娘のようなもの
「あなた、お手柄だったかもしれないわね。」
改めて杏奈の姿をみつめてアデリーンがそういうと、アルフレドは「そうだね」と相槌を打った。滅多な相手には預けられない、そういってアルフレド自身が杏奈を引き取ることを決めたのだが、そのときでも、杏奈が磨けばこれほど美しくなるとは思っていなかった。本当に村に残してきたりしなくて良かった。アルフレドは自分の判断が正しかったと満足げに何度も頷く。目の届くところにいてくれれば少なくとも売り飛ばされる危機は回避できる、といつの間にか父母の目線でアルフレドとアデリーンは杏奈を見ていた。しかし、杏奈は「アウライールの聖女」として既に騎士達の間ではちょっと知られた存在になっているし、王都への帰路の行軍においてもアンドリューとミラードが直接彼女を見舞ったこともあって、注目を集めていた。アルフレドが引き取る予定だと、それとなく触れ込んで牽制していたものの王都にいれば、彼女とお近づきになりたがる若い騎士などいくらでも出てくるだろう。ただの行儀見習い兼女中として家に置いていたのでは、そうした騎士の接触を断るのは難しい。アルフレドは悪い虫からも彼女を守るための方策を考えていたが、こればかりは妻ときちんと相談してからでないと決められないと杏奈への説明はしていなかった。今しがたその相談が終わったところであり、アデリーンもアルフレドの案に同意してくれた。
「アンナ、これから我が家で行儀見習い兼女中として働いてもらうとことになっているね。」
アルフレドがそう切り出すと、杏奈は「はい」と頷いた。
「そのことなんだが、少し条件を変えてもいいだろうか?」
「条件、ですか?」
まだ給金のことや、休みのことなどは決まっていない。変えられるほど決まっている条件はないので、杏奈は何の話かと思う。住み込みの予定を変更とかだったらいきなり路頭に迷ってしまうな、と頭の片隅で考えながら、次の言葉を待った。
「そう。行儀見習い兼娘のようなもの、ということにしたいと思っているんだが、どうだろう?」
それは思いもかけない申し出だった。杏奈が驚いている間に、先に女中達が騒ぎ出した。
「旦那様、まさかとは思いますがアンナが旦那様のご落胤なんてことはないですよね?」
「旦那様、美しい養女をとって姻戚関係を使ってまで出世なさろうなんて、そんなお方じゃなかったですよね?」
「旦那様。」
「旦那様。」
アルフレドは4人の女中に向かって軽く手を上げて発言を制した。女中達は一斉に口をつぐむものの目がまだ「急に養女なんてどういうつもりですか。」と言っている。
「私がしばらく家を空けるだけで、どうしてこんなに信用がなくなってしまうのだろうね。国のために、民のためにと務めているのに。」
アルフレドがしみじみと悲しそうにそう言うと、アデリーンが慰めるようにそっとその手に手を添えた。アルフレドは「ありがとう」とアデリーンに微笑んでから、真面目な表情に戻して女中達と杏奈に顔を向け直した。
「私には隠し子はないし、人の人生を使ってまで出世しようとも考えていないよ。だいたい養女ではなく、娘のようなもの、だよ。ここにいれば、いずれ彼女に求婚してくる奴等が出てくるだろう。そのときに雇い主では口出しできないが、養い子としておけば私が見定められるからね。アデリーンも納得してくれている。」
「球根?」
杏奈は話の筋を追いきれずに頭の上に盛大に疑問符を飛ばしていた。その様子をみて、女中達はうなり声を上げる。
「確かに。」
「必要かもしれませんね。」
「この美貌で、この無防備さ。」
「王都に住むなんて狼の群れに羊を与えるようなものです。」
杏奈は一生懸命に話の流れを考え直し、自分に言い寄る男をアルフレドが見定めてくれるという意味だと言うところまで理解した。しかし、心配するほど自分に言い寄る男が出るだろうか。自分はこの家でしばらく勉強させてもらう間、それほど多くの人と知り合うこともないと思われる。万が一、好んでくれる人がいたとしても、それは自分が断るなり受けるなり対処できる話ではないだろうか。
