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優しくて無謀な人

「ディズレーリ先生」


 夜半過ぎ、意外な人物が軍医を訪ねてきた。

「どうした?」

 師団長自らが傷病者の天幕を訪れることは珍しい。軍医は自分の子ほども年の離れた師団長を招き入れながら、どこも怪我をした風もないのを(いぶか)った。

「あの少女はどうです?」

 アンドリューの言う少女が杏奈であることは聞き返すまでもなかった。今、彼の患者になっている者の中に「少女」と呼べるのは彼女しかいないからだ。

「頑張ってはいるが、明日が峠だ。司祭の祈りにかかる時間を考えれば昼までにセオドアが戻らなければ難しい。」

 アンドリューは額に手をあてて小さくため息をついた。

「自分を責めるなよ。事情はセオドアから聞いてる。お前達は最善を尽くした。村娘が駆けだしたからって、師団長自ら飛び出して行くなんて懲罰もんだぞ。怪我もなかったし、お前の居ない時間の穴は優秀な部下諸君が埋めてくれたから、懲罰はないだろうが。とにかく、お前とセオドアが追いかけたんだ。国一番早い追手だ。それでも間に合わなかった。」

 軍医が残りの薬草を数えていた手を止めてそう言うと、アンドリューは手を下ろしてうっすら微笑んだ。

「ありがとう、先生。私は大丈夫ですよ。」

 心根が優しくて真面目なアンドリューは、若い頃はこうした場面で自分を責めてはずいぶん思い詰めているようだった。大丈夫と言えるようになった様子に軍医は彼の成長を見て満足げに頷いた。その後で、もう師団長にまで上り詰めた相手に過保護すぎたかと詫びるとアンドリューは苦笑いを浮かべた。自分の未熟だった時代を知っている人には頭が上がらない。アンドリューは師団長だが、多くの部下に敬語で話すのもそのせいだ。それも直せと方々から指摘されているのだが、身に染みついてしまっている先輩には敬語という癖がなかなか抜けない。


「それから子供たちは?彼女は幼い孤児達の姉代わりだったと聞きました。」

「ああ、俺も聞いたよ。あのチビ達な。今日はずっと傍で励ましてやってる。チビなりに感じるところがあるんだろう。暗い顔をして、痛々しいな。今晩なんか、皆でお嬢さんに向かって一生懸命歌なんか歌ってやってさ。意識も殆どないんだが、聞こえているといいなあ。」

「金髪の、小さい女の子も来ていませんか。」

「うん?来てるぞ、妹だろ?今日は枕元に張り付いてた。」

 アンドリューは形のいい眉をそっと寄せた。

「それで?」

「妹ちゃんか?ごめんなさいって泣いてるよ。小さいのを追いかけて行ったって聞いたが、あの妹ちゃんを追いかけてったんだなあ。」

 軍医はぽりぽりと頬を掻きながら「やりきれないよなあ」とこぼした。アンドリューは、救い上げた後ろくに話ができなかった杏奈とミーナのことを案じてますます憂い顔になった。

「妹では、無いそうなのです。」

「は?」

「私も、ずっと姉妹なのだと思っていたのですが、アルフレドに聞きました。あの怪我を負った少女。アンナと言うそうですが、記憶喪失で、今のところ天涯孤独だそうです。妹の方は親と生き別れてしまった少女で、姉はいないと。」

「へえ。」

「知り合ってたった半年の見ず知らずの少女のために、素手で夜の森に飛び出すなんて。アルフレドは優しいのだと言っていましたが、そこまで行けば無謀です。残される子のためにも回復してもらいたい。」

 アンドリューの半分独白のような言葉に、軍医は少し呆れたように彼の顔をまじまじと見つめた。

「まったく、入隊したての頃のお前みたいだな。優しくて無謀で、残される人のことなんてお構いなしでな?」

 少し皮肉を込めた言葉に、アンドリューは苦虫を噛み潰したような顔になる。確かに今回の杏奈がしたような行動を若い頃のアンドリューは何度もとっては先輩達に叱られたものだ。

「ご迷惑をおかけしたのは反省してますよ。でも私は駆け出しとはいえ騎士だったし、剣もある程度振えましたよ。彼女ほどでは。」

 苦しい反論を軍医は「はいはい」と遮って軽く受け流す。

「まあ、セオドアとお嬢さんを信じるしかないな。それから、司祭様のお力もな。」

 アンドリューは深く頷いた。

「司祭は信頼のおける者を送ってもらっています。彼さえ間に合えばきっと助かる。」

「それは何よりだ。お嬢さんが元気になったら無理はするなとお前も諭してやればいい。お前ほど経験豊富ならきっと効くだろうさ。」

 アンドリューは彼をからかう素振りで、つとめて明るく彼を励ましてくれる軍医に感謝して改めて杏奈のことをよろしく頼むと依頼した。

「言われなくてもやってるよ。というか、お前もか。もう暇さえあれば口ひげの悪ガキのところの若い衆が見舞に押しかけては、よろしく頼むと。セオドアも随分懐いてたみたいだし、あのお嬢さんは一体何なんだ?」

 軍医の不思議そうな顔にアンドリューは少し言葉を選ぶように目を伏せた。象牙色の肌に長いまつげの影が落ちる。

「私も、一言二言しか話したことは無いのですが、あのアルフレドに「聖女」とまで言わしめる少女だということで。あの村から来た者にとっては特別大切な娘なのだそうですよ。」

「へえ。それはすごいな。」

 アルフレドの人物評が辛口であることは、以前アンドリューが本人にも言った通り有名なことである。彼が「聖女」とまで言うというのは大変なことだ。軍医は「さて、これは益々頑張ってもらわないとなあ」と伸びをして馬車の方を見やった。アンドリューも馬車とその周りに丸くなって眠る子供達の姿を捉えて、焼き付けるように見つめていた。


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