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ローズ兄弟

 二人は休憩を終えると作業の続きを始めた。残りは一番楽しいところ、生地を伸ばして型で抜いて焼くだけだ。広い天板いっぱいに生地を広げて隙から順に星を作っていく。

「星を一個一個作りながらね、これは父さん。父さんの膝が良くなりますように。とか、これは兄さん。兄さんに可愛いお嫁さんが来てくれますように。とか考えるんだ。そうするとどうしてもたくさんできちゃうんだよね。」

 もう30個も星型に生地を切りぬいた辺りでチェットがそう言った。杏奈はまだ10個程度しかできていなかっただが綺麗に抜くことに集中していて、焼きあがったら誰に渡すかなんて考えてもいなかった。チェットの言葉に改めて生地を見下ろして、深く一度息を吐いた。

「そうか。みんなに幸せになってもらうように渡すんですよね。心をこめなくちゃ駄目ですよね。」

 杏奈はそう言って目を閉じて、最初に浮かんだ人から順番に心を込めて型抜きを再開する。


(あー、あの一枚は誰のためなのか聞きたいなあ。)


 ちょっと口元に笑みを浮かべて型抜きをしている杏奈をみて、チェットは誰を思っているのか非常に興味が湧いたが、こういうことを聞くのは無粋だろうと我慢した。自分だって誰の分を一番に準備したか聞かれると少し気恥ずかしい。


 その後二人は言葉少なに作業に没頭し200枚近いクッキーの最後の一枚までオーブンに入れたところで、ようやく息をついた。先に焼いた数十枚はすでに冷却用の台の上でいい香りを放っている。片付けは後回しにして出来上がったクッキーを二人で覗きこんで、初めてにしては上出来の杏奈のクッキーと同じように作ったはずなのに、微妙に見栄えのいいチェットのクッキーを見比べては違いはなんだろうかと話し合い、少し欠けてしまった欠片の味見もしてみた。茶葉を砕いて混ぜた紅茶のクッキー、煮詰めた果実を練り込んだオレンジのクッキーなど数種類を作ったが、いずれもほんのりと甘くて歯触りが良い。

「美味しい。」

 杏奈がふわりと微笑むと、同じように味見をしていたチェットも満足げに頷いた。

「うん、今年も上出来。半分持って帰ってね。アディ叔母さんが待ってると思うから。」

 そうやって二人で並んで話し込んでいるところで台所の戸が開かれた。


「おかえり、兄さん。」

 仕事から戻ってまっすぐ台所にやってきたセオドアに向かってチェットはいつも通りに声をかけた。セオドアは「ああ。」と言いながらまだ火の入っているオーブンと二人の周りに所狭しと並べられているクッキーに目をやった。

「今年はアンナに手伝ってもらったのか。」

 そう言いながら、台所にやってきた最大の目的である茶を用意するためセオドアは戸棚からコップと茶葉を取り出した。

「いえ、私が教えていただいていたんです。」

「そうそう。今日の助手。」

 二人は一斉に返事をしたが、セオドアには両方聞きとれたらしい。「そうか」と言ってそのままお湯を沸かし始めた。慣れた様子なので、彼も普段自分のことは自分で済ませているのだろう。

「兄さん、帰って来て早々悪いけど、お茶を用意するなら僕らと父さんの分もお願い。夕飯まで少しあるし焼き立てを皆で食べようよ。」

「分かった。」

 来客用なのか先ほど使ったものより華奢なカップを追加で取り出すセオドアは、まだ外用の分厚いマントをつけたままだ。杏奈はセオドアのマントがいつかオーブンにくっついて焦げてしまうのではないかと心配で慌てて手伝いを申し出た。

「お茶なら私お手伝いしますから、セオドアさんマントを外して着替えていらしてください。」

 セオドアは杏奈ではなくチェットの方を一瞥して「任せていいか」と目だけで問いかけた。

「やっさしい。アンナはいい奥さんになるね。兄さん、お言葉に甘えてくれば?」

 先ほど自分が用事をいいつけたことなど棚に上げて、チェットがそう言うとセオドアは「すぐ戻る。」と杏奈がはらはらしている横でマントをひらめかせて台所を出ていった。杏奈はそのまま彼が制服も着替えてくるだろうと思っていたのだが、セオドアはマントとブーツと腰から下げていた武器の一式を外しただけでさっさと台所へ戻ってきた。そのまま洗い場で手を洗うと軽く手を振って水を払い、手近に立っていたチェットのエプロンの裾を掴んで手を拭った。

