もしかしてお嬢様?
(普通の記憶喪失の人というのは、どういう気持ちになるものなのかしら。)
彼女は、膝の上で寝てしまったミーナの頭を撫でながら考える。彼女は不思議と静かな気持ちだった。恐怖も焦りもない。何を恐れたらいいのかも分からないし、急いで何をしなければいけないのかも分からない。とりあえず、ここにいる人達はみな家を追われ、ここでしばらく暮らすようだ。同じように居させてくれたら、当座は生きていける。
まるで他人事のようにそう思いながら、彼女は子供たちの話に耳を傾けた。何の記憶か分からないが、誰かに聞いてもらうと不安が和らぐという説があったような気がする。彼女の傍、というよりもウィルの傍なのだろうが、に集まっている子供たちの大半が避難中に親とはぐれてしまった子どもだった。ミーナはちょうど親が隣町に出かけている間に襲撃にあったということだ。ミーナの両親は運が良ければ、この災難を逃れてどこかの村で避難しているかもしれない。いずれにせよ彼らに共通しているのは、頼れる大人が教会の中にいないということ。そういう意味では、彼女も子供たちと同じ境遇だ。子供たちも自然とそれを察したのか彼女を受け入れてくれた。彼女の膝で寝入ってしまったミーナが彼女のスカートを掴んで離さなかったことも原因の一つだったかもしれないが。
子供たちの話を聞き終る頃に、大きな教会の扉が開いてガシャリガシャリと音を立ながら甲冑を身に付けた男性が入ってきた。その銀色の甲冑と村人の誰も手にしていないような立派な剣から、騎士様の一人だろうと思い当る。
「夕食の支度ができたそうだ。順に食堂へ。」
彼がそう声をかけると、村人は次々と扉を出てどこかへ向かっていく。子供たちも立ち上がって彼女の手を引いた。
「教会の食堂で毎日朝晩、食事が食べられる。これも騎士団が居るおかげだ。俺たちだけじゃ食べ物まで持って避難なんてできなかった。」
ウィルが説明してくれる。
「夜の移動は危ないから昼の時間に外から物資も運んでくれるそうだ。だから食べ物は当面心配いらない。服も、そのうち届くと言ってた。」
教会へ避難はしているものの陸の孤島のように孤立してしまっている訳ではないようだ。
建物の外へ出てみると屋根だけがかっている渡り廊下のようなものがあり、その続く先にいくつか小さな建物が見えた。振り返ってみると自分たちのいた場所がおそらく教会の最大の建物であり祈りを捧げる場であっただろうということが分かる。
建物の扉の外や廊下の数か所に先ほどの騎士と揃いの甲冑をきた男たちが立っている。いったいどれだけの数の騎士がいるのだろう。先ほど、少年は騎士が守ってくれるから大丈夫と言ったが、襲ってくるかもしれないモンスターについても、騎士についても何も思い出せない彼女は、本当に大丈夫なのか少し不安に思った。
食事は質素なものだった。固いパンと豆の入ったスープを配られて子供達と一緒に食べる。小さな子供の面倒を大きな子供が見ながら決して多くない食事を平らげた。元は教会の食堂ということでそれなりのスペースのある部屋ではあったが、村人全員を一度に収容できる広さは無い。食べ終わるとすぐに立ち去らねばならない。子供たちは足りないとも、美味しくないとも文句を言わず、きちんと食べて席を立った。我儘を言わなくて偉いのね、とまだ喋れない少年の頭を撫でて褒めると、傍にいた7,8歳くらいの少女が不思議そうな顔をした。
「ちゃんとご飯を食べさせてもらえるのに、我儘言う子なんていないでしょ。お姉ちゃん、本当はいいところのお嬢さんなの?あ、そうだ。ちょっと手をみせてよ。」
彼女が手を差し出すと少女はさっと掴んでまじまじと眺めた。
「お母さんが、いいとこのお嬢さんは水仕事も畑仕事もしないから手が綺麗って言ってたんだ。ほら、やっぱり、とっても手が綺麗よ。」
言われて、改めて自分の手を眺めると白い肌に短く揃った艶やかな爪。こぶや傷はなく柔らかい手肌だった。
「お嬢様かー。」
いまひとつピンとこないが、確かに周りにいる村人に比べてみれば、手の柔らかさや肌の白さは段違いで、自分が畑仕事をして暮らしていたとは考えにくい。
「そうだったのかしら?」