旧友
アンドリューは金髪の司祭と自身の天幕に戻り、出発まで束の間の休息をとりながら朝食をとっていた。金髪の司祭はミラード。アンドリューにとっては旧友でもある。二人が並んで茶を飲む姿は簡素な天幕の中で、薄汚れた小道具に囲まれていてなお、絵画のように美しい。報告の為に天幕に駆けてきた若い騎士などは、一瞬言葉につまり報告内容を頭から飛ばしてしまった程だ。
黒い髪に黒い瞳、象牙色の肌をしたアンドリューはかなりの長身で剣豪の名に相応しい逞しい体つきをしている。凛々しい眉や通った鼻筋は意思の強さを感じさせる。その硬さの一方で、やや骨ばった顎の輪郭や長い睫毛、穏やかに微笑む唇にはここ数年で増してきたと王都中の女が噂する男の色気が宿る。まともに身の回りに手入れをする暇がなく伸びっぱなしの黒髪を無造作に束ねているが、その乱雑も粗野さを感じさせないのは、上品に整った眉目のおかげだろう。一方のミラードは陶器のように美しい白い肌と垂れ目気味の瞳が印象的な優男である。優しく穏やかな印象を与える蜜色の瞳に見つめられたら女はもちろん男でも心が温もり蕩けてしまいそうだ。波打つ金髪が彼の繊細な容貌を更に惹き立てる。アンドリューが硬質な磨かれた剣のような美しさだとすれば、ミラードは春の野に溢れる花のように華やかだ。
アンドリューは多くの騎士団長を輩出してきた名家の生まれであり、幼い頃から王宮に出入りする機会が多かった。ミラードは幼くしてその突出した治癒の力を見出されて田舎の両親の元を離れて王宮付きの教会に住み込んでいた。王宮に出入りする子供は少ない。同年輩の二人は何かのきっかけで顔を合わせて以来、自然と親しくなった。もう20年来の付き合いになる。
「寝ずに来たのだろう?ディズレーリ先生のところの移動は半日遅らせる予定だ。お前もそちらに同道してもらうから少し休んで行けよ。」
「ありがとう、でも、大丈夫だよ。セオドアと言ったか、彼が僕が寝てしまってもいいように縄で僕を括りつけてくれたからね。身を預けていただけだから、それほど疲れていないよ。」
ミラードが微笑んでそう答えると、アンドリューはクッと喉を鳴らして笑った。
「それは、また随分丁重なお迎えだったみたいだな。」
「彼を責めてはいけないよ。実際そうでもしてもらわなければ、僕はいつ馬から転げ落ちていても不思議はなかったんだから。あれほど長い時間自分の腕だけでしがみついてなど居られないよ。」
「責めはしないさ。」
アンドリューの言葉を確認するようにミラードはその横顔をみやったが、旧友が理不尽に部下を罰するような上司ではないことは彼も良く知っている。
「なら、いいけれど。僕は一日とちょっとだけど、彼は二日以上駆け通しだったはずだから。これで叱られたのでは余りに報われないというものだよ。しかも、少しでも僕には力を温存してほしいと彼自身に治癒を施すことも拒まれたんだ。彼の方が倒れるんじゃないかと心配したよ。馬は片道4頭も乗り捨てているのに、騎手は一人なんだからね。無茶を好むのは師団長譲りなのかい?」
少し責めるようにミラードがそう言うと、アンドリューは視線を逸らせて「さて。俺はそんな指示をしたことはないぞ。」と言う。自分が無茶を好んだ過去があることは付き合いの長い友人にはよくよく知られている。居心地が悪そうな様子にミラードは睨んだ瞳を和ませてくすくすと笑いをこぼした。
「騎士という人達は、なんだってこう。・・・困った人達だね。」
久しぶりにみた友人の笑顔にアンドリューはつられて笑みを浮かべる。ミラードは軍医によれば「春風の天使」となる。実に言い得て妙である。ミラードの傍にはいつも穏やかで優しい空気が満ちている。武骨で無愛想な騎士達にばかり囲まれた生活を一年近く過ごしてきた後では、それが際立つ。アンドリューは疲れの目立ってきた村人たちにもミラードの吹かせる季節外れの春風の効果がいきわたるようにと思案する。命にでも関わっていない限り強い治癒の力を使わせないことがミラードを派遣してもらった条件である。村人たちがそれぞれの目的地へ辿りつけるように、少しの疲れの改善程度の治癒を広い範囲に施してもらうことが元々の狙いだが神の力を借りずともミラードの姿を見て、彼本人に触れるだけで心に傷を負った多くの人が救われるだろう。アンドリューが名指しでミラードの派遣を依頼した背景にはこうした意図もあった。
