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チェスター

 チェットとセオドアは年も近く、ずっと一緒に育ってきたというのに性格がまるで違う。外見はどちらも父親似だが、内面的にはセオドアが父親似、チェットが母親似であることは親戚の誰もが認めるところだ。寡黙で穏やかな父と兄に対して、チェットは陽気で快活だ。元々、そういう気質だったが、母を早くに亡くして以来、その傾向が強くなった。まるで母のいなくなった穴を埋めるようによく喋り、よく笑う。当時は無理しているのではないかと父と兄は心配したが、結局すっかり板についてしまった。今では口数が少なく世間に誤解されがちな兄と父をチェットの方が心配しているほどだ。特にセオドアは口数の問題だけでなく、現場の仕事以外の何事にも固執しないおかげで、なかなかまっとうな恋もできていないように見える。出会いの好機と言える今日のような場面でも兄は壁際で顔見知りとゆっくり酒を楽しむばかりだ。かと思うと、先ほど玄関で出迎えてくれた杏奈にしたように「妖精のように可愛らしい」などと普通の男は恥ずかしくて口に出せないような気障な台詞を何気なく言うことがある。普段寡黙な男がそんなことを急に言えば女性がときめいてしまうのは無理もないことだ。ところが、本人には口説こうという意思もないのだから、その気になった女性に後から馬鹿にしているのかと怒鳴りこまれるのも道理である。別に際立った美形ではないかもしれないが見れないような顔ではないし、誠実で優しいのだから、もう少し良い目を見る機会があっても良いのではないかと思う。


 同じ騎士団の所属でも王都警邏の任についているチェットにとって、パーティーは西方からの帰還組との再会の場である。会場のあちこちで久々の顔をみつけては無事の帰りを祝い、この一年での王都の噂話などでしばし話し込む。誰が酒場で大暴れしただの、誰の片恋がついに実っただの、罪のない噂話を仕入れるには王都中を巡回する王都警邏は良い仕事だ。相手も分かっていて話上手のチェットが通りかかると、一つ二つ面白い話をしてくれと呼びとめる。そこまではいつもと変わらなかったのだが、今回はチェットがやってくると声を潜めるようにしてセオドアと杏奈の関係を問うてくる者が随分と多かった。期待している面々には申し訳ないが、セオドアは家で自身の恋について語るような人間ではないのでチェットとしては何も知らない。彼が兄と杏奈の様子を見たのは今日の出迎えの挨拶の時だけだ。その時の様子だけでは何とも判断がつかない。チェットは余計な憶測を挟むことなく「僕は何も知りません」と答えるだけに留めた。

「チェスター。頼むからあいつに余計なことを言わないでおいてくれよ。今あいつに本気を出されたらあっという間に勝負がついてしまう。」

 騎士達はセオドアと杏奈が互いに持っている好感は、まだ恋愛という段階に達していないと推測していた。誰かが、当人たちにそこに気がつかせるようなことを言ってしまい、とんとん拍子に二人の関係が進んでしまうことが今一番避けたいことだ。そういう意味では何かと気のきく兄思いのセオドアの弟、チェットが一番の要注意人物なのである。

 チェットは諸先輩から口々に二人を黙って見守れ、決して恋を後押しするなと釘を刺されて曖昧に回答を避ける。


(アンナ、すごい人気なんだなあ。これだけ警戒されるってことは、兄さんと仲がいいってことか。)


 彼は感心しながら目で噂の杏奈を探すと、ちょうど彼女はセオドアに話しかけているところだった。うっすらと笑顔を浮かべている兄の様子を見てチェットは少なくとも兄は杏奈に好印象を抱いているようだと感じる。


(珍しい。ついに春到来かな。)


 そのまま二人の様子を見ていたチェットは、素早くアルフレドが杏奈を連れ去るのを目撃して、これは思った以上に前途多難だなと心の中で兄を励ました。そのまま、また友人と話し始めてしまった兄に見切りをつけてチェットはアルフレドに連れ去られた杏奈の方を目で追った。アルフレドともども、あっという間に騎士達の輪に吸収されている。叔父には悪いが、叔父一人ではあれほどの人数に取り囲まれることは無いので、これは完全に杏奈目当てとみて間違いない。ライバル達を蹴落として杏奈と話すためには、何か策が必要そうだ。チェットはぐるりと会場を見まわして、ちょうどいいものを発見した。

 母親っ子だったチェットが母から快活な性格の他に受け継いだものが料理である。今日のパーティーに持参したミンスミートのパイも彼のお手製だ。チェットの差し入れは実家の味が楽しめるとアデリーンのお気に入りなので、アルフレドの家に来るときは大抵何か持ってくる。会場の食事に混じって並べられているパイを一つ皿に取ると、ついでにあれこれと盛り合わせてからチェットは段々と育っていっている人の輪に近づいて行った。


