星祭り その3
アンドリューは二人の様子を黙って見守っていた。
(これはアルフレドが溺愛するわけだ。あまりに真っ直ぐで危なっかしい。)
真面目で、真っ直ぐ。それでいて心の糸を張りつめたようなような心許ない緊張感。これが自分の子供であれば可愛くて心配でしょうがないだろう。杏奈がアルフレドに向けた笑顔を見ながら、自分のもう一つの役割を思い出して口を開いた。
「アンナ、この手紙の他に子供達の全員から「君に幸せが訪れますように」と伝言も承っている。」
星祭りで贈り合うこの言葉は、自分に与えられた幸せを分かち合おうとするものだ。親や家族、住むところを失った子供たちから屈託なくこの祈りの言葉が出てきたときアンドリューは強く心を打たれた。自分こそ、幸せが欲しいだろうに彼らは迷わずに、遠くで一人頑張っているだろう杏奈に祈りの言葉を贈ってくれた。手紙を送ればきっと喜んでくれるだろうと言えば、我先にと手紙を書いてくれた。手紙とそれを受け取った杏奈の様子に、子供達と杏奈の強い絆を見せつけられる思いがする。「聖女」とアルフレドが言うのも今なら分かる。特別な力があるわけではない。けれどその心根の在り様があまりに清く人を惹きつけるのだ。
「君がここで頑張ることが子供達の良い手本になるだろう。君が前を向いていることで子供達はきっと励まされる。君がしてきたことはきっと間違っていないよ。」
アンドリューがそう言い添えると杏奈はまだ目の端を赤くしたまま微笑んで会釈した。
「ありがとうございます。」
その半泣きの笑顔に、アンドリューは自分も満たされる思いがした。
気持ちの落ち着いてきた杏奈は改めて手紙が自分の元に届いた経緯を考え直した。絶対に無理だと思っていた贈り物も届けてもらえている。何がどうして無理が通ったのだろう。
「師団長さんご自身で教会まで行っていただいたのですよね、片道二日も三日もかかるのに。お仕事、大丈夫だったんですか。ご迷惑をおかけしたのではないですか。」
杏奈は気遣わしげに問いかけた。ミーナのために行ったのだと言っていたので自分のために申し訳なかった、というのは筋違いになるが、ここにもたらされた手紙をみれば何割かは自分のためでもあったはずだ。アンドリューは気にするなというように手を振った。
「西方は立て直しだなんだといくらでも仕事がある。今回もたまたま近くの町まで行かなければならない用事があったので直接訪ねることができただけさ。だから、あまり重く考えないでほしい。それにアルフレドが随分と融通を利かせてくれたおかげで他の人に迷惑をかけたということもない。」
言葉では軽く言うけれど彼らが言う以上に無理をして都合をつけてくれたことは容易に想像がつく。アルフレドを見ていれば騎士がどれくらい忙しい仕事かは分かる。ましてやアンドリューはその上官で、これまで見聞きしたことから察するにアルフレドと同じかより以上に忙しいはずだ。深い感謝と共にどうしてそこまでしてくれるのかという疑問も湧く。ミーナのためだとしても杏奈のためだとしても、どちらもアンドリューは一度森で助けてもらっただけの縁だ。こちらからみれば大変なことだが、騎士にしてみれば良くあるような出来事ではないのだろうか。杏奈はそれを聞いていいのか、少し迷った。
「どうした?」
一度口を開きかけてまた閉じた様子をみて先を促すようにアンドリューが声をかける。杏奈は思ったままを答えた。
「どうして、ここまでしていただけるのだろうかと不思議に思いました。私も、ミーナも一度助けていただいただけのご縁です。騎士の方はたくさんの人を助けるのに一人ひとり孤児院や引っ越し先を回ってはいられないでしょう?」
なのになぜミーナや杏奈をこれほど気にかけてくれるのか。最もな疑問だが、少しでも女性に好意を示せば自分が特別扱いされていると舞い上がる令嬢に囲まれているアンドリューにとっては純粋に不思議そうな杏奈の問いはかえって新鮮だ。別段、隠し立てするようなことは何もなかったので、言葉にされなかった問いも含めてアンドリューは答えた。
