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ヴァルター家の娘

 翌日は旅の疲れもあるだろうから仕事は無しにして、まずは必要な身の回りのものを揃えようという話になった。

 アデリーンが買い物に出かけると言うと、女中達は口々に杏奈に似合うと思う色や、流行の店を挙げて女主人に託した。アデリーンが杏奈が着く前から用意していたという買い物表に女中達の大量の助言を書きとめ終わる頃に、御者も務められる執事が馬車を回してきて杏奈は初めての買い物に向かった。行き先は下級貴族の女性達がよく利用する比較的手ごろで、かつ落ち着いた店の集まる通りだ。

「きっとこれからよく使うだろうから、いろいろなお店を覗いていきましょう。私も久しぶりのお店に寄りたいわ。」

 多くの店に立ち寄るのは、杏奈を自分の娘のようなものと紹介して回る意図もあるのだが、そこには触れずにアデリーンは微笑んだ。

「さあ、まずは何といってもここね。」

 馬車を降りると、アデリーンが最初に向かった先は靴屋だった。アルフレドの家には杏奈の足に合う靴が無く、今日もこれまで履いていた薄汚れたブーツのままだ。他の店に入る前に水色のワンピースに合わせた靴を買って、それで歩かせてやろうという算段なのだ。

「いらっしゃいませ。ヴァルター夫人。」

 靴屋の店主は顔なじみのアデリーンを迎え入れると、後ろに従っている杏奈にも愛想良く挨拶をした。

「いらっしゃいませ、お嬢様。ヴァルター夫人、今日は可愛らしいご友人をお連れですね。」

「ありがとう。アンナというの。娘のようなものよ。これからお世話になるだろうから、よろしくね。今日はこの子の靴を選びにきたのよ。」

 アデリーンがそう紹介すると店主は少し驚いたようだが「そうでしたか」と頷くと、店の奥から台帳のようなものを取り出してきた。受注生産も多いこの店では客ごとの足の大きさを記録しているのである。杏奈に椅子を勧めて、いざ足の大きさを測ろうと杏奈の足元に視線をやった店主は、おや、と思う。きちんと整えられた身なりに不釣合いな疲れた靴を履いている。

「昨日、主人と一緒に西方から戻ったばかりで、家に足に合う靴が一足も無かったのよ。」

 横からアデリーンがそう言い添えると、店主は納得して「そうですか、足が少し大きくなっただけでも靴と言うのは合わなくなりますからね」と言いながら素早く足の大きさを測っていく。

「この靴でお買い物に行くのもなんだから、すぐに履ける靴が一足欲しいわ。それから家の中で動き回るのにいいような靴も二つ、三つ。よそ行きの靴はドレスが決まったらまたお願いしに来るわね。」

 靴は一足もらえたら十分だと思っていた杏奈はアデリーンの注文に慌てた。一度に靴を三足、四足買うなんて贅沢が過ぎる。

「奥様、そんなにたくさんもったいないです。一つで十分ですから。」

 杏奈がそういうと、アデリーンは腰に両手を当てた。

「駄目よ。お買い物に外に出る用と家の中用には違う靴がいるのは当然です。貴方は我が家のお使いもやってもらうんだからちゃんとした格好をしてなかったらヴァルダー家の恥になるのよ?それに靴には替えを用意して時々休ませてやらないと、結局靴の弱りが早くなってもたないの。かえって早く使えなくなってしまうんだから。」

 アデリーンは恐縮したままの杏奈を見て「それに見てこれ」と買い物表を広げて見せた。「靴」という単語は分かるので靴という見出しの下に小さな文字で何かたくさん書いてあることは分かる。

「ここ、靴の欄。モイラは黒い平たい靴とリボンのついた華奢な靴が良いと言うし、ミランダは茶色い編み上げのブーツが良いというし、それからメグはこの冬流行の羊革のブーツでしょう、マリなんて4つも選んでいるのよ?貴方に一足しか靴を持たせずに帰ったら、みんなに何を言われるか。ね?だから今日はおとなしく着いていらっしゃい。」

 アデリーン得意の言い切りによる説得に負けて杏奈は勧められるままに靴を四足も一気に買ってもらうことになった。

 何にでも合うから便利だろうと靴屋が薦めた茶色い革の紐付きの靴に履き替えて、古いブーツを含めた靴四足を抱えて店を出ると、すぐに執事が荷物を受け取ってくれた。大荷物になるのは最初から分かっている。だからこそ馬車にスペースを空けるために付いてきたがった女中を全員家に残してきたのだ。