「アンナ。ちゃんと食べてるかい?」

 するりと人垣をすり抜けて声をかけると、杏奈はちゃんとチェットの顔を覚えていてにこりと笑いかけてくれた。

「チェットさん。ええと、食事は、先ほど少し。」

 杏奈は人と話す方に手いっぱいで、ほぼ食事には手をつけられていなかった。正直な彼女の困ったような表情に、チェットは彼女を取り囲む先輩騎士達を呆れた表情で軽く見まわした。これはお腹が空いていても、離してもらえなかったに違いない。しかし、それはある意味チェットの狙い通りで有難いことではあったが。彼は色とりどりに一口ずつ料理を盛った皿を杏奈の目の前に差し出した。

「お腹が空いたんじゃない?少しは食べなきゃ。君のところのコックは本当に腕がいいのにもったいない。」

 料理をを目にした杏奈の目が輝いた。

「わあ、綺麗ですね。美味しそう。」

「うん、美味しいよ。それから、これも食べてみて。僕が焼いてきたんだ。皆さん、ちょっと失礼。うちの従姉妹に食事をさせてあげたいので少しお借りしますね。皆さんも、本当に美味しいから少し食事を楽しまれたらいかがですか?」


 歯噛みしている先輩をしり目にチェットは杏奈をいくつか配置されているテーブルへ誘導して二人で改めてグラスを掲げあって乾杯した。杏奈の分は、先ほど軍医が勧めてくれたのと同じものだ。

「美味しいです。お料理上手なんですね。」

 杏奈は興味津津にパイの断面を覗きこんで中身を確認しながら感心している。

「ありがとう。趣味なんだ。あまり騎士らしい趣味ではないけどね。」

 チェットは自分が持ってきた飲み物と食べ物に嬉々として手を伸ばす杏奈をみて、先ほどからアルフレドやアデリーンのみならず、食事や飲み物を給仕している女中達までもが杏奈の様子をそれとなく窺っている気持ちを理解した。あまりに無防備だ。これはアルフレドの個人的な知り合いばかりを招いた会なので、無茶をするような愚か者は混ざっていないが、大きな夜会ともなればあの手この手で目当ての女性に酒を飲ませる者がでるのは常識だ。チェットは心配そうにしている顔見知りの女中に目顔で大丈夫だ、と合図をして杏奈に意識を戻した。見た目や周りの反応を抜きにして彼女の言動だけをみれば、この子はまだ色気より食い気なのかもしれないと思う。色恋の手管に長けた年上の女性というのも、それはそれで魅力的だが、こういう素朴な感じも好ましい。長く連れ添うなら後者だな、と思いながら彼女がチェットの持ってきた料理の半分ほどを平らげるのを眺めていた。


「アンナは料理は好き?」

 にっこりと笑いかけるチェットは大型犬のようでなんだか可愛い。杏奈は初対面なのになんだか心の休まる人だな、と思いながら躊躇いがちに返事をした。

「好きだと思います。こちらに来てからお昼に少しだけコックさんにお料理を教わっているんですけど、とても楽しいです。」

「へえ。例えばどんなものを作るの?」

 そう聞かれて、杏奈はちょっと恥ずかしそうに視線を落とした。見た目も味も申し分ないチェットのパイに比べると、今の杏奈に作れるものはとても僅かだ。

「いえ、料理らしい料理にはまだなっていなくて。卵を焼いたり、野菜を刻むのを手伝わせていただいているだけなんです。」

 包丁を握れば、体が自然に動くように野菜の皮をむいたり、刻んだりは問題なくできる。しかし、調理や味付けになると途端にダメなのだ。全く手順が思い出せないので、一つ一つ教わって覚えなければいけない。今、杏奈が完成品として作ることができるのは卵を焼いたものと茹でた芋くらいのものだった。

 恥ずかしそうに俯く杏奈をみて、チェットは笑った。

「いい先生についているんだから、すぐに上手になるさ。何より好きだってことが一番大事さ。それから食べることも好きだといいね。食べるのは好き?」

 今度は遠慮なしに「はい」と返事ができた。即答した杏奈にチェットは「それは気が合いそうだ」と頷いた。

「美味しい物をたくさん食べたら、舌が肥えるというからね。舌に勉強させるつもりで色々試すといいよ。もちろん、ここのうちの料理も美味しいけど、王都には色んな地方の料理を出してくれるお店がたくさんあるから、食べたいものがあったら教えて。僕は王都の警邏をしているから、店には詳しいんだ。」

「けいらって何ですか?」

 想定していなかった質問にチェットは驚いた。警邏というのは杏奈くらいの年の頃ならば必ず聞いたことがある言葉だと思っていたのだが、はて、西方の片田舎までいくと使わない言葉なのだろうか。知らないのか、という驚きをひた隠しにして微笑んだままチェットは答えた。

