お別れ前夜 その1
ミラードが合流して以来、彼は毎日人々の元を訪れた。治癒によって体力の回復を助けるだけでなく、話し相手になることで心の不安も取り除いて行く。春風と称される彼の温かさ、華やかさは長旅で疲れて来ていた人々の疲れを癒し、一行の足取りは再び力強さを取り戻した。一歩、また一歩と確実に王都へと近づいて行く。徐々に街道沿いには大きな町も現れてきた。そうした大きな町の傍に差し掛かるたびに何十人という単位で、移住の地を探していた人々が減っていく。王都まで残り三日というところに差し掛かると一行の数は全部で千人を切るところまで少なくなった。
その日の夕方、アルフレドがウィルと杏奈の元を訪れた。
「君たちの新しい家になる教会は、ここからすぐだ。みんなこれまで世話になった人にお礼を言っておきなさい。明日の朝ごはんが終ったら、本隊を離れて教会に向けて出発するよ。」
アルフレドの言葉に、二人はついに来たかと思う。ウィルと子供たちの新しい家だ。彼らの旅は明日で一旦終りになる。
「私も見送りに行ったらいけませんか?」
どんなところに住むことになるのか、面倒をみてくれる人は優しそうか。杏奈はせめて自分の目で確かめたかった。問われたアルフレドは「もちろんだとも。」と言って頷いた。
「そう言うだろうと思っていたよ。一緒に見送りに行こう。」
「ああ、良かった。ありがとうございます。」
杏奈はほっとして微笑んだ。
アルフレドが去って行った後に、ウィルと杏奈は旅の途中に一緒に子供の面倒を見てくれた大人たちや家族連れに挨拶をして回った。誰もが新天地での日々の幸せを願い、長旅の苦労を労ってくれた。
「お兄ちゃん、良く頑張ったね。もう一日、頑張れよ。そんで、新しいお家についたらぐっすり休んだらええ。」
「俺達は王都まで行くから、困ったら訪ねて来い。何をしてやれるか分からないけど、困った時はお互い様だ。」
優しい言葉に、ときに涙ぐんでお礼を言いながら一回りすると夕食が配り終えられていた。杏奈と囲む最後の夕食だからと、スープが冷めるのにも構わず子供達は二人が戻ってくるのを待っていてくれたようだ。夕食の席の話題は、村の教会での思い出話や、これから行く町のことなどあちこちに飛ぶ。いつもと変わらない賑やかな時間。しかし、その途中からミーナが杏奈に張り付いて離れなくなってしまった。杏奈が子供達の傍に戻って以来、なるべく言葉を尽くしてあの夜のことで自分を責めないようにと話してきたが、まだ、ミーナの中で溶けない何かがあることに杏奈は気が付いていた。すぐに解決できるものではないと分かっていても杏奈自身も気がかりだった。
食事がすっかり片付くと、杏奈はミーナを膝の上に抱きあげた。今夜がゆっくり話のできる最後の機会になる。
「ミーナ?」
俯いたままのミーナに声をかけると、そっと目を合わせてくる。どこか不安げな、杏奈の様子をうかがう視線に杏奈は笑顔で応えた。
「明日から、新しいおうちだね。楽しみだね。」
ミーナは薄い眉を寄せて、嫌そうな表情になる。
「もう毎日歩かなくていいし、夜はきっとあったかい部屋で眠れるよ。自分のお布団も貰えるんじゃないかな。」
「でも、アーニャはいかないんでしょ?」
ミーナはギュッと杏奈の服を掴む。
「うん。私は明日で一回さよならしなくちゃ。」
そう答えると、ミーナは勢いよく顔を杏奈の胸にうずめた。無言で嫌だ嫌だと主張してくる。
「でも、絶対会いに行くよ。いい子で待っていられるでしょう?」
頭を撫でて語りかけると、しばらく間が空いてから小さな声で返事があった。
「・・・・いい子じゃないもん。」
ミーナは自分のせいで杏奈を傷つけたこと、そのせいで杏奈が命を落としかけたことを幼いなりに理解しており、杏奈に嫌われてしまったのではないかとずっと不安に感じていた。杏奈は「そんなことないよ。」とミーナを抱きしめる。
「騎士様も言ってたでしょう?ミーナはいい子だって。私も知ってるよ。ミーナはいい子よ。私はミーナ、大好きよ。」
小さな手で力いっぱい杏奈にしがみつくミーナに杏奈は何度も何度も大好きだと繰り返した。それが何よりミーナに覚えておいてほしいことだから。
そのままミーナが寝てしまうまで、ずっと抱いていた。寝入った彼女を下ろすと小さな唇が笑みの形になっていて、少しでも伝わっただろうかと杏奈はほんの少し安堵した。あの村の外れの教会で初めて自分に声をかけてくれた少女。名前もつけてくれた。ミーナが手を引いてくれなければ、半年に渡る教会での生活は全く違うものになっていただろう。杏奈にとっても、ミーナは特別な存在だ。安心できるところで落ち着いて暮らし、将来の夢を描けるようになってほしい。別れは寂しいが、悲しい種類の別れではない。杏奈は微笑んであどけない寝顔をしばらく眺めていた。