遭遇
けもの道に飛び込んだ杏奈は、子供の脚にはすぐに追い付けると思ったのだが、けもの道では小柄な方が障害物に当たる確率は低い。ミーナの金髪を見失わない様に追いかけるのが精いっぱいでなかなか距離を詰められない。林の中にかなり進んだところで、ようやミーナの腕を捕まえることができた。
「ミーナ。」
腕を引いて抱き寄せようとして、杏奈は目の端に黄色い光を見たと思った。そちらに気を取られた隙に、ミーナは猛然と杏奈の手を振り払って再び駆けだそうとする。しかし、ほんの数歩進んで、ミーナも黄色い光に気が付いて凍りついたように立ち止り一拍遅れて悲鳴をあげた。後ろから駆けよった杏奈が強く抱きしめてやると悲鳴は止まったがガチガチと歯の根が合わない程震えている。
黄色い光の正体は、不可思議な形をした生き物の双眸だった。
(なるほど、これがモンスターか。)
杏奈は、モンスターという言葉が山賊やならず者を指す比喩ではないということを理解した。明らかに人間ではない。頭のすごく大きな子供のような形をした、どす黒い皮膚の生き物だった。胴体は薄く体毛に覆われ、手足がいびつに骨ばっており飛び出した長い爪が暗がりで黒光りして見えた。全身黒い色の中で目だけは黄色く爛爛と光っている。手には刃物を握っていた。目を凝らせば、ちょうどミーナの腕一本分程の長さの剣だった。
「ギギギ」
錆びた蝶つがいのような鳴き声を挙げながら、モンスターは二人の方へと近づいてくる。杏奈はお腹にしがみついているミーナを強引に背中側に庇った。
近づいてくる生き物を睨みながら杏奈は窮地の乗り切り方をじっと考える。思ったより冷静な自分にほっとして、と、同時に気が付いた。この生き物は非常に動作が遅い。ゆっくりと近づいてくるから物を考える暇があるのだ。この移動速度ならば杏奈がミーナを抱きあげても逃げ切れるかもしれない。しかし、背中を向けた途端に猛スピードで走り出してくるような気がしてならず、それを試す気にはならなかった。
動作が遅いといっても、杏奈達はすくんで動けないのだからモンスターは近づいてくる。とうとう自分の攻撃圏内に入ったと思ったのだろう、モンスターは剣を振り上げてさらに一歩、大きく踏み込んできた。
その妙にのろのろとした動作を見た杏奈は迷わなかった。素早く左側に回り込み、大きくモンスターの脚を払う。足の甲を強か打つ感触があり、やたらと頭が大きいせいかバランスの悪いモンスターは地面に倒れた。杏奈は倒れた拍子に相手の手元から飛び出した剣を拾い上げると躊躇なく倒れているモンスターの首筋に叩きつけた。これが、山賊だったら恐ろしくて首筋に一撃などできなかった。動物なのかどうかさえ実感の湧かないモンスター相手だからこそだせた勇気だ。傷からは赤い血液ではなく濁った色の異臭を放つ体液が吹きだしてきた。
剣はモンスターの首筋半分くらいまで埋まり、黄色く光っていた双眸から急速に光が消えて行った。杏奈は直感的にその生き物の死を感じた。そのまま茫然と動かなくなった生き物を見下ろしていたが、背中に飛びついてきたミーナの感触にはっとして辺りを見渡した。この隙に逃げなければならない。そう思った杏奈の目に先ほどより多い数の黄色い光が飛び込んできた。しかも杏奈達の走ってきた方からだった。
他の道など分からない。どうしても元の道を戻りたいのなら、あの光を発しているモンスター達をやり過ごすか、切り伏せねばならない。隠れてやり過ごそうという杏奈の希望は、黄色の光の一組と目があった、と思った瞬間に消え去った。
「ギー!」
甲高い鳴き声は、意味を成すものではなかったが、杏奈もミーナも間違いなく自分達をみつけたことを主張していると感じた。
「ア、アーニャ」
ミーナが震える声をあげながら杏奈のスカートを引く。
「私の後ろに。」
杏奈は短くそういうと辺りを見回して大きな木の前に移動した。自分と大木の間にミーナを挟むようにして黒い剣を構える。
無論、剣など握った記憶などない。思ったよりも重たい柄に両手を添えてしっかりと握り直す。やがて近寄ってきたモンスターは三体だった。鳴き声に呼ばれたのかその後ろにさらに黄色い光が見える。数が多いのも悪いが、どうも先ほどの一体よりも動きが滑らかなのが気になる。モンスターは夜行性だと聞いている。夜が深まる程、動きが良くなるのかもしれない。三体一気にかかって来られたら先ほどのスピードでも相手にできないのに、素早さも増してくるのだとすればミーナを守りきれる可能性は更に下がる。
(それでも。)
選択肢はないのだ。杏奈はじっと手前の一体を睨みつけた。