「はっきりとした理由は正直なところ無いんだ。敢えて言うのなら、君のことを少し俺に似ていると周りが言うので気になったというのはあるかな。後先考えずに突っ走ってしまうところとか。つい自分を危険に晒しがちなところが。」
その言葉にアルフレドは重々しく頷いて同意を示した。
「あと、たくさんの人を救うと言ってもらったが、俺自身が直接助けに行くことができる人数は実は知れている。立場も立場だからね。その中でミーナは飛び抜けて小さかった。その上、助けられた後で自分を助けに来てくれた友人が死にかけるなんて。きっと心の傷も深いだろうと気になっていたというのも、彼女のことを気にかけていた理由ではあるかな。」
死にかけた友人とは杏奈のことに他ならない。杏奈はソファの上で少し身を小さくした。
「そうだ、君に会えたら言おうと思っていたことがあったのに前回は言い忘れてしまっていたな。」
アンドリューは杏奈をみて片眉を上げて微笑んで続けた。
「無理はいけないよ。」
アンドリューの言葉を聞いた途端にアルフレドが声を上げて笑いだした。
「その言葉をあなたが言う日が来るとはね。はははは。私も年を取るわけだな。」
アンドリューは今度は眉尻を下げて弱った様子で元上司をみた。ここで笑われては形なしである。杏奈は先日のミラードの言葉を思い出す。確かアンドリューがすぐに無理をすると言っていた。このアルフレドの反応を見るとそれなりに有名な話なのだろう。
「まあ、師団長が言うからこそ含蓄があるかもしれませんね。何度も死線をくぐって、危ない橋を渡ってきた師団長殿の言葉だ。アンナ、よく心に留めておきなさい。」
まだ笑いが引き切らないアルフレドは目じりを拭いながらそう言った。
「こうやって無理ばかりする人間が無事生き残っていられるのは奇跡と、それを少しでも無理ではなくするような日々の努力あってこそだ。普通のことではないんだよ。」
さんざん笑ったわりには褒めるつもりもあったようだ。アルフレドの言葉を複雑そうに聞いてアンドリューは再び口を開く。
「俺は君と同じように危険に身を晒したことが何度もある。望んだものも、望まないものも両方ね。そのとき、俺は未熟ながら剣の扱い方を知っていたし、馬に乗ることもできた。人より速く走れることも分かっていたし、危険のかわし方もいくつも教わっていた。それでも初めて一人で敵と戦ったときも、初めて何かを守って戦わなければならなかったときも怖かったよ。必死に自分は訓練したから大丈夫だと言い聞かせなければ震えて竦んでしまう程に。」
アンドリューは自分の至らない過去を正直に話した。そのまま杏奈を見つめて続ける。
「でも君は初めての土地で、初めてみる森に何の躊躇いもなく飛び込んだ。血のつながりもない幼い子供のために、命を賭けた。その危険を本当の意味では理解していなかったのかもしれないが、命に関わることだと知っていたはずだ。それでも、君は一度も振りかえらなかっただろう?初めて見る恐ろしい容貌の生き物を相手に、初めて見る剣を握って戦った。それは無謀なことで褒められた行為ではないよ。でも、そこにある勇気は本物だ。それに、ミーナから聞いたんだ。君は一度もあの子を置いて逃げようと迷いもせず、彼女を守ったと。そして最後まで彼女を責めることはなかったと。その優しさもまた疑うべくもない本物だ。」
そこで彼は優しい笑顔を浮かべた。
「どちらも得難い資質だ。騎士ならば、なおのこと憧れるものだよ。だから俺は君を尊敬している。そう言おうと思っていたんだ。」