「それにしても、君がわざわざ来ることはなかったんじゃないか?あの女の子は特別な子なのかい?」
ミラードは杏奈の治癒後に勢ぞろいしていた騎士達の顔ぶれを思い出して、そう問いかけた。
「俺自身は、ほぼ話したことは無いのだが、アルフレド曰く「聖女」のような娘だそうだ。しかし、ここまで話を聞く限りは優しくて勇敢だが無謀な娘だな。」
幼い少女のために夜の森に駆けだして行った話をすると、ミラードは昨夜の軍医と同じような反応をした。
「なるほど、君に似ているんだね。それは気にもなるだろう。僕も気になるなあ。」
ミラードは罪のない笑顔で微笑みながら友人を見つめた。見つめられたアンドリューは不服気に軽く睨み返したが、ミラードの笑顔はちっとも揺らがない。
「目が覚めたら、話してみたいね。君と本当に似ているんだったら、きっと良い友人になれるだろう。」
楽しみだな、とミラードは邪気がない。アンドリューは少し呆れて、こいつは本当に今年で30歳になる男だったよな、と自問する。アンドリューの方が少し年上だが、どちらも若いという年ではない。しかしアンドリューの見る限りミラードの笑顔はこの十年変わっていない。
「それに、君が特定の女性に何にしても興味を示すなんて珍しいからね。」
笑顔は変わらないが、内面はいつまでも天使のままではないようだ。
「一応、どういう意味か聞いておこうか?」
「浮名も流さない、鉄壁の守りを誇る王国一の色男が恋に落ちる姿が見られるのは幼馴染の特権だろう。君ときたら、僕にも一度も恋人を紹介してくれたことがないじゃないか。」
「そんな下らない理由で声をかけるな。失礼だろう。」
アンドリューが軽くいなすと、ミラードは「ごめんごめん」と素直に謝った。
「それは冗談だけど、でも、君に似ているっていうだけで興味が湧くよ。それに個人的にもちょっとね。少しくらいお話したっていいだろう?」
「彼女の話し相手は俺が選ぶものではないからな。あの少女が良いと言うならいいんじゃないのか。それにしても個人的にというのは?」
意識の無い彼女に数時間、治癒を施しただけなのに気になることがあると言うのは解せない。アンドリューの言葉にミラードは笑顔をひっこめた。表情を引き締めると年相応の落ち着きが顔を覗かせる。
「祈りの最中に、特別な力を感じたよ。普通ならもう少し時間がかかるはずの治癒なんだけど、誰かに後押しされているような感じがしてね。聖女と言うのは、あながち外れた呼び名じゃないかもしれないよ。」
「後押し?そんなことあるのか?」
「いや、少なくとも僕自身は初めてだった。神の分けてくださる力に近い、けれど完全に同じでもない。良く分からないんだ。悪いものではないと感じたけれど。」
ミラードは小首を傾げ、杏奈に祈りの力を注いでいる最中のことを思い返してみたが、やはり背中を押されたような感覚しか思い出すことができなかった。彼の決して短くは無い司祭としての活動の中で初めて感じた何者かによる干渉だったのだが、それが何かはアンドリューに答えた通りミラードにも想像もつかなかった。アンドリューにしても、そんな話は聞いたことが無い。
「はっきりするまでは、僕と君の間だけの話にしておいてくれ。」
アンドリューは無論、とミラードの言葉に同意した。治癒というのは本当に特別な技術だ。それに関連する情報については細心の注意を払う必要があるということはある程度の地位にあるものならば常識だ。
「その件はお前に任せるが、そもそも彼女はモンスターに遭遇して死の淵を彷徨ったんだ。まずは恐怖を乗り越えられるようにしてやってくれ。そのために、お前を呼んだんだからな。」
「それはもちろん。」
癒すものが心であっても体であっても、ミラードが発揮する癒しの力にはアンドリューも全幅の信頼を寄せている。頼もしい友人にアンドリューは「よろしく頼むぞ。」と言うと、短い休息を終える合図に立ち上がった。