星祭り その2
杏奈は訪れる親戚に紹介してもらったり、空いた食器を片づけたりしているところでアデリーンに呼び出された。杏奈に客が来ているのでついて来てほしいと連れて行かれた先はアルフレドの書斎だ。アデリーンが扉を開くと、中にはアルフレド、そしていつの間にやってきたのかアンドリューが座っていた。杏奈は昨日、騎士団の訓練を邪魔してしまったことで怒られでもするのだろうかと一気に緊張して書斎に数歩入ったところで足を止めた。目の前で客人たるアンドリューに挨拶するアデリーンを見て、慌てて自分も習ったばかりの淑女作法で頭を下げた。顔を上げればアンドリューもアルフレドも微笑んでおり、怒られる予兆は無い。困惑気味の杏奈は勧められるままアデリーンと並んでアンドリューの向かいに腰を下ろした。
ちらりと目配せをしあったアルフレドとアンドリューだが、先にアンドリューが口を開いた。
「先日、俺の友人に星祭りにどんな贈り物が欲しいかと聞いたら、アンナ、君のところに行きたいと言われてね。残念ながら実際にそれを叶えることはできなかったのだけれども、せめて手紙だけでも届けたいということで、彼女からの星祭りのお祝いを預かってきた。手紙が彼女から君への贈り物。それを受け取ってもらえたら、届けたことが俺からの彼女への贈り物になるんだ。」
アンドリューはそう言って机の上に出されていた少しよれてしまっている大きな封筒を杏奈の方へ差し出した。杏奈は分からないこともあるなりに封筒の中身の想像がついた。アンドリューの友人で自分に会いたがってくれる人物。ミーナは文字が書けただろうか。杏奈が封筒を手に取るとアルフレドが話の続きを引き取った。
「私からアンナへの星祭りのお祝いも、その中に入っている。実は君が用意していた君の小さな家族達への贈り物をアンドリューの手を借りて彼らに届けさせてもらったんだ。その帰りにアンドリューの友人だけでなく、皆のね、手紙を受け取って来てもらったんだよ。今日という日に、君に届けるのにこれ以上の贈り物を思いつかなくて他力本願で申し訳ない。しかもどうしても都合がつかなくて途中からアンドリューの手まで借りたのは非常に不本意だが、とにかく、君に喜んでもらえれば言うことはないと思ってね。」
杏奈は星祭りの数日前に、届けられなくてもいいからどうしても用意したい、と避難所で共に過ごした子供達のために改めて家でお菓子を用意していた。拙い文字であて名を書き、一つ一つ丁寧に包んでいたことをアルフレドはアデリーンから聞いた。そして、それをどうしても届けてやりたいと何とか往復四日分の時間を確保しようとしていたのである。それがアンドリューがミーナを訪問するために空けようとしていた日程とちょうど重複して二人がお互いに同じ場所を訪ねようと気がついたわけである。
馬で二日かかる距離は杏奈がおいそれと訪ねられる距離ではなく、誰かに気軽にお願いできる距離でもない。だから杏奈は何も言わずに贈り物をとっておき、今日が終ったら神様に捧げてしまおうと思っていたのだ。アデリーンが間違って他の子供に配ってしまわないようにと預かってくれたのだが、まさか西の町の教会まで届けてくれていたとは露ほども知らなかった。杏奈は信じられない思いでアルフレドとアデリーンを交互に見つめた。
「ほら、お手紙。見てみてくれる?師団長、杏奈のプレゼントが届いた後に書いてもらえたものなのかしら?」
アデリーンはそう促しながら、アンドリューに確認した。
「ええ、もちろん。」
そんな大人達の会話を聞きながら、杏奈は封筒を引き寄せるとアルフレドの差し出してくれたペーパーナイフを使って慣れない手つきで封を切った。中にはたくさんの紙が折りたたまれて入っている。一つ一つ取り出して開いて行くと、思った通り教会の孤児院で別れた子供たちからの便りであった。
