星祭り その4
アンドリューはしばらく教会で会ってきた少年少女の話をしていたが、日が落ちる頃には家に戻らねばならないと立ち上がった。再び裏口から出ていってもらうために執事が裏口までの道のりに客がいないか確認に去る。
案内を待っている間、家族が待っているといった彼の言葉に杏奈は自然と妻や子供が待っているのだろうと想像した。彼の子供ならまだ小さいだろう。そこまで考えて杏奈は前掛けのポケットに入れておいた来客の子供用に用意した焼き菓子の包みを取り出した。
「これ、あの、この手紙のお礼には全然足りないんですけど良かったらご家族とどうぞ。幸せが訪れますように。」
彼の大きな手に乗せると、アンドリューは白い歯を見せて微笑んだ。
「ありがとう。もう十分幸せを分けてもらったけれど君からの贈り物ならずいぶんと御利益がありそうだから祖父にも振舞うとしよう。」
「おじいさん、ですか?」
「ああ。」
杏奈のきょとんとした表情を見て、何を驚いているのだろうとアンドリューは何かおかしなことをいったかと考える。アンドリューの祖父はもう引退しているが前代の騎士団長を務めた人物で二人が同居していることは非常に有名なことだ。そしてアンドリューの両親が基本的に地方の領地に滞在していることも、彼が独身だということも、わざわざ説明するまでもなく王都に暮らす人なら大抵知っている。アンドリューはそれを杏奈は知らないかもしれないのだと思い当った。
「うちは祖父と末の弟と俺の三人暮しなんだ。両親と真ん中の弟も今日は戻ってきているから夕飯には戻らないと。」
「あの、小さいお子さんとかは?」
「まだ誰も結婚していないし、末の弟も君より年上だから小さい子はいないなあ。」
杏奈は「あちゃ」と小さく呟いて、今はアンドリューの手の中にある焼き菓子を見つめた。子供用に用意したものなので大人ばかりの家庭に持って帰ってもらうには、なんというか可愛すぎる。御世辞にも似合っているとは言えない黄色いと桃色のリボンが彼の手の端で揺れているが、まさか間違いだったから返せとも言えない。それが何か、というようなアンドリューの視線を曖昧に笑って誤魔化した。
やがて執事が戻って来てアンドリューは帰って行った。
「隊長さん、あんな子供向けのお菓子で失礼にならなかったでしょうか。」
見送りの後で杏奈がアルフレドに問うと、アルフレドは「文句は言わせん。」と鼻息荒く言った後で片目をつぶって見せた。
「大丈夫だよ、嬉しそうにしていたじゃないか。」
「だったら良いのですけど。私、てっきり師団長さんにはお子さんがいらっしゃるだろうと思っていて。」
杏奈がそう言うのを聞くとアルフレドは小さくふき出した。
「まあ、普通あのくらいの年で、あれだけの地位なら結婚して子供もいるだろうなあ。あれは仕事の虫でね。どうもあまり色恋には興味が無いようだね。」
興味が無いというか避けているのかもしれないな、とアルフレドは苦笑いを浮かべる。杏奈を持っていかれるのは気にいらないが、アンドリューはアンドリューで彼の大事な後輩である。彼を支えられるような強くて聡明な女性と結ばれてほしいものだと思ってはいる。
「まあ、とてももてるでしょうに。意外です。」
「本当になあ。でも同情は無用だよ、アンナ。今まで結婚しなかったのは彼の意思だからね。いくらでも、それこそ星の数ほど縁談はあったんだ。」
杏奈にもそれは容易に想像がついたので、静かに頷いた。もしかすると、アンドリューは仕事大事という以上に何か結婚したくない理由があるのかもしれないと勝手に想像しながら杏奈はアルフレドと並んで書斎を後にした。
その後、アルフレドがしばらく時間をくれると言うので、杏奈は部屋に戻って最後の一通の手紙を読むことにした。
几帳面につづられた文字を見た途端に夏の日差しが降り注ぐ教会の中庭で何度も何度も眺めた小さな紙切れとウィルの笑顔を一緒に思い出す。ときどき意地悪を言ったり、杏奈をからかったりしたけれど優しかったウィル。手紙の中でも彼は変わらず、明るく、陽気で、優しかった。辞書を引く回数は思ったよりも少なくて済んだ。きっとウィルが分かりやすい文章を心がけてくれたのだろう。近況をつづった一枚目を読み終えて、次の一枚を取り上げる。
読みながら、耳が熱くなった。
二枚目は恋文になっていた。
「俺はアンナを忘れないし、離れても気持ちもやっぱり変わらない。アンナ、待っていて下さい。必ず君に会いに行くから。そのときにもう一度話をしよう。春からの学校は、そのためと思えば早く卒業できてしまう気がします。もう一度君と一緒に過ごせると思ったら、何でも頑張れる。アンナが今の俺に強さを与えてくれる。ありがとう。
アンナのことをいつでも応援しています。
心から愛を込めて。」
(ああ、奥様に朗読してもらわなくて本当に良かった。)
軽く息をついて心を落ち着けてから、何度も読み返した。焚火に照らされて真摯に好きなんだと言ってくれたときと変わらない彼の心に鼓動が高鳴る。難しい表現も遠回しな表現も一つもない。これも杏奈に分かりやすいようにと思ってくれたからだろうか。それとも心のままに書いてくれたのだろうか。今でも彼を弟のように思う気持ちは変わらないはずなのに、好きだと言われるだけでこんなに心がふわふわして、温まる。誰かに思ってもらえると言うことは、これほどに嬉しくて幸せなことなのだと杏奈はウィルのおかげで学ぶことができた。
手紙を畳んでしばらくそのままでいると、浮ついた気持ちは落ち着いて次に彼に会うまでに自分も成長してないといけないと思いが強く残った。もし彼が言葉の通りに会いに来てくれると言うなら、次は自分が未熟だから、と言い訳じみた言葉ではなく、気持ちで向き合って返事ができるように。今、杏奈を支えてくれる人は沢山いる。でも背中を一番強く押すのは、ウィルとの約束なのかもしれない。杏奈は廊下にでて西向きの窓の前に立つと頭を垂れた。
(ありがとう、みんな。ありがとう、ウィル。)
空からは夕暮れの名残りも消えかかり星が輝き出していた。