おつかい その2
アルフレドはオズワルドに向き直りながら心の中で首をかしげる。
(なんでこいつは、セオドアばっかり意識するかねえ。同期だったか?)
アルフレドが不思議に思う程、昔からオズワルドは何かとセオドアに張りあっていた。どうしても張り合わなければならないくらいセオドアは飛びぬけて優秀という訳ではないし、過去の軋轢もアルフレドの知る限りない。しかしオズワルドにつっかかられてセオドアとオズワルドがこれまで積み重ねた勝負の数は既に30程に及んでおり、勝率は今のところ五分五分だ。種目も多彩で剣術、馬術、馬上槍試合、体術、学識と彼らが切磋琢磨し合うには大変結構なことだ。
そうした過去の経緯もあり、あれよあれよと言う間にオズワルドとセオドアが勝負をするという話になった。これは無責任に野次をとばした外野のせいでもある。
勝負とはいえ、本気で一騎打ちなどすれば大変なことになる。それは上司であるアルフレドが許さない。力比べがしたいならすればいいが、怪我をしないものと限定した。
「そういうことであれば君の得意な分野で構わないよ。疾風のセオドアと言えば、やっぱり馬だろう?」
と言ってセオドアに向かってくいっと指で馬場の一角を示した。彼の口ぶりではセオドアに有利な条件にしてやっているように聞こえるが、オズワルドも馬術の評価は高く、彼にとっても得意な種目である。つまり互いに一番自信のある種目で勝負をすることを提案したわけである。ちなみにオズワルドが始終セオドアを意識するのは、騎士団に入るまで馬術では誰にも劣らないと自負していた彼にとって初めて馬術で敗北を喫した同期がセオドアだったから、というのは意外と知っている人間の少ない事実だ。
セオドアにとっては面倒なこと以外の何ものでもない事態だったのだが、次の一言で事情が変わった。
「勝者は、アンナ嬢と星祭りを過ごすことができるというのはどうだろう。」
半ばそっぽを向いて聞いていたセオドアはその言葉で顔を上げ、まっすぐにオズワルドを見据えた。
「お前が勝負を望むなら相手になろう。ただし、何も賭けない。そもそもアンナは誰の持ち物でもないし、賭けられるようなものではない。人の命の一つ一つを預かる騎士が、人を景品になどと良く言えたものだ。」
いつもと変わらず淡々とした口調だが視線は鋭い。これまでの勝負でもセオドアが明らかに嫌々応えていることはあったが、これほど厳しいことを言ったことは無い。しかし、今回オズワルドは勝手に杏奈を賭けの対象にした。それはセオドアにしてみれば許し難いことであった。
「景品とは言ってないだろう。」
普段怒らない人物が怒ると怖い。オズワルドはセオドアの静かな怒気に当てられて顔色を悪くしながら言い返した。
「だったら何だと言うんだ。そもそもお前の磨いている技量は何のためのものだ。賭けごとに勝って一人悦にいるためのものか。」
こうまで言われては引き下がれない。オズワルドは一転して顔を赤くすると「勝負、受けて立とう。」と宣言した。
(おいおい。受けて立つのはセオドアで喧嘩売ったのはお前だよ。)
騎士達の多くはそう思ったが、ここは黙って見守るべしと口をつぐんでいた。
オズワルドが指定したのは障害物のある中距離のコースだった。馬術と一口に言っても、色々ある。戦で敵と戦うのなら愛馬と、まさに人馬一体となって剣を振るえることが肝要だ。一方で、少々荒っぽくても、とにかくどんな馬でも乗りこなせることの方が重要な場合もある。オズワルドは前者に秀でているタイプで、セオドアはどちらかと言えば後者だ。この勝負はオズワルドに有利だと思われた。アルフレドもセオドアを庇い立てするわけではないが、これは彼には分が悪いだろうと思いながら見送った。障害というコース自体が小さな馬で小回りを利かせる訓練に使われるもので、普段伝令として長い距離を駆け抜けられることを重視して体力のある大きな馬に乗っているセオドアには不利なコースなのだ。
騎士達が見守る中、二組は同時に走り出した。
最初はほぼ横一線だが障害を越えるたびに少しずつオズワルドが前に出ていく。
「とんちきな野郎だが、やっぱり腕は確かだよな。」
騎士の一人がぽつりと呟く。セオドアの馬術だって決して粗末なものではない。しかしオズワルドはきめが細かい馬術に定評がある。小柄な体を生かして馬を軽々と跳ばせていく。半馬身程の差をつけたまま、残す障害は三つ並んだ柵だけになった。これこそ上手下手の別れる難易度の高い障害であり、ここまでで優位に立てなかったセオドアに勝機は無いかと思われた。
しかし、最後の柵のかなり手前でセオドアが馬に大きく拍車をかけた。
(そんな速度で飛んだら、着地で二つ目の柵に突っ込む。焦ったか。)
隣を走っていたオズワルドは勝ったと思った。その直後、彼の予想は大きく裏切られる。セオドアを乗せた彼の愛馬は大きく跳躍し、柵を三つ、一度に飛び越えたのだ。そのまま難なく着地し、ゴールを切る。オズワルドは二馬身以上遅れた。
セオドアの馬がぶるると鳴くと、予想外の展開に静まっていた騎士達から一斉に喝采が上がった。
「お前の馬、羽生えているんじゃないのか。」
「信じらんねえ。この巨体があの高さを。」
セオドアはくるりとオズワルドを振り返った。
「競技会ではないのだから、先にゴールした方が勝ちだろう?」
障害は一つずつ乗り越えなければならないという制約は競技会にはあっても、実践の現場にはない。オズワルドは悔しそうにセオドアを見据えたが、返す言葉もない。黙って背を向ける彼をセオドアが「ちょっと待て」と呼びとめた。
「アンナに謝っておいた方がいいんじゃないのか。」
オズワルドはずっと黙って彼らの様子を見ていた杏奈を振り返った。馬を降り、杏奈の前に立って謝罪する。
「失礼な物言いがあったこと、申し訳ない。」
杏奈は、確かに自分が景品扱いされたことを非常に腹立たしく思っていた。だが、セオドアに完膚なきまでに叩きのめされてしまったオズワルドをこれ以上なじる気にもなれなかった。
「一つだけ、お聞きしたいことがあります。」
「何なりとどうぞ。」
「どうして最初に私がどうしたいのか聞いてくれなかったのですか?」
杏奈とお祭りに行くかどうかを賭けて勝負を行いたいと彼は言ったが、最初から杏奈に直接聞いてくれたら良かったのだ。そもそも星祭りは家で盛大に祝う予定になっていて、どこにも行く気はないと即答できたのに。杏奈の質問にオズワルドはしばし言葉を失った。一瞬セオドアの勝利に沸き立った辺りの騎士達の熱気もあっという間に冷めて、「あーあ。」とでも言いたげな、哀れむような視線をオズワルドに注いでいる。
アデリーンは立ち尽くしたままのオズワルドをみやった。
「アンナの言う通りね。それに、乗馬だなんて。どうして馬を上手に乗りこなせることがアンナに相応しいということになるのか、私には理解できません。皆さん、よろしくて?」
夫人は、びしりと揃った騎士の一人ひとりの顔を見まわし、あたかも永遠の尊い真実を言い聞かせるように言葉を続けた。
「アンナは馬ではないのよ。」
全くだ、失礼しちゃうわ、と言いたげな馬の鼻息だけが、ぶるるるると騎士達の間をすり抜けて行った。