杏奈がそういうと、女中達は完全にアルフレドの味方になった。口々に王都には信用なら無い若い男がたくさんいるだの、この家には来客が多くその誰に見初められるかわからないだのと口ぞえをする。
「もちろん、今すぐ決める必要はない。本当に娘として貴族に名を連ねると夜会への出席などもあるし、父が伯爵として領土を賜っている都合上、相続だなんだと面倒なことも出てくるかもしれない。当面、大事なのは君の保護者は私だと周りに認知してもらうことだから、あえて「養い子」という曖昧な関係にしておこうと思うんだ。これなら手続きはいらないし、面倒なことも無い。私は君のことを「娘のようなものだ」と考えるから。できれば君にも私のことを「父のようなものだ」と思っておいてもらいたい。」
杏奈はありがたい申し出なのだということはおぼろげに理解できるが、養い子というものがよく分からない。
「あの。娘のようなものになると女中をしなくなるってことですか?」
杏奈にとっては、そこが非常に重要だ。
「家の手伝いはどういう身分でもできるし、好きなことをしてもらって構わないよ。」
「いや、あの。私、お金を稼げるようになりたいんです。」
はっきりさせることに少し躊躇いがあったものの、これこそがもっとも重要なことなのだから聞かざるを得ない。杏奈の質問に、アルフレドは「ふむ」と少し考えるようにひげを撫でた。
「『娘のようなもの』分として衣食住は保障する。君の好きに使えるお金は働いて稼ぐ。ということでどうかな?手伝ってもらえることを見て、給金を決めようか。読み書きや他の仕事ができるようになったら、そのときにまた改めて考えよう。」
「ありがとうございます。」
アルフレドの提案は杏奈にとっては最高の申し出である。正直、甘すぎるからもっと厳しいことを言って欲しいくらいだ。厚遇過ぎるのではないかと杏奈が恐縮すると、アルフレドは「君の労働半年分の給料が未払いなんだ、このくらいは当然だよ。」と笑った。
「半年分、ですか?」
「そう。子供達の面倒をみたり、避難所の面倒をみたりね。ああいうのは、誰もやってくれなければ最終的には騎士の仕事になるものだから、君が手伝ってくれたと考えてもおかしくない。その分だよ。心配しなくても、ウィルにも同じように伝えてある。」
杏奈は自分のことよりも、ウィルにこれからも何か力添えがされるのだということを喜んだ。
その後、アルフレドが言ったとおりに夕食の場で、改めて女中達とコック、馬丁に庭師とその息子、それから執事を手伝う小姓と呼ばれる少年を紹介してもらった。普段の食卓には主人たるアルフレド夫妻のほかに日替わりで半分くらいの使用人が同席するのだと言う。残りの半分は時間差で後で食べる。使用人まで一緒に食卓に着かせるのは、そうしないとアルフレドの不在中ずっと一人で食事を摂ることになってしまうアデリーンへのアルフレドの配慮の結果であり、全員一緒に食べないのは、そうしないと給仕をする人間が足りなくなるからだ。食事の様子を見ていると、皆アルフレドとアデリーンに敬意を払っているものの堅苦しくなく仲の良い大きな家族のようだ。皆も杏奈を程よく話の輪に加えてくれる。杏奈は早くもこの新しい家族を好きになった。
疲れているだろうから、と早めに寝室に返された杏奈は宿屋で見たものよりさらに立派な寝台と良い香りのする寝具、柔らかい素材のかわいらしい寝間着を発見してまだアルフレド夫妻がくつろいでいた居間に駆け下り、何度も礼を述べた。食堂で二番手の食事をしていた使用人たちにもそのやり取りは聞こえてきて、彼らは数日前のアルフレドと同じようにそっと口元や目元に手を当てて涙をこらえた。
(ああ、可哀想に。布団や寝間着があるくらいで、あんなに喜んで。)
使用人たちは、お互いに視線を交わすと無言で杯を掲げあって杏奈を幸せにしてやろうと誓った。こうして一日にして杏奈には父のようなものと母のようなもの、それから十人の心配性の友人ができた。