とても冗談を言っている雰囲気ではない。杏奈は黒い瞳を見つめ返したまま何と返事をすればいいのか言葉を探した。褒められて嬉しくない訳がない。まして相手は何千人を率いて命がけの仕事を行う師団長だ。何はともあれすごい人なのだと言うことくらいは杏奈も理解している。しかし言葉を探そうとする杏奈を妨げるようにアンドリューの笑顔から放たれる何かが彼女の頬を勝手に染め上げ、頭をぼうっとさせる。ただ顔立ちが美しいということなら、だいぶ見慣れてきた感があるが、この笑顔で手放しの褒め言葉など反則だ。杏奈はついついずれていってしまう思考を何とか取りまとめて、「恐れ多いことです」と首を横に振ったがアンドリューは「そんなことはない」と引かなかった。そう言われてしまうともう他に返す言葉が見つからなくて杏奈は困ってしまう。
「アンドリュー、アンナの素晴らしさを正しく理解してくれるのは歓迎しますがね、うちの娘を口説こうとするのは止めてくださいよ。」
杏奈への助け舟だったのか、単純に二人のやりとりが見逃せなかったのかアルフレドが横から釘を刺した。
「口説いている訳ではありませんよ。感じたままの事実を言っているだけで。口説くと言うのなら、いっそ騎士にならないかと誘いたいくらいです。」
騎士団には割合としては少ないが女性の騎士もいる。試験に受かりさえすれば出身や身分は問われないので全く無理な誘いではない。しかし、アンドリューとしても騎士への誘いは本気ではなかった。試験には剣技、乗馬、学識があるが、どれもそれなりの時間の準備が必要だ。読み書きに不安があるようではまず受からない。
「心根は向いているだろうが、騎士は難しいでしょう。」
アルフレドは即座に切り返す。
「それは認めます。アンナの良いところの活かせる場所が見つかると良いですね。このまま、行儀見習いから女中として働くことも悪くは無いですが、俺としては少しもったいない気がします。」
アンドリューの言葉に杏奈は改めて自分のことを考える。いつも今のことで手いっぱいだが、先を見越して努力しなければ、いつまで経ってもその日暮らしのままだ。この国で自分が何ができるのか、考えなければ。いつかウィルが本当に会いに来てくれるのならば、それまでに生きていく術を身につけていたい。そしてもう一度彼に向かいあって話ができたらいいと思う。杏奈は一つだけまだ開いていない手紙を手で包むようにした。手の中でそっと差出人の名前だけ確認してその手紙を閉じる。この中には皆で読まない方がいい内容が書いてあるような気がする。
「読まなくていいのか?」
その様子を見ていたアンドリューの問いかけに、杏奈は微笑んで頷いた。
「私、きっとこの手紙は辞書がないと読めないと思うんです。でも、一番に読みたいから後で部屋に戻って読みます。読んでいただくと、どうしても二番になっちゃいますから。」
「そうか。」
大事そうに最後の手紙の表面を撫でた様子に、問題は辞書がいるかどうかではないような気がすると思いながらもアンドリューはそれ以上聞かなかった。この手紙を預かってきたのは他でもないアンドリュー本人だ。最後の一通を書いたのは誰かも分かっている。一番年長のちょうど青年と少年の中間にいるような彼。杏奈からの贈り物を受け取った時の様子から彼の杏奈に対する並々ならぬ好意を感じた。杏奈と二人で子供達を支えてきたと他の子供や司祭から聞いている。二人の間に特別な何かがあっても不思議はない。年齢的にも似合いだろう。そう思いながら彼女の手の中の手紙を気にする自分を意外に思う。
(これではまるで横恋慕しているようだな。)
久しく恋から遠ざかっているアンドリューはそんな自分を他人事のように心の中で笑った。彼女に対して感じる思いは今先ほど口に出して本人に伝えた通りのつもりだが、彼女へ向かう柔らかな愛情は友愛か恋情か。アンドリュー自身掴みかねた。しかし、彼はそれ以上自分の気持ちを深追いせずに視線を杏奈の手に包まれた手紙から引きはがした。彼女を愛しいと思うのなら、その思いと同じだけ強く彼女の幸せを願う。彼にはそれを助けられる職にあり、世の多くの人よりも強い力をもってそれを実現できる。それだけで十分だ。彼女の手を取るのはその手紙の送り主か、あるいはこれから彼女が出会う誰かに任せよう。いつもそうするように、アンドリューは気持ちの上で杏奈から一歩距離をとって穏やかな表情を浮かべた。