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贈り物

 翌朝、ウィルは本当に普段通りで「おはよう」という直前まで、どうしよう、という言葉で頭がいっぱいだった杏奈は拍子抜けしてしまった。良く見れば少し目が赤くて良く眠れなかったのかと思うが、それ以外は何も変わったところは無い。もちろん、昨夜の話を知らない子供たちも何も気づかずに朝食を終えた。あとは騎士が迎えに来るのをまって出発するだけだ。子供たちは二十日余りの行程の中で仲良くなった他の子供たちなどに口々に別れを告げて回っている。慌ただしくしているおかげで、杏奈とウィルの会話がいつもより少ないことに気がつく者もない。


 程なくして、騎士達が現れた。

「さあ、行こう。」

 アルフレドは、この見送りに春から秋まで避難所で一緒に過ごした騎士を選んできた。ここしばらく会えなかった馴染みの騎士達が一人につき子供一人を馬に乗せて街道をそれて進んで行く。ウィルを乗せることになった騎馬はさすがに他の騎馬より重いようで最後尾をついてくる。駆け足ではないが馬で進めば歩くよりはよほど早い。子供たちが高いところからの風景に目を輝かせている間に小高い丘や畑を過ぎて小さな町にさしかかった。

「ここが教会のある町だ。素敵な教会だよ。」

 アルフレドはそう言って町の門をくぐると馬を下りて歩き始めた。小さな町は中心の通りもそれ程広くはなく何頭もの馬が駆けるには狭すぎたし、子供たちがこれから暮らす町の様子を少し時間をかけて見せてあげようという心遣いでもあった。小さな、とは言ってもウィル達が暮らしていた村に比べれば余程開けている。いくつかの店が軒を連ねる様子に子供達は目を輝かせた。杏奈にとっては初めて見る「町」である。子供達と一緒になって、あのお店はなんだろう、あの置物は何だろうと忙しなく目と口を動かしている。騎士達が時々、やれあれは仕立屋だ、金物屋だなどと教えてくれる。町には活気があり、人々の様子は穏やかで暮らしやすそうだ。

 町の中心を抜けると大きな庭のある石造りの立派な建物が見えてきた。門の中では白い長衣を着た女性が表に出て待っている。顔が見えるまでに近づくと、温かい穏やかな笑顔を浮かべて迎えてくれた。


「ご無沙汰しています、司祭。」

「アルフレド様、息災で何よりです。お待ちしていました。」

 杏奈は司祭といえば、避難所の老人とミラードしか知らなかったので女性の司祭がいるということを初めて知った。彼女がこの教会の主なのだろう。杏奈や子供たちがキョロキョロと大きな建物を見まわしている間に大人たちの挨拶は済んだようで、アルフレドがウィルを司祭に紹介した。

「これから、よろしくお願いします。」

 ウィルが挨拶すると、子供達は続けて「お願いします」と声を揃えた。元気の良い挨拶に司祭は「まあまあ」と驚いたようだ。

「上手に挨拶が出来て偉いのね。はい、お願いしますね。」

 司祭は一人ひとり屈みこんで目を合せながら名前を確認しながら手を握る。

「この教会には今二十人のお友達がいますから、これから紹介しますね。皆、いらっしゃい。」

 司祭が振り返って声をかけると、建物の扉が開いて子供たちが駆けだしてきた。どうやら隠れて待っていたらしい。三つや四つの幼い子供からウィルとそう変わらなそうな大きな子までずらりと並ぶと「せーの」と声をかけて

「いらっしゃい。アウライールの家にようこそ!」

 と、大きな声を出して挨拶してくれた。同時に建物の二階の窓が大きく開いて窓から白い吹雪が降ってきた。良く見ると花びらだ。花の季節ではないのに良く集めたものだとアルフレドは心の中で感心する。ウィルと子供たちは圧倒された様にそれを見ていたが、教会から駆けだしてきた子供たちが次々と手を引いて自分たちの輪に引きいれていく。杏奈のところにやってきた女の子に「私は違うのよ。お見送りなの。」というと子供は「?」という顔をしていたが、司祭が迎えに来て子供を窘めて連れて行った。そのまま子供たちは連れだって建物の中に入っていってしまう。どうしようかと杏奈がアルフレドの方を振り返ると、「少し一緒に見てみようか?」とアルフレドも一緒についてきてくれた。子供たちは礼拝堂に台所、食堂、寝室などを賑やかに紹介していく。皆がこれから暮らす家は、暖かく清潔で、とても居心地が良さそうだった。何より子供たちが生き生きしている。やはり自分の傍に戻って来てしまうミーナの手を引きながら杏奈は一回りし建物のあちこちを見せてもらってから最初に通った入り口に帰ってきた。


