決意
数日後、杏奈の懸念通り教会の孤児院では18歳の杏奈の受け入れは難しいと伝えられた。彼女がいることで、行き先がなくなってしまう幼い子供がいるのなら無理に入れてくれとは言えない。半年以上一緒に過ごしてきた子供たちとの別れは寂しいし、心残りではある。新しい環境でみんな上手くやっていけるだろうかと心配だ。とはいえ、自分の知っている子供のことが心配だからと他の子供の居場所を奪うのは間違っている。アンナは併せて伝えられたアルフレドの家での行儀見習いという提案を有難く受けることにした。信頼のおけそうな知り合いの家に置いてもらえるだけでも想像以上の申し出である上に、家の手伝いをしながら読み書きの勉強もさせてくれるというのだ。断る理由は無い。
杏奈の行き先が決まったのは教会からの出発までに十日を切るころだった。杏奈はその日のうちにウィルに報告した。
「じゃあ、途中でお別れになるんだな。俺は皆と一緒に王都の近くの教会に行く。春になったら出て行かなけりゃならないけど、それまであいつらと一緒にいて、ちゃんとやっていけるか見届けたいしな。」
「うん。本当は私も皆の傍にいたいけど。きっと会いに行くわ。隊長さんのお家は王都にあるって聞いたし。私が言うの、おかしいかもしれないけど、皆のことお願いします。」
「任せとけ。アンナも頑張れよ。」
「うん。」
ウィルに差し出された右手を杏奈がしっかり握り返すと、ウィルは更に左手を重ねてすっぽりと彼女の手を包み込んだ。
「困ったら、知らせてこいよ。」
「うん、ありがとう。」
骨ばっているが温かいウィルの手からは、彼の思いやりが伝わってくるようで自然に杏奈はふんわり微笑みを浮かべた。その柔らかい笑顔を見下ろしてウィルは困ったような表情になる。
「なんていうか、急に18歳なんて言われてもアーニャはやっぱり妹みたいな気がするんだよな。妹なんていたことないから、分かんないけど、たぶんいたらこんな感じだと思う。しっかりしてるし大丈夫だって信じちゃいるけど、すごく心配でさ。目が届かないところに行っちまったらもっと心配になる。きっと、これから離れても変わらないから。だから、困ったときは当たり前だけど、そうじゃなくても連絡して来いよ。」
ぎゅっと手に力を込めつつ、恥ずかしそうにそう告げる姿は杏奈の眼には相変わらず可愛く映る。アンナは笑って「はい、お兄ちゃん。」と頷いた。
「おい、お兄ちゃんて。」
ウィルがちょっと眉を寄せて笑う。
「自分で妹って言いだしたくせに、嫌なの?」
杏奈が口をとがらせると、ウィルは軽く首を横に振った。すっかり伸びてしまった黒髪が頬にかかり、彼はようやく杏奈の手を離して前髪を払った。
「嫌じゃないけど、そっちの方が年上だって分かってからお兄ちゃんって呼ばれるなんてな。おかしいなと思ってさ。」
「ふふ、そっか。」
二人は顔を見合わせて笑いあった。そしてもう一度、今度はそっと手をとりあう。
「ありがとう、ウィル。本当に感謝してる。私もずっとウィルのこと応援してるからね。頼りになれるように頑張るね。」
「おう。」
ウィルは杏奈の髪を掻きまわして頭を撫でて、最後に軽く頭を小突いた。そうやって散らばされた髪を直しながら杏奈は浮かびそうになった涙をなんとか引っ込めた。寂しい気持ちは止められないが、感傷的になるにはまだ早い。今、泣いたらミーナや他の子供たちに別れを告げる時など号泣してしまいそうだ。笑って手を振るのだ。あの子達が人との別れを嫌がることなんて分かりきっている。「さよなら」じゃなくて「またね」といって別れたいのに、泣いていたら子供たちが不安がる。
こういうことは長く伏せておいてもいいことはない。それはアルフレドからのアドバイスでもあり、杏奈も異論は無かった。夕食後、普段なら絵本の読み聞かせや手遊びなどで過ごす時間に、杏奈が子供たちと同じ教会へ行けないことを伝えた。もちろん今まで一緒に引っ越しをするのだと思っていた子供たちは驚き、幼い子ほど嫌がった。
「何で?」
「アンナはもう大きいからね。」
「でも、ウィルは一緒に行けるんでしょう?」
「ウィルよりも、アンナの方がお姉さんなんだよ。」
「誰がお歌を歌ってくれるの?」
「みんな、もうお歌覚えたでしょう?順番で歌ったらいいわ。」
一つ一つ、子供たちの質問に答え、不安な思いが少しでも消えるようにと手をとり、抱きしめる。
「アーニャはさびしくないの?」
核心をついた質問に杏奈は「きたぞ」と更に気合いをいれて笑顔を保つ。
「そりゃあ、みんなと離れたら寂しいよ。でも遠くにいくだけで、また会えるし。きっと会いに行く。また会えるでしょう?それを楽しみにするわ。みんなが大きくなってかっこいいお兄ちゃんと、綺麗なお姉さんになってるのを見に行くの、楽しみだなあ。」
実際に半年足らずで、少年少女はぐんぐん成長した。アンナはそれを思い出して少し強張ってしまっていた笑顔から力を抜いた。もう自然に笑える。
「それに、皆からいっぱい元気もらったからね。」
そう言って、一人ひとりの顔を見回すとミーナが飛びついて来た。杏奈の胸の顔を埋めてぐずりだす。他の子供たちも赤い目をして涙を堪えている。
「いやだ、やだよう。一人やだあ。」
「ミーナ、一人じゃないよ。皆と一緒でしょう?」
杏奈がそういって諭しても、ミーナはいやいやと首を振るばかりだ。今は甘えさせてあげるしかできることは無いだろう。
その日、杏奈は請われるまま子守唄をフルメドレーで二回も歌い、子供たちに抱きつかれて眠った。