「どう?足は痛まない?」

 初めての少し踵の上がった靴で恐る恐る歩く杏奈を気遣いながらもアデリーンは次から次へと店の扉をくぐり、問答無用に杏奈の衣類や身の回りの小物を買い集めた。執事は馬車を少しずつ進めながら粛々と二人の後ろを着いてくる。その馬車の窓から覗く座席にいっぱいに荷物が積み込まれていった。


(きっと今日一日で、この通り中にヴァルター家の美しい娘の噂が広まるだろう)


 多くの騎士の家族や下級貴族が通うこの通りで噂になれば、あっという間に王都に広がる。執事は通り過ぎる人々がアデリーンと杏奈を振り返っていくのを、御者台から眺めながら思ったよりも早くから忙しくなるかも知れないと気を引き締めた。

 結局、最後には執事の脇にまで荷物を積み上げて、ようやく杏奈の買い物は終了した。

「こんなにたくさん、本当に良かったんでしょうか。」

 杏奈が山積みの荷物を見ながら改めてアデリーンに問うと、アデリーンは「まったく」と呆れたように息をついた。

「アンナ、あなた昨日持ってきた自分の荷物なんて替えのワンピースを一枚と下着を少しだけだったじゃない。こう言っては悪いけど、どれももうくたびれているし。普通の人が1年、2年かけて買い揃えるものを一日で揃えようとしたんだもの。多くもなるわ。でも、全て持っていて当たり前のものばかりよ。これから生活していくんですからね。」

 アデリーンはそれから杏奈の背を優しく叩いた。

「あなたのお父さんは、このくらいのことではびくともしないくらい稼いでくれるわ。心配要らないわよ。」


 馬車はゆっくりと通りを進み、帰り道の途中でもう一度だけ店の前で止まった。

「さあ、最後にみんなにお土産を買って帰りましょう。」

 最後のお店は黒い扉に金色の取っ手と飾り文字が付けられた小さなお店だった。扉を開く前から甘い香りが溢れており菓子屋だと分かる。

「みんなここのお菓子が大好きなの。家でもケーキを焼いたりするけど、ここのは別格よ。甘いものは食べられるわよね?」

 昨夜の夕食でデザートを食べていた様子を思い出してたずねると、杏奈はアデリーンの声が聞こえないくらいに陳列されたケーキに見入っていた。アデリーンはその様子に微笑んで、「食べたいものを選んで頂戴。私はいつも迷ってしまうのよ。」と声をかけた。任された杏奈は店員に一つ一つ説明を聞いて真剣に悩みながら、果実が飾られた白いケーキを選んだ。

「ああ、いいわね。それも久しぶりだわ。」

 アデリーンも嬉しそうな様子を見て杏奈は間違いなかったようだとほっとする。


 家にケーキを持ち帰ると皆も一様に喜んでお茶会となった。女中達はケーキも気になるが杏奈の買い揃えた衣類も気になったようで、お茶が終わると代わる代わる杏奈に宛がわれた部屋を訪れて、新しい服に似合いそうなリボンや髪飾りなどを譲ってくれた。杏奈はとても頂けないと恐縮するのだが、女中達は「お人形遊びのようなものだと思って、付き合ってちょうだいよ。」と断らせない。

「仕事とお給金が決まったら、どこに何を買いに行くか考えましょう。安いなりにいいものがあるお店も結構あるのよ。」

 特に若いマリは年の近い杏奈がやってきたことが嬉しいようで、あれこれと教えてくれる。モイラが顔を出して「この子は疲れているんだから、今日はもうゆっくり休ませてやりなさい。」と引っ張り出すまで話し込んでいた。


 杏奈にとっても同じ年頃の同性の友人は初めてだ。以降も何かと話しかけてくれるマリの賑やかさが、ウィルや子供達と別れた寂しさを思い出す暇を無くさせてくれることに感謝していた。彼女と、無論他の女中達、さらにはアデリーンのおかげで杏奈は瞬く間に埃まみれの孤児から王都でも人々の振り返るような美女に変わっていった。そして執事の予想通りにしてアルフレドの目論見どおりに、あっという間に王都にはヴァルター家の美しい娘の噂が広まったのだった。

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