紙いっぱいに絵を書いてあるのはネルだろうか。文字かどうか判別できるぎりぎりの線で彼の名前らしきものが書かれている。杏奈は必死に手紙を読んだ。小さな子供の短い文章は読めても、ある程度大きな子供たちの文章には時間がかかる。エマからの綺麗な文字でつづられた手紙は特別に長いわけではなかったが、やはりとても時間がかかった。
「アンナ
元気ですか。お菓子ありがとう。アンナが作ったと聞きました。すごいね。お祭りの日までとっておいて皆で一緒に食べます。
こちらは皆元気です。司祭様は優しくて立派な方です。食事もおいしいし、お勉強もさせてくれるし、周りの子供もみな優しいです。たまに喧嘩をしている子もいるけど、ちゃんと仲直りしているみたいだからたぶん平気。心配しないでいいよ。歌は今も毎晩歌います。こっちの子供もみんな覚えてしまいました。司祭様が楽譜に残すとおっしゃってくれています。ミーナも最近やっと一人で眠れるようになりました。アンナは大丈夫ですか。誰か、傍にいてくれますか。一人ぼっちだったアンナがまた一人になってしまうことがとても心配です。隊長さんの家では優しくしてもらえていますか。お仕事は大変ではないですか。アンナなら大丈夫だと思うけど、頑張りすぎないで。
ウィルは暖かくなったら学校にいくことになりました。少し寂しいけど、ウィルが先生になって帰って来てくれたら嬉しいので、みんなで応援しようねと言っています。アンナも頑張れって言ってあげてください。ウィルはアンナが大好きだから、応援してもらえたらきっと本当に頑張れると思う。できれば、ウィルが出て行ってしまう前に会いに来てあげてください。私も会いたいです。
体に気をつけて。
アンナにたくさんの幸福が訪れますように。」
エマの手紙の次にもう一通長い手紙があったけれど、杏奈はエマの手紙までで限界になって天井を仰いで涙を一生懸命に堪えた。
杏奈が読み終わった手紙を開いたまま机の上に置いていくので、大きな文字で書かれた子供たちの手紙の内容は部屋にいる誰にでも読めてしまった。
「アーニャ」
「だいすき」
「げんき?ぼくはげんきだよ」
「ありがとう。」
「司祭様に褒められたよ」
「ウィルに怒られた」
「新しいお友達ができたよ」
「あいたい」
断片的な内容からも子供たちが元気そうな様子や杏奈を慕う思いは伝わってくる。三人は静かに杏奈の気持ちが落ちつくのを待った。途中様子を見に来た執事は静かに立ち去り、新しいハンカチと冷たい飲み物を用意して戻ってきた。
杏奈は執事からそっと差し出されたハンカチを受け取って目尻に浮かんでいた涙をぬぐった。
「ケイヴさん、ありがとうございます。」
「少し落ち着いた?ケイヴが飲み物を持ってきてくれたわ。少し飲むといいわよ。」
アデリーンに声をかけられて、杏奈は頷いた。庭の香草と果実の汁を足した冷たい水は喉を潤し、心と頭も落ち着けてくれる。
「あの、ここまでは、自分でちゃんと読めたと思うんですけど。この子の手紙、読んでみていただけますか。私、間違えているかもしれないから。」
杏奈はエマの手紙を差し出して、アデリーンに朗読してもらった。内容は杏奈の思った通りで間違いないことがわかったが、改めて胸がいっぱいになって杏奈はアデリーンにお礼を言うまでに何度も深呼吸しなければならなかった。もちろん皆と別れて一人になって寂しかった。思い出せば寂しいから楽しいこと以外思い出さないように、深く考えないようにしていたところがある。しかし、こうやって皆から目に見える形で純粋な好意を示されて、必死に閉じていた心の蓋が開いて杏奈は自分の芯のようなものがぐらぐらと揺れるのを感じた。
「まだ、それほど経っていないのに、とても懐かしいね。元気そうで良かった。」
