別れてしまった道
村への帰還が決められてから数日後、ウィルは村の主だった男達に話をしようと、村に降りるために集まって来ている村人の方へ向かっていた。勝ち目のない喧嘩にいくようなものだが、でも子供達のために少しでもできることをしたい。
緊張を漂わせながら少し急ぎ足に歩くその背中に声がかけられた。
「やあ、そこ行く少年よ、気難しい顔をして紳士達のいずれに御用かな?」
妙に時代がかった問いかけにウィルが怪訝な顔で振り返ると、アルフレドが楽しげな笑顔を浮かべていた。
「え?」
妙な問いかけに咄嗟に答えが出ずに、言葉に詰まるとアルフレドはますます嬉しそうな表情を浮かべた。
「ふふふ、子供らの話かな?」
目で少し先にいる村の男達を示しながらそう言う。
「ええ、とにかくお願いしてみようと思います。」
軽く礼をしてアルフレドに背を向け再び歩き出そうとすると、今度は肩を軽く叩かれた。そのままアルフレドはひょいとウィルの隣に並んで戸惑うウィルの一歩先を歩き出す。慌てて後に続きながらウィルはアルフレドの方をうかがう。
「隊長さん?」
「途中まで私も一緒に行かせてもらっていいかな。」
「いいかなって、もう思いっきり向かってるじゃないですか。」
思わずウィルが突っ込むと、アルフレドは愉快そうに声を上げて笑った。
「君が有言実行するように、私も有言実行と行こうと思うわけだよ。」
「有言実行、ですか?」
「そう、君は子供達のために村の大人達にかけあう。私はそれをできる限り支援する。そういうことだ。」
「はあ。」
ウィルの表情を見て、アルフレドは目をきらめかせた。
「言いたいことがあれば、遠慮なく言ってくれよ。顔に書いてあるだけでは、こちらも返事しづらいからね。」
そうは言われても、騎士隊長に遠慮なくというのは無理な話だ。ウィルは困惑した表情のまま、とりあえず「はい」と答えた。その様子にアルフレドは片眉を上げて不服を示した。
「遠慮するなというのに。若い者は生意気なくらいがちょうどいいんだ。」
教会自体はそう広いわけでもない。そうこう言っている間に、男達のところに着いていた。
「ここからは一旦、君に任せよう。頑張れよ。」
アルフレドはそういうともう一度ウィルの肩を叩いて、彼を送りだした。
ウィル叩かれた勢いのまま、男達の方へ歩み寄る。アルフレドとの良く分からない会話のおかげで一瞬忘れていた緊張を思い出し、ごくりと唾を飲んだ。
「オルソンさん」
ウィルの父が不在となってから村人をまとめてくれている男に声をかける。大柄な中年男が振り返る。鍛冶屋のオルソンは親方気質でウィルの父も頼りにしていた。ウィルもずいぶん手荒く可愛がってもらった。
「どうした?」
強面だが、怖いだけの人でないことは知っている。ウィルは大きく息を吸ってからここ数日の間に考えていたことを説明し始めた。
ときどき声が震わせながら、ウィルは必死に語りかける。大声で話していたわけではない。それでもオルソンも、その周りにいた男達も静かにウィルの説明と懇願を聞いていた。
「ネルはまだ喋れないけど、その分表情が豊かで気持ちを一生懸命伝えてくれる。エマは大人しいけれど芯の強いしっかり者で、年下の子供の面倒もよくみてる。ショーンのやんちゃもずいぶん良くなって、もうミーナを泣かせたりもしない。ルイスはすごく優しい子で、ちょっとおっとりしているけど、誰かが困っていたら一緒に考えてあげられる。」
男達は黙ってウィルの話を聞いてくれたが、一人、また一人と俯かれ、目を逸らされる。ウィルは焦りを募らせながら、最後まで続けた。
「無理を言っているのは分かっているけど。それでも、どうか、お願いします。あの子達は故郷で暮らしたいと望んでいるから、両親や家族の思い出がある場所にいられるように、お願いします。助けてください。」
ウィルは深く頭を下げた。最後までじっとウィルを見つめていたオルソンは、しばらく考え込むように黙っていた。やがてその大きな手をウィルの両肩にかけて彼の頭を上げさせる。
