デートの約束
アルフレド達は順調に街道を走って、王都まで後一晩のところまで移動していた本隊に追いついた。杏奈は再び、村人達の輪に戻って一日過ごすことになる。
「ここら辺りの人たちは王都に入る少し前に行く先ごとに分かれる予定だ。昼過ぎに騎士が誘導しにくるけれど君は少し残っていてくれ。私か、ここいらにいる誰かが直接迎えにくるから。それから一緒に我が家に帰ろう。妻にはちゃんと伝えてあるから、きっとかわいい娘がやってくるのを心待ちにしているよ。」
アルフレドは杏奈と別れる前に、そう伝えた。彼らも一度は持ち場に帰らなければならない。移動が終わって解散し、杏奈が難民から、アルフレドの家の行儀見習いに正式に変わるまでは特別扱いをすることはできないのだ。
杏奈は人々に混じっていつものように歩きながら、周りに子供達がいない違和感を感じた。誰も飛びついてきたり、手をつないできたりしない。仲良くなった他の家族などが声をかけてはくれるが、一人で歩く一日は長く、いつもよりずっと疲れた。
夕食後、天幕に一人横たわるとその寂しさはますます募る。寒いからとずっと身を寄せ合っていた子供がいない。歌を歌わないで寝るのはあまりにも久しぶりで、なんとも落ち着かなかった。
(昨日はずっと騎士さんたちが話しかけてくれてたから、気がつかなかったんだな。)
眠れぬ床で杏奈は昨日の一日を思い出す。馬上でも食事の時も、騎士達が代わる代わる寄ってきては見えるものを説明してくれたり、歌の話をしたりしてくれたりした。寝るときも、偶然だったのだろうけれど初めての宿屋に泊まったおかげで「いるはずの人がいない」という気持ちになることはなかった。今改めて、これまで子供達と過ごした空間に一人になると、彼らとはお別れしてしまったのだと身にしみる。杏奈は体を丸めて自分を抱きしめるようにしながら、彼らと出会ってからの日々を思い出した。どんなに感謝してもし足りない。いとおしい小さな家族。あの教会に彼らがいなかったら寂しくてどうにかなってしまっていたかもしれない。優しい子供達に出会えて、自分は幸せだった。
そして、騎士達も。教会を思い起こせばいつだって記憶の中に一緒に現れる。アルフレド、セオドアは言うまでもなく、あの教会にいた騎士達は皆、誠実で優しい人たちだった。もちろん、そう思ってはいたけれど昨日初めて気がついたこともある。教会へ向かう道中で子供達や杏奈に話しかけられる話題の中には、子供達をきちんと見ていてくれたからこそ分かる、そんなものがたくさんあった。彼らの言葉は、彼らが家に帰れば一人の父親や兄だったりするのだと気づかせてくれるには十分だった。彼らはそういう父や、兄の目で村人達、子供達を一人一人が違う人間なのだと思って接してくれていたのだ。規律として人々を区別なく守りながらも、決して顔のない集団として村人達を捉えていたわけではない。その優しさがあったからこそ、あの村はずれの教会は居心地のよい場所になることができたのだろう。
離れることはやはり寂しい。だが騎士達の多くは王都に戻る。口々に会いに行くと言ってくれた。そのことがとても心強い。教会で初めて目が覚めたとき、誰も知らなくても、ちっとも不安ではなかったのに、今の自分はこんなに脆い。人と支えあうことを学んだから、誰かと離れることが不安になった。しかし、杏奈はそれが悪い変化だとは思わなかった。
翌日、アルフレドの言ったとおり昼過ぎに様々な村からの避難者は一箇所に集められ、親戚や知り合いの元へ行くもの、行き先のまだ決まっていないものなどに分けられた。数十人ずつの集団が順次王都へと案内されていく。人の出入りを管理する関を越えるのにあまり一斉に押しかけて混乱させないようにという措置である。また、ほとんどの騎士達は護衛の任務が終わり、それぞれに王都へと向かっていく。数百人の集団はたいした混乱もなく分割され、旅はあっけないほど静かに終わりを迎えた。