「わあ、ちょっと汚いなあ。」

「今お前の目の前で手を洗ったろうが。」

「もう。アンナの言うとおりちゃんと着替えて、洗面台で手を洗ってくれば良かっただろう?目を離したからって僕はアンナを取って食ったりしないよ。」

 チェットは不服気に兄に苦情を申し立てながらも抵抗せずにエプロンの裾を兄に貸してやった。

「腹が減ってるんだ。」

 セオドアはぷいと顔を背けてそう言うと用済みになったチェットに背を向けて冷ましている最中のクッキーに手を伸ばした。

「あ、待って!」

「待って下さい。」

 チェットと杏奈は同時にセオドアを止めると二人で目を見合わせた。申し合わせた訳ではないが、今彼を止めた理由はなんとなく同じような気がした。

「なんだ?」

 クッキーを掴む直前でピタリと手を止めたセオドアが二人に問いかけると、二人はそれぞれ違う一枚を取り上げて彼に差し出した。

「まずはこれ食べて。これは兄さんのために作ったヤツだから。」

「私も、これはセオドアさんにと思って。」

 大量のクッキーを天板からお皿へと並べ変えつつ二人はどこに誰用のクッキーが移動していくかちゃんと目で追っていた。二人に一つずつ星型のクッキーを差し出されたセオドアは面喰ったように二人を交互にみたが、一生懸命に自分を見つめる二人の様子に眉尻を下げて「分かった。」と微笑んだ。そのまま受け取った二枚を重ねて一気に口に入れて食べてしまう。

「うまい。」

 指に残った粉を舐めとりながら彼がそう言うと、チェットはアンナの手をとってパチンと手と手を合わせた。

「ありがとな。」

 星型のお菓子を贈ることの意味を当然セオドアは知っている。褒められて嬉しそうな二人の頭に片手ずつぽんと手をのせた。そして二人を見ながらセオドアは「お前ら、なんか似ているな。」と呟いた。

「兄さん、それは杏奈に失礼でしょ。」

「いや、でもどことなく。」

「何?じゃあ、兄さんには僕も妖精みたいに見えるわけ?」

「それはない。」

「そうだろうね。そうであって欲しいよ。」


 そのまま兄弟が下らないやりとりを続けていると今度は廊下から元気の良い女の子の声がした。

「んー、良い匂い。チェット、もうクッキー焼いちゃったの?」

 その声が聞こえるや否や、チェットは「まずい」と呟くとそれまで話していた兄を放り出して「兄さん、後よろしく!父さんには声かけとくから。」と、さっさと台所を出て行ってしまった。廊下からその女の子とチェットの話声がして、かなり強引にチェットがやってきた女の子をどこかへ連れて行く気配が感じられた。

 残されたセオドアはため息交じりにお茶の支度に取り掛かった。杏奈が状況が理解できずにセオドアを振り返ると、その視線に気がついてセオドアが顔を上げる。

「気にするな。」

「え。」


(いや、気になるでしょう。気になります。気にならない訳が無いですって、セオドアさん!)


 杏奈は胸のうちで全力でセオドアに言い返しながらもそれでも、他人の家の事情をあまり聞くのは良くないかと口ごもった。しかし、考えていることは顔に思いっきり出ていたようで、セオドアが補足してくれた。

「今来たのは俺達の幼馴染で家のことを手伝ってもらっている、というよりチェスターの恋人みたいなものだ。お前と鉢合わせて焼きもちでも焼かれると思ったんだろ。」

「チェットさんの恋人さん、ですか。」

 へええ、と杏奈はなんとなく興味が湧いてそわそわと扉の方に注意を向ける。

「の、ようなもの。だ。どういう関係か知らないが、とにかく二人の関係を他の人間に知られてないと思っているらしい。」

 セオドアはお茶に注ぐ湯の目分量を誤ったことに気がついて、ちょっと眉を寄せる。

「まあ、そういうわけだから、お前も気づいていない振りをしておいてやってくれ。」

 もうだいぶ長いこと知らない振りを貫いているセオドアはいい加減二人には分かりやすくくっついてほしいと思っているのだが、二人の関係はどうもはっきりしない。

「そうですか。難しいんですね。ちょっと意外かも。」

「意外か?」

「はい、チェットさんってなんか好きになったら好きってはっきり仰いそうだから。」

あけっぴろげな印象があるチェットは好きなら好き、だめならだめとはっきりしていそうだと杏奈は思う。しかし、人間そう単純なものでもないようだ。

「まあ、そう見えるかもな。」

セオドアは頷く。

「でも、あいつは欲しい物ほど慎重に捕りに行くところがあるからな。あれはその最たるもんだろう。」

「そうなんですか。」

大きな犬のような可愛らしさを前面に押し出しておいて、意外と強かな弟のことを兄は良く分かっている。杏奈は「へええ。」と見えもしないのにチェットが去っていった扉の方をみやった。


「ほら、焼けたぞ。これで最後か。」

お茶を蒸らしている隙に、セオドアはさっさとオーブンから最後のクッキーを取り出して皿へ移して行く。その手なれた様子に杏奈はこれはこれで意外だと思う。セオドアの武骨な印象はお菓子作りにはさっぱり結びつかない。チェットといい、セオドアといい大きな男の人が小さなクッキーを並べている様子はなんだか可愛いものだなと杏奈は思う。暖かい雰囲気の台所に仲の良い兄弟がいる様子もとても微笑ましかったと思い出し笑いをしながら杏奈はセオドアを手伝った。

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