「警邏というのは治安を守るために、あちこち見回って、悪さをしているのがいたら捕まえてちょっとお説教したり、困っている人がいたら助けてあげるようような仕事かな。町を平和にするのが任務なんだよ。」

 あまり噛み砕いても失礼かと思うが、どのくらい分からないのかが分からないので子供にするように説明すると、杏奈は「ああ」と頷いた。どうやらすんなり理解できたようだ。杏奈のいたところでは同じ仕事を違う呼び名で呼んでいたのかもしれない。

「西方の田舎料理を出すお店もあるけど、興味はある?」

 故郷の味が懐かしくなる日もあるだろう。王都で主に食される料理はもともとこの地方で食べられてきた料理を基本としたもので、山がちで寒冷な西方の料理とは少し違う。チェットがそう聞くと、杏奈は「西方の田舎料理っていうと、どんなものなんでしょう?」と聞き返してきた。これには、先ほどの比ではなく驚いたチェットは表情を取り繕いそびれてしまった。アルフレドが西方から連れて帰ってきたと聞いている。当然そちらの出身だと思ったのだが、もしかして違うのだろうか。チェットの戸惑いに気が付いたように杏奈が「あ」と声を上げた。

「ごめんなさい、私、避難所に来る前の記憶がないんです。なので、分からないことがすごくたくさんあって。」

 今度こそ、驚きが大きすぎてチェットは声を上げてしまった。

「ええ?ないって、全く?」

「父と、母の顔はぼんやり思い出せます。あと自分の名前も。年齢はあいまいです。記憶の無い期間がどれくらいなのか分からないので。でも、それ以外はまるでダメみたいで。」

 何でもないことのように杏奈は説明するが、チェットにしてみれば大した事件だ。

「そっか。知らなかった。ごめん、辛いことを聞いちゃったかな。」

 眉尻を下げて謝るチェットはしっぽのうなだれた犬のようで、杏奈は思わず手を伸ばして頭を撫でてしまった。

「大丈夫です。こちらでも、とても良くしてもらってますし。ごめんなさい、驚かせて。」

 久々に女性に頭を撫でられたチェットは杏奈が謝ったのとは全く違う意味で驚いたが、心配そうに自分の様子を見ている杏奈をみて何だかおかしくなってしまった。まるで、これでは自分が小さな子供か何かのようだ。

「あははは。大丈夫だよ。ありがとう。」

 チェットの頭をゆっくりと撫でた続けていた杏奈の手をとって彼女の方に戻してやると、やっと杏奈は自分のしたことに気が付いたようだ。ぽっと頬を染めて改めて「ごめんなさい」と謝る。

「いいって、いいって。それにしても、なるほどね。みんなちょっと過保護過ぎるかと思ってたけど、これは納得だね。」

 チェットは後半を半ば自分に向かって話しかけて、頷いた。

「僕で力になれることがあったら、何でも言ってよ。さっきも言ったけど、王都のことなら詳しいし、たぶん普通の男性に比べたら女の子の好きそうなものにも詳しいと思うよ。」

 素直に礼を述べようとして、最後の一言にひっかかった杏奈がなんと言えばいいのか複雑な表情を浮かべるとチェットは吹きだしながら付け加えた。

「そんな顔して何を想像してんのさ。ちょうどアンナくらいの年の幼馴染の女の子がいるんだけど、そいつが遠慮なく仕事のついでにって色んなものを探させるからさ。だから詳しいだけだよ。悪い想像は止めてよ。」

「わ、悪い想像なんてしてませんよ。」

 慌てて手と首を振って否定する杏奈に、チェットは笑いが止まらなくなってしまった。これは、兄が好きそうなタイプかもしれない。裏表がなくて素直で放っておけない。そこまでまとめてみて、チェットは心の中でひっかかりを覚える。


(それって僕の好きな女の子のタイプでもあるかも。兄さんと同じ傾向ってのは、なんだか嫌だなあ。)


「料理もよければ家で一緒に作ってみる?この家だと道具も何もかも大人数用で大きいだろう?家はもっと何もかも小さいから初心者向けだよ。」

 笑いをおさめてからチェットがした提案は、なかなかに魅力的だった。彼の言う通り、アルフレドの家の台所は一度に十人分の食事を作ることを前提にした鍋や釜が多くて扱いが難しいのだ。杏奈の心が動くのを感じてチェットはもうひと押しした。

「僕の料理は、母から教わったものなんだ。つまりアデリーン叔母さんの実家の味なんだよ。」

 皆まで言わなくても、つまるところアデリーンのお気に入りの味であるということだというのは伝わった。杏奈は「教えてください。」と身を乗り出した。出会ったばかりの自分を本当に娘のように可愛がってくれるアデリーンを喜ばせることができるなら、それは杏奈にとって願ってもないことだ。

 チェットはにっこり笑って「喜んで」と少しおどけて礼をとってみせてくれた。



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