「どうだったかな?」

 後からついてきたアルフレドは杏奈とウィルを見ながらそう聞いた。二人が何を聞かれているのだろうかと戸惑っていると「皆と仲良く暮らせそうかい?」と聞いてくる。

「いいところだと思います。」

 二人は異口同音に言う。他の子供たちを見回しても、皆こっくりと頷いた。アルフレドは、そうかそうかと言うと司祭を振り返りって頷いた。

「では、改めてお願いします。」

 司祭は「確かに、お預かりいたします。」と軽く膝を折って礼をとった。

「あの、私、この子達に会いに来てもいいですか?」

 杏奈が司祭に訪ねると、司祭は「もちろん、いつでも歓迎しますよ」と請け負ってくれた。

「じゃあ、アンナ。」

 アルフレドに促されて杏奈は子供たちを見まわす。お別れのときだ。教会の子供たちも悟ったように大人しく並んでいる。杏奈は一人ひとりに目を合わせられるように少し屈みこんだ。


「皆、今日まで本当にありがとう。たくさん助けてくれて。いろんなことを教えてくれて。ずっと一緒にいてくれて。皆が仲良くしてくれて、家族みたいで、とっても嬉しかった。これからは司祭様の言うことをよく聞いて、いい子にしてるんだよ。会いに来るから、ね。」

 ミーナはもう半泣きだ。杏奈は一人ひとりをしっかり抱きしめて、お互いに「ありがとう」「大好き」と繰り返す。泣かないと決めたのにどうしても涙が溢れそうになって、何度も上を向いて誤魔化した。

 最後にウィルの前に立って握手する。彼の笑顔はいつも通りで屈託なく、杏奈はわだかまりなく挨拶できることにほっとした。

「ウィルも。本当にありがとう。」

「ありがとう、アンナ。みんなで手紙を書くから。早く文字を読めるようになれよ。」

 そう言われて、杏奈は泣き笑いになった。

「うん、私も書く。ちゃんと練習する。」

 手を離そうとしたところで、杏奈は腕を強く引かれてウィルの方へ倒れこんだ。ウィルは、ほんの短い間、思い切り力を込めて杏奈を抱きしめてそっと耳打ちする。

「諦めないから。忘れるなよ。」

 体を離す直前に頬を掠めていった感触に驚いてアンナは頬に手を当てたまま、満足げな笑顔のウィルをみつめた。しかし、何か言う前に町の教会にいた子供達まで含めて30人もの子供の視線が自分に集中しているのに気がついて大いに慌てる。彼女が頬を染めてまごついていると、ずっと黙って待っていたアルフレドが扉を開いて「そろそろ、行こうか」と救いの手を差し伸べてくれた。杏奈は混乱した頭のまま、アルフレドについて行く。

 騎士達は全員、門の前で待っていた。アルフレドと皆に歩み寄り、門のところでもう一度振り返ると、ウィルと一緒にやってきた村の子供たちは建物の前で、先ほどこの教会の子供たちがしたように整列している。見送りをしてくれるのかと、手を振ろうと手をあげようとしたところで、ウィルが「せーの」と子供たちに声をかけたのが聞こえた。


 子供たちは声を揃えて歌いだした。親が産まれてきた子供に出会えたことを感謝する歌。あなたに会えて嬉しかったと歌う歌だ。まだ子供たちが親と別れてしまった傷から立ち直れていなかった頃、言葉を費やすよりも、と繰り返し杏奈が歌った歌だ。子供達はまだ杏奈が床に伏しているときから、絶対に元気になるからお別れのときに歌おうと、杏奈に内緒でずっと練習していた。その練習の成果は歌声に現れて、時間をかけてくれたのだと杏奈にも伝わった。あげかけた手をゆっくりと下ろして、胸の前で固く握りしめる。思いがけないお別れの贈り物だ。この歌声を絶対に忘れまいとアンナはただ聞きいった。騎士達もある者は笑顔で、ある者はもらい泣きしてじっと待っていてくれる。中には自分も覚えてしまっていたのか一緒に歌い出す者までいた。最後まで歌いきると子供たちは「アーニャ、ありがとう!」と声を揃えて叫んだ。そこからは皆、涙の嵐だ。アルフレドがそっと指示を出して騎士達は子供たちに手を振りながら教会を後にする。最後まで残ってくれたセオドアに促されて杏奈もゆっくりと教会の門をくぐった。杏奈が何度も振り返って手を振ると、子供たちは目一杯に小さな手を振り返してくれる。その姿が見えなくなるまで、騎士達は皆、ゆっくりと歩を進めてくれた。


「そろそろ前を向け、転ぶぞ。」

 すっかり教会も見えなくなり、子供の声も届かなくなってようやく杏奈は体をきちんと前に向かせた。

「寂しいなあ。」

 杏奈がぽつりとつぶやくと、「そうだな」と頭の上から返事が返ってきた。さっきまで賑やかに話し合っていた子供たちがいない帰り道はとても静かだ。杏奈は急に自分が一人ぼっちになってしまったようで、たまらない気持ちになった。もう分からない店や売り物の名前を隣にいるセオドアに質問する元気も湧かない。

 無言のまま村の門をくぐり、再び一行は馬上の人になる。杏奈はセオドアの馬に引きあげてもらい、未練がましく町を振り返ったが、ついにはその町の影すら見えなくなった。

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