アルフレドは微笑んで口ひげを撫でた。杏奈は懐かしさと同時に後ろめたいような気持ちを感じて子供たちからの手紙の上に視線を彷徨わせた。忘れようとしたわけじゃない。ただ、ここでの生活が落ち着いて、自分がしっかりするまではなるべく思い出さないでおこうと思っていただけ。そうしなければ寂しくなるし、子供達がどうしているか心配で仕方なくなるから。けれどそれが子供達の好意を裏切ることになっていたのではないかと、不意に不安になったのだ。星祭りと聞いて贈り物を作ったけれど、どうせ届けられないと、それ以上のことをしなかった。手紙をどうすれば届けれられるのかくらい聞いておけばたどたどしくても手紙を送れたかもしれないのに。
すぐに満面の笑みを浮かべてくれるかと期待していたアルフレドは少し困ったように子供達の手紙をみつめる杏奈の様子に何か気がかりがあるようだと察した。
「アンナ?」
アルフレドの呼びかけに、杏奈は笑顔を浮かべようとして失敗した。涙を堪えるように眉を寄せて目を閉じる。
「どうしたんだい?」
優しく問いかけられ、杏奈は自分の心の中を整理しながらゆっくりと答える。
「とても、嬉しいです。皆が元気にしていることが分かってほっとしました。」
「そうだね。でも、どうしてそんなに浮かない顔をしているのかな。」
きっと忙しい中で無理をして届けてくれた贈り物と手紙。アルフレドもアンドリューも喜んでほしかったはずなのに、素直に喜べない自分を前にがっかりした顔をすることもなく、心配そうに見守っていてくれる。杏奈はもう誰も彼もに申し訳ない気持ちになった。
(ただ、私が情けないだけなのに。)
「ごめんなさい。」
杏奈は震える声で謝った。贈り物をして謝られるとは思っていなかったアルフレドは、これは選択を誤っただろうかと内心慌てた。手紙を読んでいる時の嬉しそうな表情は芝居ではあるまい。ではなぜ、彼女は途中から悲しげな表情になり、しまいには自分達に謝ったのだろうか。
「アンナ、顔を上げて。どうして謝るんだね?」
表面上、アルフレドは動揺など全く感じさせずに変わらぬ優しい笑顔で問いかけた。
「とても、嬉しいんです。みんなが元気にしていて、本当に。手紙をもらえたことも、贈り物を届けてもらえたことも。本当に感謝しています。お二人ともとてもお忙しいのに。」
杏奈は答えになっていないことを答えた。それからさらに続ける。
「私、思い出すと寂しくなるからって言い訳して、この子達のことなるべく考えないようにしていたんです。みんな、こんなに思ってくれているのに。そう思ったら、自分が情けなくて。」
杏奈の言葉にアルフレドはようやく納得する。杏奈が子供達を懐かしがって落ち込んでいるという様子を見たことが無い。彼女にとっては大事な家族だろうに、それまでの彼女と子供達の関係から言って、気にならなかったはずはない。必死に前に進むために、子供達のことを今は考えまいと心に蓋をしたのだろう。それは家を巣立ったばかりの若者なら誰でもするようなことなのに。あるいは、アルフレド達が自分達を家族と思ってほしいといったから、気を使って言い出せなかったのかもしれない。どちらにしても彼女が自分を責めるようなことではないのに、情けないと泣きださんばかりに思い詰めている。
(ああ、なんて真面目で不器用な。)
その不器用さすら愛おしく思いながらアルフレドは、改めて杏奈を呼んだ。
「アンナ。ここで君が子供達を思って落ち込んでも、寂しがっても誰も君を責めたりしない。それは普通のことだよ。だから存分に思い出して泣きたくなったら泣いたらいい。そうやって寂しいときに君を一人にしないために私達がいるのだから何も遠慮しなくていいんだ。それにね、離れた家族のことを懐かしく思うことは誰にだってあることだよ。君が思い出さないようにしていたのは、ここで頑張るためだろう?それを責める人なんているものか。」
杏奈は救われる思いでアルフレドの言葉を聞いた。そして、彼の言葉に励まされ、杏奈はようやくアルフレドが期待した通りの笑顔を浮かべた。