「ウィル。」
オルソンの厳しい表情にウィルは、更に言葉を重ねようと口を開こうとした。しかし、オルソンに先手を打たれてしまった。
「すまん。」
その一言にウィルの目が諦めの色に染まる。慌てたようにオルソンがウィルの肩を掴む力が強くなった。
「すまなかった。」
今度はオルソンがウィルに頭を下げる。
話の流れが分からなくなってしまったウィルはオルソンの後頭部をみつめることしかできない。ただ黙っているとオルソンは下げたとき同様、ばっと勢いよく顔を上げた。
「ウィル、それはお前が俺たちに頭を下げて頼むようなことじゃない。俺達が考えなきゃいけないことだ。混乱していたからとか、言い訳にならん。お前に甘えて子供らのことを押しつけていた俺達の方が謝らなきゃならん。」
それは、予想外の言葉だった。
「いや、それは、いいんだ。俺はまだ村に降りて働くこともできないし。その分、できることはしなけりゃ。」
ウィルが慌てて両手を振りながらそう答えたが、オルソンはもちろん納得した様子は無い。
「悪かった。親父さんとおふくろさんのことがあって、お前も辛かったろうに一人で抱え込ませて。だが、村に帰った後のことは俺たちも考えてる。後は俺たちに任せておけ。」
オルソンの言葉に周りの大人たちも一様に頷いている。ウィルはその様子をみて、頼もしいはずの村人の助けの手をなぜか喜べなかった。複雑な表情を浮かべる彼に、大人たちは口々に謝罪と、励ましの声をかける。その見慣れた村人の顔を眺めながら、ウィルはもやもやとする違和感を覚えていた。
「皆さん、ちょっとよろしいかな。」
少し退いたところから様子を見ていたアルフレドがウィルの後ろから歩み寄って来て声をかけた。村人は何の話かと彼に注目する。
「子供たちのことですが、我々も必要な手助けはするつもりですよ。しかしまずは皆さんの意思がなければならない。どうしていくつもりか後ほど聞かせてもらえますか?」
アルフレドは穏やかな笑顔で、一人ひとり男達を見渡す。
「それは有難い。話が決まったらお知らせに行きましょう。」
オルソンが答えると、アルフレドは数度頷いた。
「では、三日待ちましょう。急かすようで申し訳ないが、村に戻れない者には行き先を考えなければならいので、あまり時間がないのです。」
三日、と聞いた男達に戸惑いの表情が浮かんだ。アルフレドはそれをあえて無視する。
「何も考えていらっしゃらないわけではないのでしょう?」
言外に半年もあったのだぞ、と含んでいるのを察したオルソンは三日で結論を出すことを約束した。
「ええ、では三日後に。」
アルフレドはそう言うと、さっと踵を返して去って行った。
残されたオルソンはもう一度ウィルに向き直った。
「本当に気を揉ませて悪かったな、ウィル。ただな、これからしばらく村はかなり厳しい。それは分かってくれ、な。」
オルソンの言葉にウィルは表情を引き締めて頷いた。
「分かってる。」
その表情をみて、オルソンは目じりを下げた。
「お前、いつの間にか随分男前になったなあ。いい面構えだよ。親父さんが見たら喜ぶぜ。ふふ。」
オルソンの大きな手で本当に久しぶりに頭を撫でまわされた。昔はいつも嫌がって逃げては悪態をついていたウィルだったのだが、その大きな手の重さ、暖かさに束の間、平和だった時間が帰ってきたような気がして、じっとされるがままになっていた。
「じゃあ、ちょっといってくるよ。」
村に降りる準備が整った騎士達がやってきて、男達は村へと出かけていく。
「いってらっしゃい」
ウィルは小さな声でそれを見送った。本当に久しぶりに口にした「いってらっしゃい」だった。あの日まで当たり前に父親や母親、村の皆にかけていた言葉。いつの間にか袂を分かったかのように離れてしまっていた自分達と村の男達を、そんな小さな日常の思い出が繋いでくれることを祈った。