だんだん人が減っていくのを、杏奈は適当な大きさの石に腰掛けて眺めていた。知り合いが通る都度、手を振って見送ったが、だんだんその数も減ってきた。迎えには誰が来てくれるのだろう。ほぼ無意識にセオドアを思い浮かべながら、杏奈は騎士達がいるであろう方向を見る。杏奈にとって、騎士といえば最初に思い浮かぶのはいつでもセオドアなのだ。
「アンナ。」
声をかけられて笑顔で立ち上がったのは、それが一番聞きたかった声だったからだ。
「待たせたな。」
馬上のセオドアは予想外の満面の笑顔を向けられて、戸惑ったものの泣いたり落ち込んだりしているよりはずっといいかと小さな微笑を返した。少し迎えが遅くなったので去っていく人々を眺めながら不安になっていないかと心配していたのだ。セオドアにとって、杏奈は目を離すと危なっかしい存在として完全に刷り込まれている。
一昨日、昨日と何度か馬への乗り降りを手伝ってもらってだいぶ慣れた杏奈は、もう抱きかかえられなくても馬に乗れる。手を引いて馬に引き上げてもらうとセオドアの前に横座りで着地した。
「セオドアさん、どのくらいで王都につきますか?」
杏奈は首を伸ばし、セオドアに体を寄せて話しかけた。分厚い甲冑越しでは体温も、柔らかさも感じられず、さらには彼女の体の重みさえほとんど感じない。傍から見れば限りなく親しげに寄り添って見えるのだが、セオドアは特に意識することもなく「そうだな」とそのままの姿勢で考えた。彼一人で走る速度ではない。普段の感覚で覚えている時間に少し修正が必要だ。馬は止まっているのでそれ程顔を近づけなくても会話できるのだが、馬に二人乗りしているときの癖で耳元に話しかけようという杏奈の姿勢にセオドアも無意識につられた。首を少し傾けて顔を近づけて答える。
「城門までは1時間。隊長の屋敷までさらに小一時間かかる。夕方には着くだろう。」
「そうですか。本当にもう少しなんですね。あと、あの道が分かれているけど、どれを行っても王都へ着くんですか?」
杏奈たちが止まっていたあたりまでは一本道だった街道が、この先三叉に分かれている。先ほどから出発していく人々はそのうちの左側二つの道を進んでいた。ずっと見送っていた杏奈は一番右側の道の行先が気になっていた。
「左の二つは王都の正門と東門に続く。あちらの右手の道は王都を迂回してこのまま東に続く。右の道をさらにそれて丘をあがれば大きな湖がある。」
街道から枝分かれしていく道を腕を伸ばして示しながら説明する。それは王都観光といえば必ず名の挙がる有名な湖だった。この分かれ道の説明では正門、東門、湖と並べて説明するのが常だ。
「湖?」
「ああ、落ち着いたら見に来るといい。青く輝いて美しいと有名なところだ。」
杏奈は視線を先ほどセオドアの示した丘の頂の方にやってからセオドアを振り返った。
「見てみたいです。」
無邪気に答える顔は子供達に向けていた姉代わりの表情ではなかったので、セオドアはふと気がついた。彼女の初めてのおねだりかもしれない。これまで自分だけのために何かしたいと言ったのは、生活できるようになりたいとか、強くなりたいとか、もっと切実なものばかりだったはずだ。そう思ってセオドアは少し嬉しくなった。少しくらい我侭を言えばいいとずっと思っていたのだ。子供達を安心できるところに預けて、少し心にゆとりができたのかもしれない。
「分かった。じゃあ暖かくなったら連れていってやろう。」
そういうセオドアの顔はちっとも笑っていないのに、大きな手で頭をぐいぐいと撫でられると甘やかされているように思えて杏奈はくすぐったい気持ちになる。杏奈が目を細めて固い甲冑の胸に頬を寄せると、まるで猫のようだな、とセオドアは薄い微笑を浮かべた。そのままふわりと杏奈を抱き寄せて安定の良い位置に座らせ直す。
「よし、とにかく今は帰るか。」
セオドアは手綱を握り直してゆるやかに街道を走りだした。