妖精
「旦那様、テッド様とチェット様がいらっしゃいましたよ。」
執事がそう声をかけてきたのを聞いたときに、杏奈はなんだか可愛い名前の二人組みだなと思った。その後に現れた人影を見て、おや、と思う。現れたのがセオドアだったからだ。
「ああ、テッド久しぶりね。長い遠征お疲れ様でした。元気そうで何よりだわ。チェットも、久しぶりね。そのバスケットはなあに?」
「ご無沙汰しています。無事に帰りました。」
「お招きありがとうございます。これはミンスミートのパイ。焼き上がりが思ったより遅くて僕らが出るのも遅れちゃったけど、こっちはまだ温かいよ。」
アデリーンにテッドと呼びかけられて几帳面に挨拶したのがセオドアで、チェットと呼びかけられて大きなバスケットを示しながら愛想良く返事をしたのが、その連れの青年だった。髪の色や顔のつくりが似ているので、きっとセオドアの兄弟なのだろう。
「フレッド叔父さんもお帰りなさい。そこのお姫様が僕らの新しい従姉妹かな?」
チェットはパイが入っているといったバスケットを執事に任せながら、視線を杏奈に向けた。
「従姉妹?」
話についていけない杏奈がアルフレドの方を見ると、アルフレドはさも当然というように「アンナだよ」と彼女を紹介した。
「アンナ。はじめまして。チェスター・ローズです。よろしく。チェットって呼んでね。」
差し出された手を握り返しながら「杏奈です。あのいとこって?」と問いかけるとチェットは「え?」と言ってからセオドアとアルフレドの顔を交互に見た。
「叔父さんも兄さんも説明してないの?」
「フレッド叔父さんがしてるかと思ってた。」
「てっきりお前がしているかと思っていたぞ?」
セオドアとアルフレドは顔を見合わせてから、決まり悪げに眼を逸らした。
「もう。二人ともしょうがないなあ。アンナ、僕はセオドアの弟で、僕らの母がアデリーン叔母さんの姉だったんだ。だから君がフレッド叔父さんの娘になると、僕らとはいとこ同士になる。そういうことだよ。」
杏奈は驚いて改めてアルフレドとセオドアを見比べた。母方の血縁ということはアルフレドとセオドアには全く血のつながりはないことになる。顔を見比べても似ているところは見つからなくて当然なのだが、そのことに気がつくのに少し時間がかかった。
「まあ、呆れた。どうして二人とも説明しなかったのかしらね。それは仕事中は叔父だ甥だと言っていられないでしょうけど。」
アデリーンもまさか杏奈がセオドアが自分の甥であることを知らなかったとは思っていなかったので、呆れ顔で夫と甥を見た。
「まあ、今分かったのだからいいじゃないか。これから仲良くやっていってくれよ。」
アルフレドは話を強引にまとめてみせた。確かにこれ以上二人に文句を言うような話ではないのでアデリーンとチェットは目配せし合って許してやることにする。
「ところで、チェット。いつまでアンナの手を握っているつもりなの?」
挨拶で握手をしてから、ずっとアンナの手を握りっぱなしだったチェットはアデリーンに指摘されて「おっと、忘れてた。ごめんね?」と言いながら彼女の手を解放し、杏奈の正面の位置を兄に譲った。
「元気そうだな。少しは馴染んだか?」
甲冑でも、薄汚れた衣類でもないものを着ているお互いを見るのは初めてだ。杏奈の方は、目の前に立った白いシャツに襟の立った濃紺の上着を羽織っているきりりとした彼の姿になんと声をかけていいのか戸惑っていると言うのにセオドアの方は以前と変わりない様子で声をかけてくる。セオドアにしてみれば弟が話しこんでいる間に十分、驚きを消化する時間があっただけのことなのだが、知り合いの誰もが驚くところを見てきた杏奈には落ち着いている様子に安心する気持ちもあり、褒めてもらえないのかと少し落ち込む気持ちもあった。そんな自分を恥ずかしく思いながら返事をする。
「はい。とても良くしていただいています。仕事や勉強はまだまだなんですけど。」
「そうか。」
つい癖のように彼女の頭を撫でようとして綺麗に結いあげられた髪に触れる前にセオドアは手を止める。自分が乱暴に触れれば崩れてしまうだろう。行き場を失ってしまった手を仕方なしに戻しながら改めて彼女の姿を見やった。
「そうしていると本当に。」
中途半端に言葉を途切れさせたセオドアに杏奈が怪訝そうに彼を見上げて小首をかしげると、セオドアは目を細めた。
「いや、初めてお前を見たときに妖精みたいだと思ったのを思い出した。」
セオドアの隣でチェットが「そんな真顔で妖精って」と、やや呆れたような顔で兄を見上げた。それに気づかずに杏奈は妖精の姿を思い起こす。子供が読んでいた絵本にでてきていた妖精は、一つだけの例外を除いてみなとても可愛らしい絵で描かれていた。
「あの、妖精って。髭の小さいおじいさんのこと・・。」
舞い上がってからでは恥ずかしいので、念のために確認しておこうと杏奈が例外の方を途中まで言いかけるとセオドアの妖精発言以降、二人を息を殺して見守っていたアルフレドとアデリーンが堪らずにふき出した。セオドアも珍しく肩を揺らして笑っている。
「そんなわけないだろう。お前、鏡見たか?」
くっくとまだ収まらない笑いを引きずりながらセオドアが答えると、杏奈は「だって、他に絵本に出てきた妖精達は皆すごく可愛くて。おじいさんも可愛いと言えば可愛かったですけど。」と顔を赤くして口ごもりながら答える。
「最初の方だ。」
セオドアはそういうと、笑いを堪えた分滲んだ涙を拭った。最初の方ということは、あの華奢で可愛いアレのことかと杏奈はますます顔を赤くして、跳ねる心臓を押さえるように胸元に手を置いた。
「あ、ありがとう、ございます。」
お礼を述べるのも精いっぱいになりながらそう言うと、「ちょっと」とチェットが声を上げた。
「兄さん、そういうの急に言い出すの止めてよ。聞いてるこっちが照れるじゃないか。」
杏奈が心の中だけで(そうだ、そうだ。)とチェットに同意していると、アルフレドからも「玄関先で人の娘を口説こうとするなよ。」と苦笑い気味の指導が入った。
「別に。」
口説いているつもりはない。そういうセオドアにかぶせるように執事が次の来客を告げて、話しはうやむやに打ち切りになった。
「じゃあ、アンナ。後でゆっくり話そうね。」
チェットはにこにこと手を振りながら去っていき、彼に片手を強引に引かれながらセオドアも無言で軽く手を上げてパーティー会場の方へ向かっていった。
「アンナ、テッドとは親しいの?」
次の客が自分達の前に来るまでのわずかな時間にアデリーンが小声で聞いてくる。
「テッドってセオドアさんですよね。あのよく面倒を見ていただいたというか。」
「ああ、テッドというのは愛称よ。小さい頃からそう呼んでいるから癖が抜けないのよね。」
アデリーンはそれから杏奈の返事を頭の中で吟味し直して「そう、面倒ねえ。あの子、表情が少ないから分かりにくいけど優しい子だものね。」と微笑んだ。
「これからも仲良くしてあげてね。」
アデリーンの「仲良く」に含ませた意図を察しないまま、杏奈は恐縮して「はい。」と答えた。
久々にセオドアの天然攻撃炸裂。そして杏奈の天然返し。