星に願いを
夜、簡素な天幕の中では王都へ向かう人々が身を寄せ合い、寒さを凌ぐようにして眠っている。歩きづめの一日が終わった後で、人々の眠りは深い。その中を夜毎そっと抜け出す人影がある。
旅が始まって以来、ウィルは毎夜天幕を抜けだして空を見上げていた。星の輝く冬の夜空を見上げて、必死に祈る。星には神が宿ると言われている。一つ一つ白い星に向かい、杏奈の傷が癒えて早く元気になるように、早くまた話ができるようにと何度も祈る。
集中して祈っているつもりでも、いつの間にか心の隙間から様々な思いが湧きだしてくる。昼間は子供達のことに追われて顧みる暇もないウィルの思いが、ここにあるのだぞと主張するように思考を占めて行く。
(あの時、なんで騎士の言う通りに立ち止まっちまったんだ。もしかしたら、俺なら森に入る前にミーナに追い付けたかもしれない。せめてアンナの代わりに俺がミーナを追っていれば、アンナは怪我なんかしなかったのに。ごめん、アンナ。ごめん、守ってやれなくて。)
どうしたって杏奈の病状を案ずれば、セオドアに抱きかかえられて帰ってきた彼女の苦しそうな顔を思い出す。辛い思いをさせてしまったと自分の至らなさが改めて嫌になる。教会で自己嫌悪に沈んだ日には、隣にずっと杏奈がいてくれた。途中から眠ってしまっていたけれど、ずっとそばにいてくれた。でも、今は隣に誰もいない。ウィルは冷たい風に吹かれて夜空を見上げながら、どれほどあの温かさに救われていたのかを思い知る。
(大切にしようと思っていたのに。俺があの教会で手に入れることができた大事な家族だから、今度こそ守るんだと心に決めたのに。)
自分の手に力があれば、そう思う気持ちも当然ある。しかし、今、ウィルが最も悔いているのはモンスターから杏奈を守れなかったことではなかった。自分に剣に振るう力が無いことは仕方がないとも思える。だが、できるはずのことができなかったことは、諦めきれない。
ウィルは、どうしても杏奈が心配になって彼女が森から救い出された翌朝に、夜明けと共に軍医の天幕を訪れていた。しかし、彼女に声をかけることさえできなかった。天幕の前でセオドアに抱きかかえられていた杏奈を見てしまったからだ。「もう怖くない」そう声をかけられている姿をみて、前夜、杏奈を一人にしたことを激しく悔いた。記憶のない杏奈にとってモンスターは、きっと初めてみる生き物だったはずだ。抜き身の剣も初めてだったかもしれない。そんな恐ろしいものを初めてみて、さらには襲いかかられて怪我をして、怖くないはずがないのにどうして付いていてやらなかったのだろう。それならば、剣を振るえなくても、子供でもできたことなのに。
その後悔は、あっという間におそらく自分より遥かに前にそのことに気がついて杏奈に寄り添っていたセオドアへの嫉妬に変わる。自分が傍にいてやりたかった。震える手を握ってやりたかった。自分の至らなさがいけないのに、他の誰かを恨むなんて馬鹿げたことだ。心の片隅でそう言う自分もいるけれど、焼けつくような思いは止まらない。そんな思いに苦しめられて、ようやくずっと積み重なってきた、セオドアへの居心地の悪い思いの原因に思い至った。自分は杏奈が好きなのだ。だから、自分よりも杏奈の傍によりそう男が気にいらない。自分よりも杏奈に頼られる男が気にいらないのだ。
(俺は、どんだけ馬鹿なんだ。かっこわりい。)
ウィルは白い息を吐いて眉をしかめる。朝の光の中で寄り添う二人をみて自分の恋心に気がつくなんて本当に間が抜けている。ほんの少し前に手を取り合って兄と妹だと言ったことさえ恥ずかしく思えてくる。大事な家族のように思う気持ちは変わらない。でも妹などではなかった。自分は救い様の無い馬鹿だ。笑顔を向けられれば嬉しくて、他の男に喜ばされていれば悔しくて、そんなの恋に決まっている。
でも、まだ何も終ったわけではない。むしろ始まってすらいない。杏奈は治る。そう信じたとしても、この旅の終わりは杏奈とのしばしの別れを意味する。別れる前にどうしても、思いを伝えたい。せめて、彼女に知っておいてほしかった。今すぐには彼女を守るに十分な力も、地位も、お金もない。だからといって諦めることはできないから、待っていてほしいと、どうしても別れる前に伝えたかった。
(神様、アンナを助けて。俺にチャンスを下さい。)
ウィルは真剣な瞳で白い星を見上げて祈る。途中から杏奈のためか、自分のためか分からなくなった願いをかける。
あの悲しいことばかりだった日に唯一出会うことができた新しい友人。新しい家族。彼の思い人。杏奈はウィルにとって、かけがえのない大事な宝物だ。