転がって丸くなった。揺れたので気分が悪くなったのかもしれない。

「水でも飲ませた方がいいだろうか。」

 セオドアが困惑した顔のまま執事を振り返ると、執事も苦笑いで頷いた。

「このまま寝てしまっては明日が辛いでしょうね。今お持ちします。」

 執事が去ったあとで、唸りながら丸くなる杏奈を見下ろしてセオドアは改めてため息をつく。


(今日、会いにくるべきかどうか散々悩んで、やっと来たらこれか。)


 この様子では明朝自分に会ったことを覚えているかすら怪しいものだ。悩んで出てくるのが遅くなった自分が悪いのか。セオドアはポケットに忍ばせたままの贈り物を一撫でしてからぐるりと視線を巡らせた。こじんまりとした杏奈の私室には寝台と作りつけのクローゼット、文机の他にはこれと言った家具は無い。開けっ放しになっている窓のカーテンを引いてやろうと窓辺へ向かうと机の上に積み重ねられている手紙が目に入った。全てきちんと畳まれているので中身は見えない。けれど一つ一つが封筒に収められているのでもなく、明らかに子供の筆跡が透けているものもあるのを目に止めると差出人の想像がつく。


(ああ、これは喜んだろう。)


 思わず目を細めて自分も笑顔になる。どうやって手に入れたのかは分からないが良い贈り物をもらったものだ。アルフレドあたりが手を回したのだろうか。本人はずっと王都にいたはずなので誰かに頼んだか。色々と考えながらもそのまま机の脇を通り過ぎてカーテンを閉じて振り返る。

杏奈は唸るのはやめたようで、ぼんやりと彼の方を向いていた。目を潤ませて横たわったまま自分を見上げている様子に彼女には無縁かと思っていた色香を感じてセオドアは首筋が熱くなるのを感じた。窓辺から寝台まで二、三歩の距離があることに感謝する。もっと近くで見たら、体が熱くなる程度では済まなかったかもしれない。

「気分はどうだ?」

 かろうじて動揺を押さえてそう問いかけると、杏奈は「あっつい、です」と呟いた。暖房の効いた室内にコートもブーツもそのままで横たわっていれば暑いのは道理だ。

「自分でコート脱げるか?駄目なら誰か女中に来てもらうからちょっと待ってろ。」

 杏奈は「コート、脱ぐ。」と反復しながらのろのろとコートのボタンをはずして腕を一本ぬいたところで力尽きたように元の姿勢に戻った。

「そこが限界か。」

 セオドアは子供のような杏奈の様子になんとか平静を取り戻して廊下へ向かった。さすがに自分が彼女の服に手をかけるのは礼儀としても正しくない上に、それに付随する厄介な出来事がいくらでも想像できる。廊下に顔を出すとちょうど執事とモイラが上がってきたところだった。助かったと彼らに事情を説明するとモイラは寝台の上の杏奈をみてため息をついてから容赦なく彼女を転がしながらコートとブーツを脱がせにかかった。

「モイラさん―。痛いですー。」

「しょうがないだろう。自分で脱げないんだから。もう、その前掛けも外すよ。皺になっちゃうからね。」

「これも脱ぐ。脱ぎますう。せっかく貰ったワンピース。寝たら駄目になっちゃう。」

「そうだよ、全く。これに吐いたら三日はご飯抜きだね。」

 執事とセオドアは顔を見合わせて静かに部屋を後にした。


「テッド様、お手数をおかけしてすみません。私どもがうっかり目を離したもので。」

「いや、このくらいなんともないから。彼女も年齢的には成人だしいい勉強になるかもな。」

「全く。あの香りは相当強いお酒を召し上がられたのではないかと。」

「だろうなあ。」

 二人は後をモイラに託して階段を下りながら苦笑いのまま一度杏奈の部屋に目を向けた。

「まあ、でも、たまに羽目を外すなら今日ほどいい日はありませんから。」

 星祭りは誰もが飲み過ぎて明日には使い物にならなくなる日だ。執事の言うことも最もだとセオドアは笑う。

「それにしてもテッド様、今年は遅うございましたね。お仕事でしたか。」

 普段なら明るいうちにやってくるセオドアだが今年は先ほどついたばかりだ。執事に問われて杏奈を訪ねていいかどうか迷っていたとは言えず、セオドアは「ちょっと」とだけ答えて濁した。執事は「左様ですか」と物分かりのいい返事をした後で目を輝かせて続けた。

「とうとうテッド様にも家族よりも先にこの日にお会いしたい方ができましたか。それは良うございました。」

「いやいや。」

「おや、違いましたか?私はてっきり。いいんですよ。来年もし家族になられていたらご一緒にいらしてください。」

「だから、そういうことでは。」

 杏奈をセオドアが抱えてきた様子と、これまでの二人の様子も鑑みてセオドアの気持ちの在り処が分かってしまった執事は楽しげにセオドアをからかうと困った顔の青年を残して仕事に戻っていった。

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